福島を愛してる! 西田敏行

ざっくり言うと
2018/09/30 福島発ラジオ深夜便 「俳優 西田敏行」
戊辰150年と「西郷どん」への感慨
ますます強まる郷土愛。命あるかぎり福島の魅力を伝え続けます!

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2018/09/30

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大河ドラマ「西郷どん」の語りも担当している西田敏行さん。
福島県郡山市出身の70歳。高校進学を機に俳優を志し上京しましたが、ふるさととの付き合いは長く続き、帰郷しては幼なじみと交流を深めました。東日本大震災以降は福島の復興のために幅広く尽力されています。
今年(平成30年)春に、旭日小綬章(きょくじつしょうじゅしょう)を、また福島県がインターネットで配信しているPR動画に出演したことなどから、9月に福島県県民栄誉賞を受賞されました。
「西郷どん」の収録直後に伺った、ふるさと・福島への想いです。

まさに大河ドラマ「西郷どん」のナレーションの直後です。

西田さん: そうですね。今、撮り終えてほっとしました。回が進んでどんどんどんどん戊辰戦争に近づいてくるんですけどね、心境としては何となく複雑ですね。いろんな思いがあって。

戊辰150年の今年、福島県でもさまざまなイベントが行われていますが、大河ドラマも「西郷どん」西郷隆盛、そのナレーションというのはやはり感慨深いものありますか。

西田さん: 感慨深いですね。
特に前の大河ドラマ<八重の桜>で戊辰戦争を描いた作品をやらせていただいたので。しかもその時の役は西郷頼母で、言ってみればね、抗った中心人物でもあったわけですけど。でも西郷頼母の思いと、今の「西郷どん」西郷隆盛の思いみたいなもの、やっぱりどこかで日本を良いものにしていこうという気持ちがあっての会津藩の抗いでもあったし、いろいろ複雑ですよね、その当時の人間でなければなかなかわからない気持ちっていうのはあったんでしょうけど。
今こうやって歴史の中に置いて見てみると、戊辰戦争は新しい日本をつくるための大きな通過点だったんだろうなって思います。

平成2年・1990年の<翔ぶが如く>ではまさに隆盛を演じてらっしゃいます。あの時も葛藤があったと聞いていますが。

西田さん: はい。会津系の友達とか、知人・友人とかに聞いてみたら、「西郷だったらいいんじゃないか」と。でも長州の人間はやらないでくれなって言われたんだけど。僕、その前に「花神」という大河ドラマでね、山県有朋(山県狂介)もやっているんですよ。そういった意味では、何かいろいろ思いはありますね。

あれから150年経っていても、本当に会津の人たちは「賊軍」と言われたことに対しての怒りが収まっていませんね。

西田さん: そうなんですよね。やっぱり急に賊軍にさせられてしまったっていうか、そういうふうに貶められてしまったっていう、会津の人間福島の人間としてのプライド、矜持みたいなものを削がれてしまったみたいな思いはどこかにあるんですよね。

今日の収録も、錦の御旗が新政府軍側に立って、本当に賊軍になってしまった、あの瞬間のナレーションでしたが?

西田さん: そうなんですよね。だからちょっとスムーズに気持ちを切り替えることができずに、抗いながら読ませていただいて、それがかえってご覧いただいてる皆さんのなかで、何か納得していただけるんじゃないかなと思いながら録音しました。

NHKの<ファミリーヒストリー>という番組でも、西田さんご自身も鹿児島とすごく縁が深かったということが分かって。

西田さん: そうなんですよ。私、養子なんですけれども、養父の西田家の姓を名乗っている西田敏行の「西田家」のルーツは鹿児島にありまして、しかも鹿児島の鹿児島藩、いわゆる火薬製造をしている…

火薬局の偉い方だったんですよね。

西田さん: 偉い人間だったみたいですね。だから薩英戦争の時にはかなり活躍したんではないだろうかって言われました。しかも、曾祖父は西南の役で少年兵として参加してるんですよね。会津では白虎隊とか思いがありますけど、やっぱり西南の役でも白虎隊に近いような年齢の少年たちも戦ったんだっていうことを思うと、何か複雑ですよね。
だから会津の人たちも、西南戦争で一応、明治新政府軍に抗ったという意味ではお互いの共通項をどこかで見出してくれて、西郷隆盛を演じることを許してくれた…みたいなところはあるのかもしれません。

会津を中心とした福島県の“気質”っていうんですかね、正義感ゆえにあの時は賊軍になってしまったっていう何とも言えない部分ありますけど、今でもやっぱりその気質が受け継がれていると感じられますか。

西田さん: 僕は福島県民の、いわゆる矜持のなかに1つあると思いますね。だから、「世の中どういうふうに新政府が作っていくんだ。どんな世の中を作ってくれるんだ。ちゃんと俺たち見張っているからな」みたいな思いがどこかにあるような気がしますね。

ただ、福島でも浜通り・中通り・会津と、3地域あって、会津魂とはまた違った考え方がある、広い所もありますよね。

西田さん: そうですよね。やっぱり県の面積も広いですからね。
会津の人たちのちょっと意固地な、頑固な気質。会津人の、何というんですかね、ひと言で言っちゃえば「会津の人は頑固だよな~」みたいな感じ。
それから中通りの人は…白河の関を越えて旅人が行き来するという意味では、おおらかっていうか、ちょっといい加減というわけじゃないけれど、やっぱり明るくてね。いろんな人たちに対しての対応の仕方も、わりとちゃんと外面がいいって言うのかな、そういう感じはちょっとしますね。
浜通りの人はやっぱり海に面しているせいか、どっか垢抜けてるような、いろんな文化とか思いを取り入れる、幅広い心持ちを持っている人たちが意外と多いのではないかな、って思いますね。気質としてですよ、あくまで。

そういう中で福島県を代表する、活躍されている人物の一人として西田さんは挙げられますけれども。東日本大震災で大変な思いをした福島県に対して、また違った思いも生まれたんじゃないですか。

西田さん: そうですね。本当にあの震災以降、福島についていろいろ考える、あるいは思うことは多くなって、そのたびに「俺のふるさと福島ってこんなにすばらしい所だったんだよな」って逆に思い返してみたりすることが多くなって、「あっ俺は福島をかなり愛してるぞ」みたいな気持ちはね、どんどんどんどん強くなってきましたね。震災以降今年で8年目に入るわけですけど、言ってみればますます福島に対する郷土愛ってのが深まってきた感じがしますね。

どんな所で思いが増していくんですか。

西田さん: やっぱり一番多感な時期、少年期を福島の自然の中で育ったっていうことが、大きな大きな要因だと思いますね。あそこで育んだ自分の情操といいますか、思いというか、そういったものが今の私の人としての…骨となったり、血となってるんだということを実感します。
東京で暮らしていて、しかも役者を生業として暮らしてて、役を考えたり、あるいは作品の目的を考えたりなんかりすると、またどっかで福島的発想っていうか、思考をどこかで持ちながら役に挑んでる感じが、最近しますね。特に強くなってきましたね。

でも若い頃は役者を目指すために福島弁にならないようにということで、早くに東京出ようと上京されてますけど。

西田さん: そうなんですよ。だからね、本当にあの頃の私は福島に対してはごめんなさいっていう言い方をしたくなるほど、やっぱり福島から離れよう離れようとしてた時期がありましたね、確かに。

高校から東京に上京されて。

西田さん: 要するにバイリンガルになりたかったんですよね。標準語もきれいに話せて、なおかつ福島弁も話せるようになれば、ずいぶんと役者としての懐が深くなるんじゃないだろうか、あるいは引き出しが多くなるんじゃないだろうかみたいな気持ちでね。まだわずか15歳でそういう発想に至ったわけですから、役者をやりたい、なりたいっていうその情熱は、本当に人一倍あったような思いはあるんですけれども、そのために随分と福島の郡山の友人からも遠ざかってなるべく話さないようにしてたみたいな時期がありましたので、今思うとごめんね、って謝りたいですね。

うちの父も猪苗代出身でして、高校まで福島にいて、その後上京して、結局関東で最後亡くなったんですけど、福島弁は抜けなかったので、西田さんの選択は正しかったんじゃないかっていう気もしますが。

西田さん: やっぱりね、県内にいるとどうしようもなく、むしろ標準語で話すことが恥ずかしいぐらいの気持ちだったし、僕らの頃はね。今はもう若い人たちはテレビやラジオも発達しているし、耳がよくなって、標準語っていうのは浸透してますけど、僕らのころはまだまだラジオ世代で、テレビは本当に各町に5、6軒あるかな?ぐらいの感じでしたからね。ラジオで育った人間としては、耳でラジオを聴いていて、放送劇も聞いていたんですけれども、やっぱりしゃべると、友達との会話の中ではほとんど福島弁で済ましていましたね。

役者生活50年を過ぎまして、今年の春には旭日小綬章、更に福島県の県民栄賞を受賞されました。

西田さん: 本当にありがたいっていうか、あの…なんて言いましょうかね、こそばゆい感じもしないでもないんですけれども、本当に栄誉っていうかね。福島県にどれほど僕は貢献しているか分かりませんが、でも福島を愛しているっていうことに関しては、人一倍負けないつもりでおりますので、私の仕事を通して、福島のことをもっといろんな人に理解してもらおうっていう形での行動、動きはいつもしているつもりなので、それに対して褒めてくださったお褒めの賞かなっていう部分でいただこうと決意しました。
この間、今年の3月11日に、NHKのBSスペシャルという番組で<福島タイムラプス 震災7年目の映像詩>という番組が放送されたんですけど、それ見た時にね、あそこに出てくる登場人物もさることながら、福島の美しさ、福島県という自然がすばらしいし、出てきた皆さんの福島県民としてのなんちゅうか…矜恃、そういったものをいっぱい感じて、大変感動しました。すばらしい、本当に。あの方たちにも、県民栄誉賞があればなっていうふうに僕は思います。

本当に3月11日を境にガラッと福島の見られ方も変わりましたし、県内に暮らす人々の生活も本当に不安のなかで暮らさざるをえなくなってしまった。あれから7年たっても、まだその部分がぬぐいきれないところもあって。

西田さん: あります、あります。いわゆる放射線量の問題とかっていうことになると、これはもう1日とか2日とか、何ヵ月単位じゃないですからね、相当な年数という感じで、何年かに渡ってのスパンで考えていかなきゃならない問題だし、このことと堂々とちゃんと立ち向かえる、この県民たちの心根、そういったものに対して本当に敬意を表したいと思います。
福島県で今、頑張って暮らしてらっしゃる皆さん、あの原発事故以前は、本当に穏やかな人たちの暮らしがあった。そこに、不慮のああいう事故によって、とにかくいろんな意味での苦労・苦難を強いられている皆さんの立ち向かい方、暮らしへの立ち向かい方が本当にすばらしいと思います。頑張ってらっしゃるなと思うし、頑張ってるっていうそういう簡単な言葉じゃなくて、なんて言うんでしょうね…堂々とその状況をちゃんと受け入れながらも、ちゃんとしっかり抗っているという、やっぱり戊辰戦争につながるかもしれないけど、福島県民の矜持みたいなもの、とても感じますね。

この7年間ずっとそれぞれに頑張ってきて、結構平穏になってきましたし、農産物、それから漁業も、すごく安全にもなってきている。観光地ももう大丈夫だってことなんですが、発信力がちょっと弱いところもあって、まだ全国的には福島大丈夫なの?って思われてしまっているところが多い。
西田さんのような発信力のある方に、全国放送のラジオのなかで「福島大丈夫なんだよ。いいところなんだよ来てよ」っていうのを大大宣伝していただきたいんですけど。

西田さん: 本当に頑張りましょう。命ある限り、対外的に福島の魅力をすばらしさをいっぱい、いっぱい伝えたいと思います。

今、ラジオを聞いてる方で福島どんなところが一番いいかなって、どこ行ってみようかなって思ってらっしゃる方に、ここがいいからっていうのはありますか?

西田さん: いやぁ~ともかく温泉の宝庫ですからね。まずいろんな温泉行かれてみてください。
それから歴史を好きな方は1度会津にいらっしゃって、会津の人たちの気質に触れていただいて、「会津の三泣き」って言葉があるんですけども、会津って本当にこんな厳しい所来てしまったってことで泣いて、会津の人たちの優しさに触れてまた泣いて、それで今度、別れる時には、別れるのが辛くて泣いて、みたいな会津の三泣きってあるんですが、これなんかも実際に旅に来られて体験されたらいかがですかね。会津も冬の厳しいときに来られて、温泉に入っていただいてですね、それでちょっと会津の人たちの優しさにふれていただいて、それで別れる時はちょっと別れ難いっていう気持ちになっていただける、ようなところもあるし。
中通りのちょっと猥雑なんですけれども、とっても人当たりがよくて、みなさん柔らかく迎えてくださる、中通りにも温泉がいっぱいあります。
また浜通りのちょっと粋なっていうかな、また違う文化がありますので、これはこれで楽しんでいただきたいなと思います。

野球では深紅の大優勝旗が白河の関を越えるかって今年もまた大きく盛り上がりましたけど、また越えられなかった。是非観光の方々、白河の関をひょいと越えて、みちのくの入り口、福島に入っていただきたいです。

西田さん: 本当入っていただきたいです。今、帰宅困難区域のところまでも車は入ることができますし…どうか原発事故が起きると、こういうことなんだよっていうことも、関心がある方には見ていただきたいんです。家々が蟄居閉門(ちっきょへいもん)みたいに閉ざされてまして、何だろう…何とも言えない冷たい空気の町、暮らしていた町がこんなにもひそやかに、ひっそりとあるのか、人が暮らしてない町っていうのもご覧になって、これ以上原発事故が起きないようにするためにはどうしたらいいだろうという思いに至っていただければな、と思いますね。
逆に言えば、本当にそこでいろいろ考えていただきたいです。原発は日本各地にありますから、これは福島県の問題ではないと、日本の問題なんだっていうふうに考えをしていただければ、と思います。

怖いから遠ざかるんではなくて、現実をしっかり来て見ていただきたいですね。暮らせない部分もまだありますけれど、生き生きと暮らしている地域も広くあるので、そこをしっかりと正しく見ていただきたいっていうのはありますよね

西田さん: そうです。そしてご自分のあの町にも、もし原発があるんでしたらば、本当に原発のことについてしっかりと思いを致していただいて、これからの日本の先を見据えていいこうじゃありませんかって言いたいですね。

そういったことを広く伝えていくためにも福島県出身の西田さんに全国でご活躍いただく。是非、これからも健康に留意されて頑張っていただきたいと思います。

西田さん: 頑張ります。

お忙しい中、ありがとうございました。

西田さん: とんでもないです、ありがとうございました。

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