安室奈美恵引退の日特番~未来へ~ Vol.01 1990年代、デビューから小室哲哉さんプロデュース時代

ざっくり言うと
ゲスト:音楽ライター・安室奈美恵オフィシャルライター 早川加奈子さん
リポートゲスト:安室さんのバックダンサーチームのリーダー YUSUKEさん
濃密だった小室さんプロデュース時代、そして休業によって自分と初めて向き合った1年

エンタメ・音楽

2018/09/16

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平成の歌姫、安室奈美恵さんが歌手活動から引退されるその日に、ラジオ第1で放送したのが「安室奈美恵引退の日特番~未来へ~」。安室さんの25年間の軌跡を、数々の名曲と貴重な証言で振り返りました。リスナーの皆さんと一緒に、安室さんの門出を祝って3時間のラブレターを送りたい! そんな気持ちから始まったこの番組。最終的に皆さんからお寄せいただいたラブレターは9592通。リクエストは150曲以上にも及びました。放送中のツイートで、皆さんが私たちと一緒にこの時間を過ごしてくださっているのが手に取るようにわかり、スタッフ一同、本当に励まされました。改めて御礼申し上げます。

今回の番組では、安室さんを支え、一緒に作品を生み出してきた方々からの貴重な証言を、その当時の音源にのせて数多く紹介しました。新鮮な驚きに満ちた内容だったのではないでしょうか。では改めて、3時間の内容を各時間ごとに振り返っていきたいと思います。「安室奈美恵引退の日特番~未来へ~」“読むラジオ”バージョンをお楽しみください!


午後1時台 1990年代、デビューから小室哲哉さんプロデュース時代

【午後1時台スタジオ出演】
ゲスト:早川加奈子さん(音楽ライター・安室奈美恵オフィシャルライター)
進行:奥村奈津美(フリーアナウンサー)

【午後1時台沖縄リポート】
ゲスト:YUSUKEさん(安室さんのバックダンサーチームのリーダー)
リポーター:大橋拓(沖縄局アナウンサー)

1時台のセットリストはこちら!

1) ラストライブの余韻が残る沖縄のリポートからスタート!

奥村アナ: こんにちは。フリーアナウンサーの奥村奈津美です。安室奈美恵さん引退の日です。私自身、中学生の頃から安室さんの大ファンで、これまでずっと安室さんを道しるべにしてきました。この引退の日に感謝の気持ちを込めて自分にできることはないかと考え、一年かけて今日この放送に辿り着くことができました。番組の進行を担当します。どうぞよろしくお願いいたします。そして今日は、この方のお力を借りて番組を進めていきます。音楽ライターの早川加奈子さんです。よろしくお願いします。
早川さん: よろしくお願いします。
奥村アナ: 早川さんは、2003年から安室さんのインタビューを担当されて、これまで100回ぐらいは?
早川さん: そうですね。それぐらい。
奥村アナ: インタビューされてきたと。2008年から2016年までは安室さんのオフィシャルライターとして、作品のレビューや雑誌の記事を手がけられてきました。
早川さん: はい、幸せです。
奥村アナ: 安室さんの素顔に接して、私たちに安室さんの今を届けてきてくれたっていうことですけれども。
早川さん: だといいんですけどね。でも本当に素敵で面白くて可愛らしくて強い方なので、それが言葉で表現できてたらいいなと思ってます。
奥村アナ: 今日は安室さんの魅力についてたっぷりと伺っていきたいと思います。さあ、今日は安室さんのふるさと、沖縄の様子もお伝えしていきます。大の安室ファン、沖縄放送局の大橋拓アナウンサーです。

(左:大橋アナウンサー・右:ダンサー・YUSUKEさん)

大橋アナ: はい、こちら安室さんの新たな旅立ちの日をお祝いするイベントが行われている沖縄県宜野湾市の公園に来ています。今日は本人の出演はイベントにはないというふうにあるんですけれども、もう朝からですね、数万人のファンの方がこの公園には詰めかけています。そして昨日はこの公園の隣になる沖縄コンベンションセンターで安室さんが最後のステージに立ちました。実はですね、私もファンクラブの抽選で本当に幸運なことに当選しまして、昨日ステージを見たんですけれども、安室さん全部で8曲歌って、最後の最後には「皆さん本当に本当にありがとうございました」とファンの皆さんに手を振ってステージを去って行きました。はい。そしてなんとですね、実は今私の隣にその最後のステージにも立った安室さんのダンサーチームのリーダーYUSUKEさんに来て頂いています。よろしくお願いします。
YUSUKEさん: よろしくお願いします。
大橋アナ: YUSUKEさん、傍から見てて最後の安室さんのステージのようす、どんなふうに見えました?
YUSUKEさん: 本人が皆さんを呼び込んだときに。
大橋アナ: 出演者の皆さんを呼び込んだときですよね?
YUSUKEさん: はい。それうちらも前から見ることはできないんで、後ろから見てたんですけれども、何かこう沖縄のアーティストの人たちが奈美恵さんのためだけに集まってっていう何かこう…。後ろから見るとあったかい感じに見えて、すごいことなんですけど、何か不思議な感じに映ったというか、何か深いものがあったなというのがありましたね。
大橋アナ: 安室さん自身も最初から本当に笑顔でパフォーマンスをしてて、やっぱそのあたり沖縄でっていう嬉しさもあったのかなというふうに見えたんですけど、YUSUKEさん、どのように感じました?
YUSUKEさん: やっぱり最後この地を選んだっていうことで、本人も沖縄で始まって沖縄で終わるみたいな。何かそれがいいのかなっていう。うちらもそれが本当に何か、うん、良かったなっていう感じですかね。
大橋アナ: YUSUKEさん自身も安室さんのダンサーチームに入って14年で、昨日がその安室さんのダンサーとしても最後のステージだったわけですけど、今はどんな気持ちですか?
YUSUKEさん: 正直やっぱり寂しい気持ちはありますね。でもそんな気持ちになっててもあれなんで、うちらはやっぱり本人が気持ち良く歌って踊ってもらうために、色々な面を引き出したりとかしなきゃいけないので。最後は自分たちダンサーみんなそうなんですけど、もう本当に気持ち良く笑顔で送り出せたなっていう、最後のステージを。そうですね、それができたと思います。
大橋アナ: 安室さん、今日で引退ということですけれども、最後に伝えたい言葉というのはありますか?
YUSUKEさん: ありがとうとしか言いようがないというか、本当に感謝してるっていう感じですかね。
大橋アナ: ダンサーチーム皆さんの気持ちが昨日は伝わるステージでした。本当にありがとうございました。
YUSUKEさん: ありがとうございました。
大橋アナ: ダンサーのYUSUKEさんでした。ここまで沖縄の宜野湾海浜公園からお伝えしました。

2) 1992年9月16日に「ミスターUSA」でメジャーデビュー! 「ちょっと目が離せない“特別な感じ”がしました」

奥村アナ: ツイッターでも「まさかのYUSUKEさんラジオ出演」「YUSUKEさんキター!」といただいてますけれども、昨日の今日でありがとうございます。沖縄の様子については後程またお伝えします。

この番組では安室奈美恵さんの25年間を振り返っていきます。
1時台は1990年台。デビューから小室哲哉さんのプロデュース時代。
2時台はセルフプロデュースが始まった2000年台。
そして3時台はライブの魅力と、引退への思い。
まさに平成の時代を駆け抜けた歌姫、安室さんの軌跡を時代を分けてお送りします。

1977年9月20日、沖縄で生まれた安室奈美恵さん。
1992年9月16日に発売された「ミスターUSA」、この曲でメジャーデビュー。
当時、中学生でした。その安室さんの輝きはデビュー前から違っていたそうです。
そう証言するのは、安室さんのヘアメイクを26年間担当してきた中野明海さんです。
デビュー前の安室さんに初めて会った時の印象をお伺いしました。

▽インタビュー:中野明海さん(ヘアメイクアップアーティスト)
「どこからどう見てもお顔がちっちゃくってかわいくって、手足が長くて、ちょっと目が離せないっていうか。どうやっても奈美恵ちゃんを見ちゃうんですよ。止められない吸引力があって、それって、神様が与えた才能のようなものなんだろうなと思います。あまりにも特別な感じがしたので、売れることというよりもすごく特別な人を沖縄で見てしまったっていう感じはしました。で、私はいつもご本人にいってるのは、私、ファン第一号だと思うんだ!多分みたいな。ちょっとそれは自負しております。笑」

奥村アナ: デビュー前に安室さんのファンになったということで、ファン一号!本当に鮮明に当時の衝撃を覚えているとおっしゃってました。
早川さん: 明海さんはいつも本当に安室さんのことを「可愛いね。カッコイイね」って言いながらメイクされてて、それを見てる私たちも本当良い気分になるんですけど。取材をする度に心の中で私も「可愛いな」って毎回思ってました。
奥村アナ: やっぱり実際に見るとその衝撃っていうのはテレビや雑誌で見るのとは全然違うっていうことなんですかね?
早川さん: そうですね。大人の女性なんだけど、やっぱり可愛いです。

3) 小室哲哉さんプロデュースの始まり

奥村アナ: NHKに初めて安室さんが出演したのは、このデビューの翌年から放送が始まった「ポップジャム」という音楽番組でした。安室さんは、バックダンサーや司会のアシスタントも務めました。その番組で初めて歌った自分たちの曲が「DANCING JUNK」。安室さんご本人も「ポップジャムでの一番の思い出」と話しています。
奥村アナ: この曲はNHKテレビアニメの「忍たま乱太郎」のエンディング曲だったんですけれども、この「DANCING JUNK」を歌った2年後、安室さんはNHK紅白歌合戦に初めて出場します。その曲が、小室哲哉さんプロデュースの「Chase the Chance」。この小室哲哉さんプロデュースの時代について、安室さんが先日、NHKでの最後のインタビューで振り返ってくれました。先週放送の朝のニュース情報番組で収録されたインタビューよりお聞きください。

▽インタビュー:安室奈美恵さん
「小室さんにプロデュースしていただいた時期っていうのは、本当にすごく忙しくて、次から次へと新しい新曲が、次はこれ出します。次はこれ出しますっていう形でレールが敷かれていたので、その敷かれたレールの上をきちんと走って行くっていうことだけにとにかく集中してて、失敗しちゃいけない、脱線しちゃいけないっていうので、まっすぐ進む、ひかれたレールを、とにかく私はここを脱線しないように進むんだっていうのに必死でした。それだけで必死でした。いろんなことがめまぐるしく流れていった時間を濃厚に過ごして、いろんなこと勉強させてもらって、いろんな経験もして、あっという間だったけどすごく楽しくて、濃かったなって。あの時に経験したことっていうのは、絶対に今の自分にも生かされていると思うので、すごい時代だったなって思いますね。90年代というか、その時の小室さん旋風は濃い時代だったんじゃないかなって思います」

奥村アナ: 小室さんプロデュースの6年間。1年の休業があるので5年ぐらいの間になりますけれども、シングル16枚、アルバム4枚。本当に驚異のスピードで次から次に新曲出てましたよね。
早川さん: そうですよね。当時並行して小室さんが色んなプロジェクトをやってらしたので、すごくお忙しかったらしくて。安室さんもすごく忙しかったので、ほとんどおしゃべりをしたことがないらしいんですね。でも「SWEET 19 BLUES」だけは特別に事前にお話して、おふたりで。で、そこから生まれた曲っていうのを聞いてすごく感動した記憶があります。
奥村アナ: あれだけたくさんの新曲がね、出てヒットする。私の中では当時中高生だったので文化祭で踊ったりと、もう歌って踊るの原点だったような。
早川さん: 当時アメリカではR&Bの女性シンガーたちは、ダンスをして表現するってことがあったんですけども、日本であれぐらいの歌唱力とハイレベルなダンスを1人で表現するっていう女性アーティストは、安室さんだけでしたし、今でももしかしたら(彼女だけなのでは)と思います。

4) 元祖アムラーは、安室さん本人だった!?

奥村アナ: 90年代の安室さんの人気ですけれども、本当にすごかったですよね。安室さんのファッションを真似たアムラーが社会現象にもなりました。このアムラーという言葉は1996年の新語・流行語大賞にもノミネートされましたね。
早川さん: 奥村さんもアムラーだったんですよね?
奥村アナ: アムラーを目指して、校則の範囲内で頑張ってました。なりきれなかったけど。笑。このファッション、ヘアメイク、アムラーどのように生まれたのか、ヘアメイクアップアーティストの中野明海さんにお伺いしました。

▽インタビュー:中野明海さん(ヘアメイクアップアーティスト)>
「彼女が本当に、例えば細眉といわれる眉は、誰かにいわれて細くしてたわけじゃなくて、彼女が自分でああいう形に整えてたんですよ、最初から。で、髪のメッシュなんかも自分でヘアメイクさんにやれといわれてやってるわけじゃなくて、ご自身でサロンでやってたわけで。厚底も、奈美恵ちゃんがすごく気に入ってはいてた厚底のブーツがあるんですけど、それとか彼女がわりとスタジオ入りするとき、どっかいくときに普通にはいてたもので、渋谷の街にそっくりなコピーがばーと売り出されたりしていたので、彼女が本当に発信源。誰かが作ったスターじゃないという感じがすごくしましたよね。(アムラーはご本人の素でできたファッションスタイル?)そうですね、そう思います。もちろんそのあと、バーバリーのスカートとかスタイリストさんが用意したものだったとしても、チョイスを最終的にしているのは彼女だから、彼女発信だと思います」

奥村アナ: 安室さんが元祖アムラーだったと?
早川さん: 彼女は自分が好きなものを着ていただけだったので、ちょっと不思議な感じがしたって、そうおっしゃってました。
奥村アナ: 確かに自分と同じ格好の人が街中にいっぱいいるってすごいことですもんね。今ではなかなかあり得ない光景というか。
早川さん: そうですよね。
奥村アナ: すごく素敵な思い出です。実はこの時代をプロデュースしていた小室哲哉さんも当時の安室さんについてこのように語っています。1999年1月に総合テレビで放送した「安室奈美恵21歳の挑戦」より、お聞きください。

▽インタビュー:小室哲哉さん(音楽プロデューサー)
「僕は、正直自分が助けてあげられているものは、音楽のメロディだったり、サウンドの今と彼女との接点、今の音楽と。提示しているだけ。彼女の、安室奈美恵というもの作りあげる力というのは、彼女が自分でプロデュースしてると言って間違いない」

奥村アナ: 安室さんの復帰直後に放送された番組での小室さんのインタビューなんですけれども、この時代からセルフプロデュースの芽があったということになりますね。
早川さん: そうなりますね。たぶん当時の小室さんの中には安室さんが好きだったR&Bの要素っていうのはなかったと思うんですね。ただ、小室さんはすごく研究熱心な方なので、ご自分のスタイルの中にR&Bを取り入れて、奈美恵ちゃんをたぶん笑顔にさせたいっていうような優しい気持ちで、後に名曲をたくさん産んでいったんじゃないのかなって推測してます。

5) 横浜Fマリノスの中澤佑二さんからのラブレター「安室さんがいなければ、プロサッカー選手にはなっていなかった」

奥村アナ: ここでラブレターを1通ご紹介します。スポーツ界きっての安室ファン。横浜Fマリノスの中澤佑二さんからです。日本代表として2度ワールドカップにも出場した中澤さんのメッセージを、中澤さんのリクエスト曲「Don't wanna cry」に乗せてお送りします。

▽インタビュー:中澤佑二さん(横浜Fマリノス所属・プロサッカー選手)
「あの当時、「ドンワナ」が出てててCDが出る1ヶ月くらい前にブラジルに行ってしまったんですけど、友達が、テープに安室奈美恵さんの「ドンワナ」を入れて、ブラジルまで送ってくれたりとか。その時は、カセットテープが擦り切れるまでずっと聴いてたっていうのもあったし。恥ずかしいですけど、安室さんのポスターをベッドの横に貼って苦しい自分を勝手に安室さんのポスターに励まされたり、今となってはいい思い出。ブラジルでプロになって、Jリーグでプロになって、いつか安室奈美恵さんに出会えるように。恋心もプラスして、笑。そういうモチベーションで頑張っていたと思いますね、その当時は」

「ライブを見ることで、本当のプロの姿勢はこうなんだなっていうのを教えて頂いたっていうのはあります。ファンのために、見にきてくれる人のために、そこまで、  一生懸命やらなくちゃいけないんだなって。安室さんってただでさえすごい人なのに、それでも努力をして完璧なステージを作り上げている姿を見せて頂いて、プロサッカー選手としてサポーター、見に来てくれてるお客さんのために、全力でプレーしなきゃ行けないって改めて考えさせて頂いたのはありますよね」

「安室さんがいたからプロサッカー選手になれたと思っているし、プロサッカー選手になってからもこうして40歳になっても走り続けてこられたのも、安室奈美恵さんの存在が大きかったのかなと思っています。曲聞いて励まされたり、ライブ行ってプロの姿勢を教わったり、安室さんを見て、歌を聴いって、中澤佑二という人間が経験させて頂いて豊かになって行くというのは、本当にありましたので、感謝の気持ちがたくさんありますよね」

奥村アナ: プロサッカー選手の中澤佑二さん、照れながらも安室さんへの愛を語ってくださいました。

6) モデル・俳優の香里奈さんからのラブレター「安室ちゃんを見習って余計なことを言わずやることをやっていく」

奥村アナ: 続いてこの方からもラブレターを頂きました。

▽インタビュー:香里奈さん(モデル・俳優)
「こんにちは、香里奈です」

奥村アナ: 小学生の頃からファンだというモデルで俳優の香里奈さん。この曲に、特別な思いがあるそうです。

▽インタビュー:香里奈さん(モデル・俳優)
「「SWEET 19 BLUES」は、小室さんの歌詞と安室ちゃんのその時の心情がすごく表れている曲なのかなと思って、私が好きな歌詞があって。「世の中カッコつけなきゃいけなくて、それよりかっこよくなきゃいけない、もし飛び出るんだったら」という歌詞があって、そこは安室ちゃんにすごくあってるのかなと思って、そういう思いできっと寡黙に頑張ってたのかなと思うと、私もこういう仕事を始める時に、自分で自分を頑張ってる頑張ってるって言わないで、ちゃんと芯をもって頑張りたいなと思ったし、見習いたいとこだなってすごく思ってきました」

「今まで10代から応援させていただいて、ファンでいれたことを誇りに思うし、安室ちゃんという存在はこれから絶対出てこないと思うし、安室ちゃんのような方は。だからほんとによかったな楽しかったなという思いでいっぱいだし、これからも安室ちゃんが引退した後でも、安室ちゃんを感じながら生きていきたいと思うし、やっぱり、多くを語らない方なので、自分もそういう、余計なことは言わずにやること自分の中でやって、そういうしっかりとした芯をもって意思を持って頑張っていけば、いつかどこかで安室ちゃん見てくれてたりするのかなとか。今までそうやって元気をくれていたし勇気をくれていたので、今度はファンから、ファンたちから安室ちゃんの今後の人生に幸せなことだったり元気だったり勇気だったり、今度はファンから返していけたらいいなと思いますよね」

奥村アナ: モデルで俳優の香里奈さんからのラブレターでした。10代の思い出の曲ということで、この曲。そして「Love Story」もご自身にとっては大切な曲と話していらっしゃいました。

7) 人気絶頂での休業について「自分と初めて向き合った1年だった」「女の人は、みんなキレイなお姫様なんだよ」

奥村アナ: 小室さんプロデュース時代を代表する1曲、そして安室さんの最大のヒット曲となったのが「CAN YOU CELEBRATE?」。この曲も「SWEET 19 BLUES」と並んで、小室さんのプロデュース時代の曲の中で、最も多くのリクエストを集めました。
奥村アナ: 安室さんは20歳の時、この曲を「紅白歌合戦」で歌い、産休に入りました。そして翌年の「紅白歌合戦」でも、この曲を歌って復帰しました。その休業中の1年間について、今年6月に総合テレビで放送した「ニュースウオッチ9」のインタビューで初めて語ってくれました。

▽インタビュー:安室奈美恵さん
「向き合いました。初めて向き合いました。嫌っていうほど。でも1年間休ませてくださいって言ったのは自分だったので、復帰するわけにもいかず、焦っている自分と向き合って焦って。初めてとことん自分と向き合った瞬間だったので、すごく成長した一年でした」

奥村アナ: デビューからずっと走り続けてきた中で初めて1年間自分と向き合ったと。
早川さん: この時期に「焦っても仕方ない。自分をとことん見つめる。人と比べない」っていう、安室さんの”奈美恵イズム”が形成されたんじゃないのかなと思います。この時期の話をうっかり忘れて話してると「私専業主婦だった時代もあるんですよ」って毎回言われていて。いつも忘れちゃってて、目の前の安室さんがあまりにも可愛いから。
奥村アナ: 確かに。お子さんがいるっていうのを感じることがあまりない。
早川さん: そうなんですよ。お子さんももちろんですけど、奥さんだったっていうのもあんまりなくて。
奥村アナ: そうですね。この母としての自分について、去年11月にテレビで放送した番組「告白」の中でこのように語っていました。

▽インタビュー:安室奈美恵さん
「色んな感情のコントロールの仕方とか、感情の入れ方とか、存在の大きさというのは、やっぱり息子がいたから、感じられるものだったので。今の私のものの考え方、見方っていうのは、息子の存在があるからこそ今の考え方、ものの見方になっているので、あの時、息子を出産していなかったら、多分ぜんぜん違う安室奈美恵がここに座っているか、座っていないか、だと思います」

奥村アナ: お子さんの存在が大きかったということですけれども、早川さんがインタビューする中でも息子さんの話ってしたことありますか?
早川さん: はい。本当はもうかなり出てたんですけれども、当時安室さんは自分の音楽だけに皆さんに集中して欲しいっていう思いがあったので、お家の話はその時はNGだったんですね、雑誌に書くことは。色んな話をした中で一番印象的に残ってるのが、「(息子に)女の人はみんな綺麗なお姫様なんだよって言ってた」っておっしゃってて。世界中の息子を持つお母さんが奈美恵さんだったらいいのにって、当時現場の女性編集者の中で大盛り上がりした記憶があります。

安室奈美恵引退の日特番~未来へ~ 2000年代、セルフプロデュース時代

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