クリエイターセンター<第1制作センター>長嶋 愛
「世界はほしいモノにあふれてる」ではイタリアや韓国ロケに参加
学生時代は、小学校教師を目指していましたが、自信が持てず、就職活動へ方向転換。昔からテレビが好きだったので、ミーハー精神を貫き通し、テレビ局を片っ端から受けたところ、唯一、受かったのがNHKでした。幼い頃から両耳に補聴器をつけて育ち、聴覚障害があることは伝えた上で働き始めました。当時は今よりも聞こえていたので、片耳で電話取材をしたり、ニュース中継など、現場とスタジオで音声のやりとりが多い仕事は、先輩にフォローに入ってもらい、現場の工夫で仕事をしていました。
以前は、周りへ配慮を求める自分の存在が「お荷物になっている」という意識が過剰にあり、「全部1人でやらなければ」と、必要以上に相談をしたり、コミュニケーションをとることを避けていました。でもある日、カメラマンが「明日のロケの方向性はどうする?今、みんなで話し合おう」と声をかけてきました。聞こえる・聞こえないことよりも、スタッフの意識は「番組をどうするか」の1点に集中していました。各々抱えていたアイデアや迷い、意見を自由に話し合うと、ロケがぐっと濃厚に変わり、チームに力が生まれました。「障害があっても、なくても、1人でできる仕事はない」。そう気が付いてから、とても気持ちが楽になりました。映像だからこそ伝えられる、心の動きや機微を撮影できた時は、とてもやりがいを感じます。
仕事は障害の有無に関係なく、様々なことに悩み、そして様々なチャンスに恵まれます。「やりたい」と思った仕事は、いつも自由に挙手しています。番組「世界はほしいモノにあふれてる」に提案を出し、韓国やイタリアへ海外ロケに行ったり、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の脚本会議に参加するなど、バラエティあふれる仕事を担当してきました。「障害があっても、できること」を探すのではなく、自分が「やりたい」と素直に心踊るものをこれからも探し、取り組んでいきたいです。また、東京五輪・パラでは開・閉会式に手話をつけるユニバーサル放送にもかかわりました。障害のある立場から、より良い公共メディアを目指して、積極的に提言していくことも、今後の自分に課せられた役割だと思っています。
入社6年目に難聴が進行し、電話や会議が困難になりました。そこで「通訳をつけて働きたい」とNHKに申し出ましたが、当時は「健常者と同等に働けることが前提で、特別なサポートは認めていない」と断られました。それでも「聞こえない自分のまま、ディレクターをやりたい」と希望を伝え続けてきた結果、運と縁に恵まれ、音声を文字にする通訳が全ての業務に入るようになりました。思うようにコミュニケーションがとれるようになると、人とのかかわりの中から、たくさんの閃きや気づきが生まれ、番組の質も変化しました。通訳には当然コストがかかりますが、投資してもらっていると考え、聞こえない自分の視点や経験を活かし、応えていきたいと思っています。
NHKの番組に「手話」をつけるプロジェクトでは、手話で生きる“ろう”の監修者を迎え、どうすれば聞こえない人も、聞こえる人も一緒に番組を楽しめるかを共に考え、新しいエンターテインメントとして作り上げてきました。これまでのテレビの常識が覆されるプロセスは、大変なこともありますが、制作現場に多様な視点があることは、とてもクリエイティブです。違いを超えて「共に働く」ことは、新しい創造力を生むと実感しています。今こうして、通訳と共に働き続けているのも、次に続く人たちに道を作りたい思いがあるからです。前例のないことに対し、マイノリティの立場から声をあげることは、とても勇気がいりますが、NHKには声をあげれば、必ず一緒に考えてくれる人が現れます。
5分ストレッチで目を覚ます。「連続テレビ小説」を見ながら朝食
在宅ワークの日は9:00から仕事をスタート。メール対応や取材準備を進めます
福祉班のオンライン定例会議。遠隔通訳の文字を見ながら、参加
出勤の日は社食の利用率が高め
この日は横浜で取材。編集に入ると終日編集室にこもることに
帰宅途中に友人とご飯。仲良くなった取材相手と食事をすることもあります