この記事は2013年に取材し、所属も当時のものです。

[スペシャルコンテンツ] 記者×ディレクター=未解決事件 オウムと格闘した300日 | NHKスペシャル 未解決事件 File.02 「オウム真理教」

1995年(平成7年)に、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きました。
世界初の化学兵器サリンによる無差別殺人。
首都圏での通勤ラッシュをねらった犯行で6000人を超す死傷者が出ました。

NHKスペシャル「未解決事件」は、日本中に大きな衝撃を与え、
今も生々しい記録を残す[未解決事件]を実録ドラマとドキュメンタリーで徹底検証し、未来へのカギを探ります。
長時間に及ぶ取材、調査報道的な手法を駆使した、公共放送ならではのシリーズです。

NHKは2012年に未解決事件シリーズで、オウム事件を取り上げました。
事件当時小学生だった記者も取材に参加しました。
次々と新たな発見があり、事件の真相が明らかになっていきます。

このコンテンツは、オウム事件に取り組んだ記者とディレクターの格闘の日々の記録です。
NHKを目指す人は、公共放送の使命と責任とはなにか、
NHKの職員はどんな想いで、仕事に取り組んでいるのか、知っていただければと思います。

CONTENTS 01
オウム事件を知らない方へ 〜オウム事件とは〜

1995年(平成7年)3月20日の朝、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きました。
地下鉄の5つの路線で猛毒のサリンがまかれました。通勤客で混み合う霞が関行きの電車に
5人の信者がサリンを入れた袋を持ちこみ、先を尖らせた傘で袋を突いて気化させたのです。
死者13人、負傷者は6300人以上にのぼった、
過去例がない化学兵器による無差別殺人に世界が震撼しました。

オウム事件年表

[事件の概要を知らない人のために]

1984年2月「オウム神仙の会」設立
1987年7月教団を「オウム真理教」と改称
1989年2月信者A殺害事件
1989年11月4日坂本弁護士一家殺害事件
1990年2月松本智津夫死刑囚衆院選に立候補するが落選
1993年8月土谷正実死刑囚がサリンを生成
11月〜山梨県上九一色村(当時)にサリンプラント建設
1994年1月元信者B殺害事件
5月9日滝本弁護士殺人未遂事件
6月国家制度を模した「省庁制」を教団組織に導入
6月27日松本サリン事件
1995年1月4日被害者の会会長VX殺人未遂事件
2月28日公証役場事務長監禁致死事件
3月20日地下鉄サリン事件
3月22日警視庁が上九一色村などの教団施設を強制捜査
4月23日村井秀夫幹部が刺殺される
5月16日警視庁、上九一色村で松本死刑囚を逮捕
9月6日坂本堤弁護士と妻の遺体発見10日には長男の遺体発見
1996年4月24日東京地裁で松本死刑囚の初公判
2000年1月18日教団名を「アレフ」に改称
2004年2月27日東京地裁が松本死刑囚に死刑判決
2006年9月15日最高裁で松本死刑囚の死刑判決が確定
2007年5月上祐元代表が新団体「ひかりの輪」設立
2008年6月11日「オウム真理教犯罪被害者救済法」が成立
2011年11月21日最高裁が元教団幹部・遠藤誠一被告の上告を棄却
オウム真理教関連事件で起訴された189人すべての裁判が終結
12月31日平田信元幹部が出頭
2012年6月菊池直子、高橋克也逮捕

CONTENTS 02
未解決事件INSIDE STORY オウム真理教はこうして作られた!

プロデューサーとディレクター2人でスタートしたプロジェクトは、
最終的に20人を超える全国の記者やディレクターもが加わり、
裁判でも語られることのなかった地下鉄サリン事件の動機の核心に迫る。
弟子暴走説を覆す麻原の破壊願望や、
捜査かく乱のためではなく麻原の予言を成就させるためだったという
驚くべき事件の動機を明らかにする。
また150人を超える捜査関係者への取材などを通して、衆院選惨敗前の早い段階から、
熊本県内のオウムの拠点で武装化を進めていたことを初めて明らかにしていく。
長野県警の理系極秘捜査チームなどが、
サリンを生成する薬品購入ルートからオウムに迫っていたことを明らかにしていく。
しかしこうした捜査現場の危機感が警察組織全体で共有されないまま、
地下鉄サリン事件が起きてしまった実態が見えてくる。

番組ダイジェスト

2011年8月3日

「次はオウムの事件を取り上げて欲しい」
番組は、遺族の想いから始まった

番組の企画会議で小口拓朗ディレクターがオウムについて提案するが、50人中賛成わずか2人。「今さら新しい事実が見つからないんじゃない」という厳しいものだった。その後、8月3日に17年前のオウムの事件を取材した記者も参加しての会議が開かれ、地下鉄サリン事件の遺族からのメッセージが披露される。「オウムの一連の裁判はことし10月にも結審するというのに、麻原は裁判で動機を明らかにしていない。そして、なぜあれだけの事件を未然に防げなかったのか、分からないことばかり。到底納得できない。NHKスペシャル未解決事件シリーズで、ぜひオウム事件を取り上げて欲しい。」遺族の想いから、file.02「オウム真理教」はスタートする。

「オウム武装化は地下鉄サリン事件の5年前、
熊本から始まっていた」

サリンや武器を製造するオウムの武装化は山梨県で始まった。これがこれまでの定説だった。ところが熊本局の入局2年目の齋藤記者が取材を続けるうちに、オウムは山梨よりも早く熊本県ですでに武装化に手を染めていたという感触をつかんだ。その後の取材でこれは事実と判明する。熊本での武装化を警察が見抜けば、その後の地下鉄サリン事件は、起きなかった可能性もあった。未解決事件の番組では、この知られざる事実を伝えた。

熊本局記者 齋藤恵二郎
取材期間 2011年10月〜2012年5月 平成22年入局
取材の経緯
旧波野村での取材で得た武器製造の感触は、上祐への取材で明らかに

熊本県警の記者クラブでキャップを担当していながら、かつてオウムが熊本に拠点を作っていたことは知りませんでした。拠点のあった旧波野村で関係者を取材しましたが、当時を知らない私はどうしても教団の恐ろしさが実感できませんでした。しかし取材先からたまたま借りたビデオテープを見て、鳥肌が立つような恐怖を感じました。垢で顔が真っ黒になり、うつろな目をした信者たちが一心不乱に念仏を唱える姿でした。「聖者をののしる者は、地獄に落ちるぞ」と繰り返していました。この拠点には、細菌培養剤と書いてあるドラム缶や動物を飼うような小型ゲージがたくさんあったそうです。オウムは熊本で生物兵器の研究をしていたのではないかと話す人もいました。状況から考えると、オウムは熊本ですでに武装化を始めていたのではないか。妙な胸騒ぎを覚えました。ところが取材を続けてもこれ以上の情報が得られず、取材は行き詰まってしまいました。
その時東京の取材チームから教団の元幹部上祐への取材に同行しないかと誘われました。当然すべては鵜呑みにはできないので、波野村と警察への取材で得た情報と照らし合わせながら話を聞きました。波野村での武装化は、彼にとっては秘密でも何でもなく、冒頭であっさりとしゃべりました。「麻原はあそこに教団武装化の拠点を作ろうとしたんです」後に東京の取材チームが熊本で武器を製造していた元信者と接触し、事実を確認できました。上祐が熊本での武装化を告白する姿を撮影したDVDを熊本県警の元幹部に見せたところ、最初は驚きのあまり言葉も出ませんでした。見終わって「全くわからなかった」と絶句していました。

想ったこと
取材は断られてから始まるという上司の言葉を、麻原の恩師への取材で実感

上司の熊本のデスクから「取材は断られてから始まる。断る前にしゃべる人は誰が行ってもしゃべる。断ってからしゃべる人は、記者でなきゃしゃべらない人なんだ」と言われていましたが、あまり実感がありませんでした。
麻原は熊本出身ということもあって、少年時代の麻原を知る人にも接触していました。そのなかで麻原の恩師は断り方が何か他の人と違っていました。麻原を「松本君」と呼ぶ初めての人でした。この先生以外は「麻原が」「あの犯罪者が」と言う人ばかりでした。この先生は、今まで取材した人とは全く違う麻原像を語ってくれるのではないかと直感しました。そのことを率直に話しました。昔雑誌の取材を受けた時、話した内容と記事が全く違う内容になった経験をして以来、先生は取材を一切受け付けなくなったということです。
何も知らない若造が、何も知らないんで教えてくださいとお願いしたのが良かったのかもしれません。先生の思い出にある麻原は、柔道を熱心に練習する元気者、自分のように目が悪い病気の人を助けるため医学部を目指す「松本君」でした。凶悪な犯罪で死刑判決を受けた麻原の別の一面でした。先生に会ったのは5、6回くらいです。テレビでのインタビューは初めてだったと思います。

「長野県警の理系極秘捜査チームが
薬品購入ルートからオウムに迫る」

長野県警は松本サリン事件で第一通報者の河野義行さんを犯人と疑っていたと言われるが、県警の上層部にも隠してオウムに的を絞った秘密の捜査を行っていた。大学で化学を学んだ理系の捜査員チームが、サリンを生成できる薬品の購入ルートを徹底的に洗い出し、オウムのダミー会社が薬品を購入していた事実をつかんだ。その中心だったのが元捜査員の吉池松男氏。4年目の堀之内記者は、その捜査の軌跡を追いかけ、未解決事件で伝えた。しかしこの捜査中に地下鉄サリン事件が発生。全国の警察でオウムへの危機感と情報を共有し生かさなければならなかったという重大な教訓が残った。

社会部記者 堀之内公彦 (ことし長野局から東京の社会部に異動)
取材期間 2012年2月〜5月 平成20年入局
取材の経緯
取材不可能と言われた捜査の中心人物は、少しずつ事件のことを語るようになった

神奈川県警が独自の捜査でサリンとオウムの関係に迫っていたことを未解決事件の取材チームがつかんでいました。長野でも何かでてくるかもしれない。そんな経緯で当時長野県警キャップだった私も取材に参加することになりました。正直、長野県警はえん罪もあってサリンの話には触れづらい雰囲気もあったし、17年前のことで新しい材料が出てくるのだろうかという疑問もありました。参加した時期が2月中旬くらいだったので、5月後半の放送までに時間が無さ過ぎるとも思いました。
インタビューさせていただいた元長野県警の吉池さんについては、「聞きにいかない方がいいよ」、「どやされるだけだ」という警察関係者が多かったのは事実です。その一方、吉池さんは、いろいろな捜査をやっていたので何か新情報があるかもしれないという人もいました。吉池さんに何度かお会いして、神奈川県警がサリンの薬品ルートを追っていたという話をしたら、「俺たちも血眼になってサリンを追っていた」「世田谷のオウムのアジトを探っていたら、オウムに尾行されかけた」という話をしてくれるようになりました。吉池さんがインタビューに応じてくれたのは、えん罪をつくり出した松本サリン事件ではなく、極秘の捜査チームに焦点をあてることが目的だという思いが、足しげく通うことで伝わったからではないかと思います。理系極秘捜査チームがあったらしいということは、いろいろな方への取材で感触は得ていたんですが、吉池さんに取材して、さらに内部資料を入手して事実と確信しました。

想ったこと
えん罪事件に加担するマスコミの怖さ、確証がないときは報道しない勇気が必要

松本サリン事件の第一通報者の河野さんへのえん罪事件はどのようにして起こったのか。警察の捜査手法にも問題がありましたが、それ以上にマスコミの偏った報道が問題を大きくしたと思います。松本サリン事件に関わった警察の元幹部の話がとても印象に残っています。当時自宅に夜回りにきた記者たちに「各社、河野さんが犯人のように書くのはやめたほうがいい。惑わされるな」と話しても、記者たちが「他社が書くなら、ちょっと…」と言って、翌日には河野さんを犯人視する記事が載っていたと話していました。記者なので他社にネタを抜かれたら抜き返すために躍起になる気持ちは良くわかります。しかし確証がないものは報道しない。撤退する勇気も必要です。これから自分が書いた記事が、他の人の人生を変えてしまう恐れがあるということを肝に銘じて、取材していきたいと思います。とくに今は誤報でも、記事はもちろん写真、名前までインターネットで一気に拡散される時代ですから。

「なぜ強制捜査は間に合わなかったのか、
元警察庁刑事局長の初告白」

「なぜ強制捜査は、地下鉄サリン事件に間に合わなかったのか」この疑問にどうしても答えてもらいたい人物がいた。全国の刑事警察のトップ、警察庁刑事局長として、松本サリン事件から地下鉄サリン事件、麻原の逮捕まで、一連の事件の対応にあたった垣見隆さんである。垣見さんは麻原逮捕の翌年、警察を去り、事件について語ることはなかった。入局12年目の清水記者は、度長なる説得の末にインタビューに成功。番組のなかで、垣見さんはトップのみが知る当時の捜査状況と苦悩、そして経験に頼らず想像力を働かせて捜査することの重要性を反省を込めながら語った。

報道局特別報道チーム記者(取材時社会部)
清水將裕
取材期間 2011年12月〜2012年5月 平成11年入局
取材の経緯
どうしてもこの人に語っていただきたい、放送直前にインタビューに成功

未解決事件シリーズは企画の段階から立ち会い、File.01「グリコ森永事件」の取材も担当したので、「オウム真理教」を自分が担当するのは必然だし、やりたいとも思っていましたが、全く勝算はありませんでした。NHKも含めて各マスコミがさんざん取材しましたし、8ヶ月で新事実や新しい証言を得られるか疑問でした。当時の警察庁の捜査責任者である垣見元警察庁刑事局長はNHKを含めて各社がインタビューを申し入れてきましたが、全て断ってきた方です。今は小さな法律事務所に勤めている垣見さんですが、非常に誠実かつきちんと対応していただきました。ずっと年下である私に対しても、常に対等な姿勢で向き合っていただきましたが、当初、インタビューには否定的でした。
大型連休前に番組の構成をディレクターと打ち合わせると構成案には「ここで垣根さんのインタビュー入る」と書き込まれている。捜査トップのインタビューがないと番組として成り立たない。約束は取れていないのに、放送日はどんどん近づいてくるという状況でした。基本的に強い交渉はしません。時間が空いたら、ふらりと立ち寄る。共通の警察関係の方の近況とか、他愛もない話をしては帰る。そういうことを繰り返しているうちに、連休明けに一週間くらい考えさせてくれと言われました。インタビューを収録できたのは放送ギリギリのタイミングでした。

想ったこと
当事者のなかの当事者が語ったこと「想像力の欠如」

オウムの事件に限らないんですが、本当の当事者はなかなか話してくれません。犯罪者側では麻原は一言も語っていない。むしろ周辺にいた人間がよくしゃべる。伝聞を自分のことのように話したり、憶測で話したりすることが多い。当事者のなかの当事者である垣見さんにお話して欲しいということは伝えてきました。いろいろな人がいろいろな話をして、間違って伝わっているという思いは、垣見さんのなかにもあったと思います。17年の歳月の流れも、インタビューに応じようという気にさせたのかもしれません。そういった意味では、今回のインタビューは運がいいというかタイミングが良かったのだと思います。
法改正で広域捜査ができるようになり、サリンを持っているだけで処罰されるようになりました。ただなぜ強制捜査が地下鉄サリン事件に間に合わなかったのか、捜査の本質的な部分での総括はできていないと思います。
「宗教団体が国家テロを起こすかもしれないという、想像力の欠如」垣見さんが話していた、反省の弁は重いと思います。警察、マスコミを含めた日本の社会の想像力や判断力の欠如。これまで起きていないことに対して予防する、先回りして動くということが苦手であり、いまでも日本の組織には前例主義、経験主義が横たわっています。福島の原発事故もその一例だと思います。

「再現ドラマのベースになった、
最古参信者との100時間に及ぶインタビュー」

番組には柱がいる。未解決事件「オウム真理教」の柱のひとつが最古参信者のインタビューだった。このインタビューを元に初期のオウム教団の雰囲気やその後狂い始めた教団内部を実録ドラマで生々しく再現した。またオウムを加害者側から描くという番組の視点にも、元信者のインタビューは欠かせなかった。インタビューを実現させたのは入局9年目の小口ディレクターだった。

報道局ディレクター 小口拓朗
取材期間 2011年8月〜2012年5月 平成14年入局
取材の経緯
取材した元信者の妻がカギを握る最古参信者だった

もともと事件の真相を知る実行犯を再現ドラマの主人公にしたいと考えていましたが、死刑囚との接触は制限が非常に多くスムーズなやりとりができず、最終的に断念しました。事件後に本を出したことのある元信者にツテを頼って接触。メールのやりとりの後で、2011年9月初めに会うことになりました。東京からバスで3、4時間の所です。そこで出会った奥さんが最古参の元信者だったことがわかったのです。なぞの多いオウム初期の暴走のきっかけを見つけることができるかもしれないと思いました。8時間のインタビューを2日連続で行うこともありました。神秘体験やオウムの儀式の説明など、難解なやりとりも多く、最後は意識ががもうろうとしてくることもありました。
かみ合わないやりとり、理解に苦しむ事件の解釈を通じて、「オウムとは何だったのか」「あの事件から何を学んだのか」こちら側が全く答えを持っていないことにあらためて気づかされました。これこそが“未解決”そのものなのではないかと痛感。“オウム事件”という社会現象に対峙するには重要な現場と考え、キャスティング、シナリオ制作を考えるとスケジュール的にギリギリの10月末に、最古参信者とのインタビューを再現ドラマのベースとすることに決定しました。

想ったこと
「なぜ?」「どうして?」疑問の連続だったオウムの追体験

ステレオタイプな犯罪者像にまとめて、せっかくの真相究明のチャンスを台無しにしたくありませんでした。麻原をはじめ加害者側からもオウムを描くことにこだわりました。そうでなければ届かない、見えない事件の実像を描きたかった。そのため、事実を集めることに終始しました。最古参信者との100時間に及ぶインタビューを通して、オウムを追体験することにしました。「なぜ?」「どうして?」「どうしてそんな感情を持つの?」「どうしたらそんな風に考えることができるの?」彼らが当たり前に話すことは、すべて疑問の連続でした。あちら側(元信者)、こちら側(私たち)と線引きしてしまえば、筋も通るだろうし話もスッキリするが、社会との接点は見いだせない。自分たちのこととして自分たちの問題としてオウムを、サリン事件を理解したいと思いました。
番組の完成が近づくにつれて、「加害者の側からオウムを描く」私たちの強い思いは、NHK内部そして外部の方も含めて多くの賛同者、応援者を得ることができました。「NHK でもそんなことができるんだ」とびっくりした弁護士もいました。もっともっと制約があると覚悟していましたが、多くの賛同者に支えられて番組を完成できたことが、一番の喜びです。

「警察の捜査を逃れた700本の麻原彰晃の肉声テープを発見、
動機解明のきっかけに」

冒頭に記したように最初の企画会議でオウムを未解決事件で取り上げることは却下された。そんな中、これまで表に出ていない肉声テープの発見は、提案を通す重要な要素になった。さらにその内容は取材チームには衝撃的なものだった。麻原は衆院選惨敗から社会を逆恨みして、国家転覆を目指したというのが定説だったが、麻原は選挙の前から社会を破壊すると語っていた。裁判の判決でも指摘されていた定説は覆った。この事実に気づいたのはテープを繰り返し聞いていた入局8年目の葛城ディレクターだった。未解決事件では、テープを元に知られざる教団の内部と麻原の破壊願望を追った。

報道局ディレクター 葛城豪
取材期間 2011年10月〜2012年5月 平成15年入局
取材の経緯
来る日も来る日もテープを聞き続ける、意外なテープから麻原の本音が…

先行して取材していた小口ディレクターから未公開の資料があるらしいという情報を聞き、持ち主に接触。持ち主も世の中に役立てて欲しいという気持ちがあり、快く了承。当初、全部聞くつもりはなかったんですが、上司の中村チーフプロデューサーから「全部聞くよね」と普通に言われて、麻原のテープを聞く日々が始まります。本当に苦しかった。正月返上で寒いプロジェクトルームで聞き続けたことを思い出します。聞いても聞いても、仏教用語を繰り返す麻原の説法ばかり。朝から晩までヘッドフォンで聞き続けたせいか、麻原の説法をいくつかマネできるほどに。家に帰って物マネをして家族に心配されました。ただ説法を聞き続けることで、オウムの仕組み、考え方がよくわかるようになり、その後の取材でもおおいに役に立ちました。
事件があった前後とか、教団が拡大した時とか、発見がありそうな時期のテープから優先して聞きました。最後の最後まで核心のテープを発見できず、放送のギリギリまで聞いていました。麻原の本音は、意外なテープから見つかりました。教団創立間もないごく初期の丹沢セミナーのなかにありました。セミナーが終わった後らしく、マイクは切られていてごく内輪に向けてボソボソと語っています。麻原を中心とする宗教王国建設の話です。新しい発見、スクープなのかわからず、検証するのに少し時間がかかりました。

想ったこと
再現ドラマ撮影の現場に立ち会い、役者さん、ドラマスタッフと思いを共有

未解決事件の再現ドラマは、普通のドラマと違って現実に起こったことを可能な限り再現するドラマです。テープを聞き続けたこともあって、オウムの考え方、麻原のしゃべり方などに詳しくなったので、できるだけ事実に近づけるために、ドラマの撮影現場にも基本的に行くようにしました。記者役で主演している萩原聖人さんは「取材ではどういう風に質問するのか」「なぜ、記者はこういうことを聞くのか」など役作りの質問をしてきました。麻原役の古川悦史さんには、麻原の間合い、イントネーションなど細かくアドバイスしました。逆に役者さんの方から「それは信者から見た麻原像ですよね」と指摘を受け、ゆりもどしをしたこともあります。この会合の時は、この幹部はいなかったはずだということで、せっかく来てもらった役者さんに待機してもらうこともありました。不明な点は裁判資料を調べ、元信者にも確認しました。この事実を伝えたいという思いを多くの人と共有でき、番組作りができたことが、とても新鮮で何よりもうれしかったです。もちろん通常のドラマ撮影では、監督の指示のもとに進行し、私たちが介入することなどありえません。
ドラマと報道の相性の良さがわかり、仕事の幅が広がりました。仕事の地平線が新たに広がった気がします。これまで報道ではインタビュー、文章、イメージ映像などで視聴者に想像してもらうしかなかった。それはそれで良さはあるんですが、実録ドラマの圧倒的な表現力は、視聴者の反響からも明らかです。

「放送直前、オウム真理教の死刑囚から
真相告白の手紙が届く」

オウムが地下鉄サリン事件を起こしたのは、警察の捜査をかく乱するため。これは裁判でも指摘されている。ところが取材していた教団の元幹部の井上嘉浩死刑囚から手紙を受け取った入局10年目の新名ディレクターは驚がくする。事件の真の目的はハルマゲドン(世界最終戦争)、つまり麻原の予言を成就するためだったと井上死刑囚は明らかにした。これまでの資料では出てこなかった麻原の恐るべき真意は番組で伝えられた。

大阪局報道部ディレクター 新名洋介
取材期間 2011年11月〜2012年5月 平成13年入局
取材の経緯
徹夜続きの頭には、一回読んだだけでは意味が理解できなかった

井上死刑囚と手紙のやりとりをするようになったのは、2011年の暮れからです。これは私の取材スタイルなんですが、いきなり核心めいた質問を投げかけず、ある程度その人がどういう人物なのかパーソナリティを見極めた上で、核心の質問を投げかけるようにしています。井上が尾崎豊が好きだと言うことは聞いていたので、尾崎豊の話から入っていきました。井上からの手紙は詩だけが書かれていて、最初はとまどいましたが、率直に感想を書きました。そういう見方をしてくれて「ありがとう」という返事が返ってきたこともあります。井上死刑囚がオウムに入信した高校生のころ、非常に早熟な少年で社会問題に関心を持っていたことがわかってきたので、地下鉄サリン事件当時、高校生だった私は社会問題にも興味なく学校にも行かず、毎日ブラブラしていたとも書きました。「なぜオウムはサリンをまいたのか」という核心の質問をしたのは、そういったやりとりをして、お互いにどんな人間なのかある程度わかるようになってからです。
こういう証言が得られたいいなとは思っていましたが、確信はありませんでした。放送の2週間くらい前だったと思います。編集室にこもり徹夜が続いていたころに、その手紙は届きました。睡眠不足でもうろうとしていたので、最初に読んだ時は意味が飲み込めず、二度目にゆっくり読んでみて、意味が脳に浸透していった時、背中がぞわっとしたのを覚えています。「そもそも目的が違う、ハルマゲドン、予言の成就のため」にあんな恐ろしいことをしたと言うのです。放送にギリギリのタイミングでこの要素を番組に盛り込みました。

想ったこと
「オウムに寄り添い過ぎていないか」、上司からの指摘

手紙のやりとりをしているうちに、彼が素朴でまっすぐな性格であることが次第にわかってきて、「なぜこんな純朴そうな男が、あれほど恐ろしい事件に深く関わったのか」率直なところを知りたくなりました。事件のことを本当に知りたい、取材したいと考えた原点だったのかもしれません。放送に向けて編集しては試写を繰り返すんですが、「オウムに寄り添い過ぎていないか」という指摘もあり、試写の度にスタンスが問われました。オウムを異常で特殊なモノとしてフタをせず真正面から理解しようとする作業は、バランスの取り方が難しいことでもありました。こういったやりとりは再現ドラマにも使われています。
苦労したのは元信者たちとの向き合い方です。かつて「世界を変える」と信じた彼らのパワーはすさまじく、全身全霊で向かいました。朝から晩まで話をしてもまだ足りません。別れた後すぐに電話がかかってきて「さきほどの話だけれど、ここが違う」とまた平気で2、3時間話し出します。早朝も深夜も関係ありません。ちょっとでも話を受け流すと「ちゃんと聞いていないでしょ!」と、さらにパワーアップして責めてきます。

2012年5月26、27日
「NHKスペシャル オウム真理教」放送

再現ドラマ放送中から、電話が殺到。高齢者からは「遺族の気持ちを考えろ」「オウムの立場から放送するとはどういうことだ」「思い出したくもない事件をわざわざドラマにするな」など批判的な電話が多く寄せられる。若年層からは「こんな映画みたいなことが17年前の日本で起きたのか」「実録ドラマがとても分かりやすかった」「オウム事件とは、こういうことだったのか初めてわかった」など好意的な意見が寄せられる。またNHKに批判的な意見が多いインターネットの掲示板で「ここまでやるかNHK」という肯定的な評価も多かった。

番組放映直後の衝撃、十七年間逃亡していたオウム指名手配犯の逮捕
番組の放送直後、誰もが予想もしていなかった展開を見せる。残るオウム特別手配犯だった二人、菊池直子と高橋克也が相次いで逮捕された。

CONTENTS 03
なぜ未解決事件なのか? なぜ実録ドラマなのか?

なぜ未解決事件なのか?松岡烈 社会部デスク

未解決事件シリーズは、「重大な事件が解決できないという大いなる失敗から未来への教訓を探ろう」という構想で誕生しました。きっかけは、2010年に時効となった警察庁長官狙撃事件の取材です。警察のトップが狙撃され組織の威信をかけて捜査したはずのこの事件。「クローズアップ現代」の放送に向けて時効の半年前から検証取材を重ねた結果、初動捜査やその後の捜査手法に数々の問題があった実態が明らかになりました。社会に衝撃を与えた事件であっても犯人が捕まらないまま時が立つと、人々の関心は急速に薄れていきます。未解決の事件をもう一度掘り起こして検証することによって、リアルタイムの取材では見えなかった本質や教訓が見えてくるのではないか。凶悪事件の時効が廃止され、警察の捜査も被害者の痛みも終ることがなくなった今こそ、未解決事件を再検証する報道が求められていると思います。

なぜ実録ドラマなのか?中村直文 制作統括・チーフプロデューサー

事件を直接知らない若い世代にどう伝えるかということが、未解決事件シリーズの大きな課題のひとつでした。調査報道によって新しい事実を発見できたとしても、事件そのものを知らなければ、スクープの価値は十分に伝わりません。そこでシリーズ立ち上げの際には、社会部記者たちが書き残した膨大な「取材メモ」に着目して、取材メモをベースに実録ドラマを制作することにしました。オウム真理教の際には、実際に、ディレクターや記者が取材した時の様子をドラマ化。リアリティを追求するため、取材相手とのやりとりや表情、リアクションをセリフやシーンに落とし込み、取材者自身の葛藤や取材相手の感情の揺れなど、事実の羅列だけでは伝わらない、現場の空気感まで再現したいと考えました。これまでの調査報道のあり方に満足することなく、視聴者にどう伝えるかいうことを常に考え、これからも試行錯誤を続けながら努力していきたいと思っています。
NHKスペシャル 未解決事件

CONTENTS 04
記者という仕事・ディレクターという仕事

「現場に取材に行くのが記者で、ディレクターはその情報をもとに番組づくりをする」
と勘違いしている方が多いようです。
いい番組を作るために、記者もディレクターも取材します。
真相を求めて新しい資料や証言者を探して走り回ります。
あえて違いを言えば、記者はテーマ、取材を続けている専門性で解説やリポート、番組に参加します。
ディレクターは、番組という大きな舞台を使って、さまざまな問題を取材して構成します。
ときには記者とディレクターが一緒に取材するケースもあります。
取材した後の仕事の内容が下記のように異なってきます。

  • 記者
  • ディレクター
  • 1. 取材(資料探し・証言者探し)
  • 2. 番組のコメントを考える
    (ニュース原稿・リポート)
  • 2. 番組の構成を考える
    (分かりやすく効果的な演出)
  記者 ディレクター
担当 主にニュース 主に番組
役割 情報取材・リポート 取材・構成・演出
志向 誰も知らない情報 よりわかりやすく
目的 社会に役立つ放送

ディレクター

報道局ディレクター 小口拓朗

学生時代に打ち込んだこと

野球。毎日白球を追っていました。付き合う人間は野球部員60人、会話は単語100個もあれば足りるという、禁欲で閉鎖的な学生生活を送っていました。その反動で広い世界を見てみたくなって、アジア1ヶ月、東ヨーロッパ2、3ヶ月を旅行して回りました。

ディレクターとは?

「捨てがたき人々」、机の上にあったジョージ秋山のマンガのタイトルですが・・・。ディレクターという職業を通じてしか、社会と関われないぐらい、突き抜けている人。人と違うことを求めて、気がつくと、いつもメインストリームから外れている人。そんな猛者の先輩達を見てきました。自分はいつかそうなりたいです。

1995.3.20その時、私は

高校2年生で何もかもがおっくうで、退廃的な毎日を送っていました。地下鉄サリン事件、さらにその後のオウム特集でワイドショーが連日取り上げて大騒ぎになっていたことを鮮明に覚えています。倫理の授業でも、何で若者たちがオウムに入信するのか、話し合われました。誰よりも真剣に考えた記憶があります。学校で一番“向こう”に行きそうな奴だと言われました。

報道局ディレクター 葛城豪

学生時代に打ち込んだこと

メキシコの国境に近いテキサス州の都市エルパソの大学に留学。おかげで7年間の学生生活を送ることに。一番印象に残っているのはアイデンティティという授業です。他の学生は「私はアメリカ人なのかメキシコ人なのかラティーノなのかわからない」と答えているのに、考えたこともなかった私は「日本人です」としか答えられない。いろいろな価値観、考え方があることを実感しました。

ディレクターとは?

本当におもしろすぎて、中毒性があり、やめられなくなる仕事。自分が知りたいことを知り、会いたい人に会い、行きたいところに行き、伝えたいことを伝えるという、自分では遊んでいるとしか思っていないが、毎月、給料が振り込まれていることが今でも信じられない。

1995.3.20その時、私は

大学の入試前で受験勉強をしていました。大阪にいたので、ずいぶん遠い場所で起きた出来事だと思っていました。連日オウム関連の報道が続くなかで、「この人たちの気持ちがわからないでもない」などと言って親をビビらせていました。

大阪局報道部ディレクター 新名洋介

学生時代に打ち込んだこと

新聞社で編集アルバイト。お金が貯まるとアジアへの貧乏旅行の繰り返し。中国、ベトナム、ラオス、マレーシア、インドネシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、バングラデシュ、パキスタンまで。大学に行った記憶はほとんどありません。バングラデシュでは飛行機で知り合った人の自宅に泊めてもらい、1週間くらい電気のない所で生活しました。

ディレクターとは?

とにかく人に向き合うことでしょうか、僕にとっては。偏見でなく、フラットに人となりを見たいという思いが強いです。この人は善い人、悪い人と決めつけずに、個人のパーソナリティを知った上で判断しないと物事の本質は見えてこないと思います。

1995.3.20その時、私は

埼玉の田舎の高校に通っていました。父親が東京に通っていて事故に遭った地下鉄と同じ路線を使っていたので、その安否を気にしながらテレビを見ていました。「何かわからないけれどとんでもないことが起きた」とは思いましたが、事件の真の重大さに気づいたのは大学に入ってからでしょうか。

記者

熊本局記者 齋藤恵二郎

学生時代に打ち込んだこと

小学校から続けていた野球部に所属し、主将をしていました。塾の講師をしていたこともあって、少年問題に興味を持ち、少年院などの施設を見学していました。いつかそういう問題の報道をしたいと思っています。

記者とは?

声をあげたい人が、声をあげたいその時にそばにいる仕事ではないかと思います。熊本にも拉致被害者の家族の方がいて、その担当をしていたことがあるんですが、彼らが一番恐れることは世間から忘れられることなんです。今でも連絡を取り合っていて、少しでも力になりたいと思っています。

1995.3.20その時、私は

小学4年生でした。午前中の授業が中断され、地下鉄サリン事件のテレビ中継がしばらく放送されていました。事件の時ではないですが、「ショーコー・ショーコー」というオウムが選挙に立候補した時のテーマソングのメロディを友達とリコーダーで吹いていて、先生に怒られた記憶があります。

社会部記者 堀之内公彦

学生時代に打ち込んだこと

不登校や引きこもりの訪問支援を行っていました。当時はメンタルフレンドという名称で、話し相手になって、立ち直りの支援を行っていました。進学校に通っていて引きこもりになり、立ち直って自分の経験もふまえて社会に役立つ仕事をしたいと医学部に通っている学生とは、今でも連絡を取り合っています。

記者とは?

何事にも好奇心があって楽しめる人には、すてきな仕事です。頭を使うより、とにかく現場。足でかせげ。いろいろな人に会うこと。かなりの肉体労働です。年を取っても、自分でおかしいと思ったことを伝えることができる、青くさい泥くさい記者であり続けたいと思っています。

1995.3.20その時、私は

千葉市内の小学校に通う4年生でした。発生時刻の午前8時ころは、授業の始まる前で学校の教室にいたと思います。帰宅すると母親が動揺した様子で事件のニュースについて話すので、とんでもないことが起きているのだと思ったのを覚えています。

報道局特別報道チーム記者 清水將裕

学生時代に打ち込んだこと

北海道の大学だったので、ここでしかできないことをやりたくてボブスレー部に入って、肉体と精神の鍛練に励んでいました。スタートダッシュとチームワークでゼロコンマのスピードを争うスポーツです。当時の仲間とは今でも付き合っています。変わり者というか意外性のある人間が多いですね。

記者とは?

記者というのは、仕事ではない。記者というのは、生き方である。特に事件記者は、いつ何時、事件が発生するかわからないので、私生活と仕事を分けるのが難しい。そういう風に考えないとやっていられない。今の部署は「NHKらしくない」「NHKでもこんなニュースを扱うのか」というのがコンセプトなので、それにこだわってやっていきたい。

1995.3.20その時、私は

北海道で大学生でした。東京から離れていることもあって、どこか遠い世界での出来事という印象でした。オウムの奇妙な活動についてはテレビや雑誌で結構見ていましたが、無差別テロを起こす凶悪集団だという認識は全くありませんでした。

ディレクター 記者