【読む将】佐藤天彦九段に元・乃木坂46の伊藤かりんが迫る(前半)

ざっくり言うと
やんちゃな少年時代。ネット将棋では若き渡辺三冠とも連戦
羽生善治さんから名人を奪って防御して、ようやく一人前に
2020/02/11 王手!最後のお願い

エンタメ

趣味・カルチャー

2020/02/11

放送を聴く
2020年2月11日(火)放送より

記事を読む

【出演者】
伊藤さん:伊藤かりんさん(将棋親善大使、元・乃木坂46)
佐藤さん:佐藤天彦九段


将棋界の“貴族”、天彦九段

伊藤さん: こんにちは、伊藤かりんです。2月11日ということで新年明けて1か月たってしまったのに驚いておりますが。
さて、<王手! 最後のお願い>、シリーズ3回目を迎えました。番組タイトルの「最後のお願い」とは、劣勢の棋士が終盤にわずかな逆転の望みを懸けて放つ勝負手のことです。過去2回は、渡辺三冠や木村王位、羽生九段など、スター棋士をお招きしてたくさんお話を伺いました。本当にスター棋士ばかりなので緊張するかと思いきや、私あまり緊張しないタイプなので、すごく楽しくできました。

今回はまたスター棋士、そして「将棋界の貴族」をお呼びしておりますので、あんなこと、こんなことを聞いていきたいなと思っております。というわけで、きょうのゲストはこの人です。

佐藤さん: 棋士の佐藤天彦です。よろしくお願いします。
伊藤さん: よろしくお願いします。天彦先生、ラジオは経験はございますか?
佐藤さん: 2回か3回はありますね。
伊藤さん: あ、結構あるんですね。天彦九段には、私も将棋連盟のフットサル部で何度かお会いさせていただきまして、「天彦先生」と呼ばせていただきますが、その理由も、将棋界は「佐藤さん」が多いんですよね。
佐藤さん: そうなんですよね。佐藤姓が異様に多いんですよね。
伊藤さん: 今どれぐらいいらっしゃいますかね?
佐藤さん: 7人か8人、それぐらいだと思うんですけど。
伊藤さん: 会長(日本将棋連盟会長・佐藤康光さん)もそうですし。そんなにいらっしゃるんですね。
佐藤さん: 一時期、四段から九段までコンプリートしたときがあると思います。
伊藤さん: 各段にいらっしゃる?
佐藤さん: 今は分かれていると思うんですけど。
伊藤さん: ファンの方からも「天彦先生」と呼ばれることが多いですか?
佐藤さん: そうですね。確かにあまり「佐藤先生」と呼ばれないかもしれないですね。呼んでいただくこともありますけれども、結構公私問わず下の名前で呼んでいただくことが多いです。
伊藤さん: 「佐藤さん」が多いのと、「天彦さん」という、特徴的なお名前なのでね。
佐藤さん: それはある気がします。

伊藤さん:
さあ、そして「将棋界の貴族」と呼ばれる天彦先生。きょうもファッションがすばらしいですね~。

佐藤さん:
面と向かって言われるとより照れくさいんですけど。

伊藤さん:
ラジオだからお伝えしづらいんですけれども、ストライプのベストからの、スーツも着てらっしゃって。スーツにボタンがたくさん付いていますね。

佐藤さん: 袖のボタンが7個付いていまして。

伊藤さん: 私、あまりスーツは分からないんですけど、普通いくつぐらい付いているものですか?
佐藤さん: 一般的なのは4つです。3つとか5つは結構あるんですけど7つは珍しいとは思います。
伊藤さん: こだわりなんですか?
佐藤さん: 西洋の近世とか中世のファッションだと、ボタンを装飾的に使うことが多かったと思うんですけれども、それをイメージして、飾りとしてたくさん付けてみるのはどうかな、という感じで。
伊藤さん: もちろんオーダーメードで?
佐藤さん: オーダーメードですね。
伊藤さん: このあと佐藤天彦九段の棋士人生や名人3連覇の激闘秘話をご紹介します。そのあとは気になるプライベート。“貴族”と呼ばれる天彦先生のファッションや、こよなく愛するクラシック音楽など、そのこだわりをお聞きします。後半では番組恒例のプレゼント企画があります。
佐藤さん: 詰将棋をご用意しました。正解者の中から抽選で3名の方に私の色紙をプレゼントします。
伊藤さん: 番組ホームページにある詰将棋のページに解答の応募フォームがあります。番組の中で正解を発表しますのでチェックしてみてください。
※2020年2月18日(火)14時締切

やんちゃな少年時代、未来の夢は「名人」

伊藤さん: 佐藤天彦九段は、1988年福岡市生まれの32歳。18歳でプロデビューされ、名人を3期獲得するなどトップ棋士の1人としてご活躍されています。早速天彦先生の棋士人生を振り返っていきましょう。将棋はいつ覚えられたんでしょうか。
佐藤さん: 5歳ぐらいのときです。母が将棋の本を買ってきてくれまして、それで一緒に覚えるという、ちょっと変わった覚え方でしたね。
伊藤さん: お母さまは将棋をされていたわけではない?
佐藤さん: してなかったんですけど、なぜか将棋の本を買ってきて。別の本でも不思議ではなかったと思うんですけどたまたま将棋の本だったので、それで覚えて夢中になったという感じです。
伊藤さん: 何歳ぐらいまで福岡にいらっしゃったんですか?
佐藤さん: 中学卒業までですので、14歳ぐらいまでいたんですけれども。
伊藤さん: どんな少年でしたか?
佐藤さん: うーん……。どんな少年でしたかね。結構、小学生時代とかはやんちゃだったと思いますけど。
伊藤さん: 意外ですね。今は気品あふれる上品な感じがするので。やんちゃ?
佐藤さん: 学校帰りに家に帰らずにそのまま将棋道場に行ったり。真面目に勉強するのかと思いきや、同年代の子どもさんが来ていたら公園に野球しに行くとか、駄菓子屋に行くとか。そんな感じで常に遊びに精を出していたというか。
伊藤さん: プロはいつごろ目指されたんでしょう。
佐藤さん: 奨励会というプロの養成機関を受けたのが9歳のときです。その少し前に師匠の中田功八段に弟子入りをしていまして、8~9歳ぐらいのときだったかなと思いますね。
伊藤さん: そんな小さいときに、「絶対プロになろう」と?
佐藤さん: そうですね。奨励会というプロの養成機関には年齢制限があって、基本的に26歳までにプロ四段にならないといけないんです。この年齢制限があるので、結構強い子どもがいたら「君、プロになるの? どうなの?」みたいな空気が周りにも自然とできてくるんですよね。それで自分も意識し始めて、「このままプロになって戦いたいな」という、自然な気持ちでした。
伊藤さん: 小学校の卒業文集に、とあることを書かれていたと?
佐藤さん: 「未来の夢は名人」と書いたんですけど。
伊藤さん: かっこいい~。
佐藤さん: そうですか? 結構こういうことを書いている人、いると思いますけど。
伊藤さん: いや、私の学校は大体「お金持ち」とか。
佐藤さん: ああ~、お金持ち。立派な夢じゃないですか(笑)。
伊藤さん: 「名人」というのは具体的ですよね。
佐藤さん: 実際どこまで具体的に考えていたのかは分からないですけど。でも将棋界でトップといえば、名人はその中で最初に思い浮かぶものの1つなので、小学生の自分にも印象的だったんでしょうね、文集に書いたということは。
伊藤さん: プロ・名人を目指す道のりを番組のホームページに掲載していますのでご参考ください。
名人になるまで結構大変だと思うんですけど、何年ぐらいかかるんでしたっけ?
佐藤さん: 名人になるまでの道のりは結構長くて。プロ四段になっても、C級2組からA級まで5クラスあるんですね。C級2組に上がったらC級1組。上がったらB級2組。次はB級1組で、その次がA級。A級で優勝して初めて名人に挑戦することができて、七番勝負で勝つことができれば名人になれるということなんですが、1つのリーグにつき1年かけますので、プロになってから最低でも5年はかけないと名人に挑戦できないという。
伊藤さん: 飛び級はできないんですか?
佐藤さん: 飛び級なしです。だからどんなに強くても、それこそ最近話題の藤井(聡太)くんでも、1~2年で名人に挑戦することは制度上できないということなんですよね。
伊藤さん: それぐらい大変だというのは、小さいときには知っていたんですか?
佐藤さん: 知っていたと思うんですが、あまり意識はしてなかったと思います。
名人というのは、近づけば近づくほど遠く感じるようなもので。特にプロになったときは、あまりにもピラミッドの頂上が遠いので、名人になるのは現実的な目標という感じではなかった気がします。憧れではありましたけれども、「まずはC級2組を抜けないと」という切迫感のほうが強かったですね。
伊藤さん: 小さいときだからこそ、漠然と目標として言えた。それぐらい大きなもの?
佐藤さん: それはあると思います。

ネットで渡辺三冠に挑んでいた10代のころ

伊藤さん: プロの養成機関である奨励会時代のお話をお伺いしていきます。18歳でプロデビューするまで10年かかって卒業されたということですけれども、どんな修業時代でしたか?
佐藤さん: ひと言で言うと「いろいろあった」という感じです。小学生のときに奨励会に入って、将棋道場で趣味で指している空気とは違うんですよね。みんな青春をかけて、プロになるために奨励会に来ているわけでして、趣味の時代のようにのびのびはできないというか。
福岡から通っていたので、交通費や宿泊費が自費で、自分でお金を出していたわけじゃないですけど、親が出していたので。地方出身者に共通する気持ちだと思うんですけど、「1勝2敗じゃ帰れない。最低勝ち越し」みたいなところが目標で、「1勝2敗」だと「前に進んでいる」という感じではないので「最低勝ち越して帰らないと」という不退転の決意で、当時からプレッシャーの中でやっているところはありました。もしかするとそれは、最初から近郊に住んでいる人とはちょっとメンタル面で違うところかもしれないですよね。
伊藤さん: 「中学時代からネットを通じて渡辺明三冠と親しくなる」とありますが、これはどういったことでしょうか?
佐藤さん: 僕、小学生の時代からネットを使って将棋をいろんな人と指していたんです。
伊藤さん: その当時からあるんですね、ネット将棋。
佐藤さん: 今みたいに便利じゃなくて、Wi-Fiもないですし、電話回線みたいなので1か月1万円近くとか、これももちろん親が出していて結構高額な時代だったと思うんですけど。その時代からネット将棋がありまして、その中の「将棋倶楽部24」はネット将棋の道場みたいなところなんですけど、そこで渡辺三冠と出会うという。
伊藤さん: すごい出会いですね……。
佐藤さん: お互いハンドルネーム、匿名でやっているので、最初は相手が誰か分からないんです。僕も渡辺三冠とは知らなくて。
渡辺さんは当時高校生で、四段とか五段だったと思うんですけど、「えらい強い人がいるな」という感じでした。僕、強い人と指すのが好きだったのでよく指してもらっていたんですけど、あるとき渡辺さんだということを教えてもらったんですかね。すごく驚いた。もっとベテランかと思っていたんですよ。すごい強いし、手厚い将棋というか、10代の棋士という軽々しさみたいなのがまったく感じられなくて。だからもっとベテランの人かと思っていたんですけど、年齢も3~4歳しか違わない渡辺さんだったということは、すごくびっくりしましたね。
伊藤さん: それは驚きますよね。「まさか!」となりますね。
佐藤さん: まさかでした。でも渡辺さんは僕のことを師匠の中田から聞いていたみたいで、あるときから、佐藤天彦が指していることは気づいていたみたいで。
またその中で、渡辺さんとチャットをし始めて。普通に10代同士の会話をしてました。渡辺さんはアイドルとか好きだったんで、モーニング娘。の話とか聞いたりしていましたけど。
伊藤さん: それ、「興味ないな」とか思ってなかったですか?
佐藤さん: 僕はあまり見てはいなかったですけど、学校でみんなで歌ったり踊ったり、自分は踊っていなかったですけど(笑)、女子が踊っていたりしたので分かったんで、「渡辺さん、誰が好きなの?」みたいな感じで。
伊藤さん: トレンドでしたもんね。
佐藤さん: かなりムーブメントだったんで。10代同士のくだけた話も結構してました。

「【詰む将】トップ棋士・渡辺明三冠の素顔に元・乃木坂46の伊藤かりんが迫る!(2019/10/14放送)」の記事はこちら

16歳、プロになる権利を一度放棄した理由

伊藤さん: 奨励会時代の天彦先生には、注目された出来事がありました。2004年、16歳のとき、1度プロになる権利を得たのに放棄。これはどういう状況だったんでしょうか。
佐藤さん: 当時、奨励会の三段リーグに所属していたんですけれども、基本的に半年に1回リーグ戦が行われまして、上位2名がプロになれるんです。3位に入ると次点というのがつきまして、次点が2回たまると、特別クラスみたいな感じのフリークラスに入れるんです。
伊藤さん: C級2組の下にあるものですね。
佐藤さん: C級2組から入らないということは、名人に至るまでのピラミッドの外にいるような感じで、少し特殊なクラスではあるんですけれども、条件を満たせばC級2組に上ることができるという、いわばC級2組と奨励会三段の間のようなポジションに位置しているんです。それでもプロはプロなんで、基本的にはこの次点2回という形を取るとフリークラス入りができるようになって、それを行使するのが普通なんですけど、そのときの僕は放棄したということなんです。
伊藤さん: だって、これ、前進はしているわけじゃないですか。
佐藤さん: そうですね。前進していますね。
伊藤さん: 前進したくないですか?
佐藤さん: そうかもしれないんですけど、当時の僕からすると、16歳だったんですけど、フリークラスに入ってから10年以内にC級2組に上がらないとダメだという規定があるので、奨励会の年齢制限も26歳で、制限としては同じ10年というのが共通しているな、というのがありまして。
プロになって戦うことのメリットはものすごく大きいと思うんですけれども、逆に、「三段として、まだしっかりプロの力がついていないんじゃないか」というのもありました。特に2回目の次点、2回目に3位に入ったときは、最終日に上がり目がなかったんです。10勝6敗で最後の日を迎えたんですけれども、確かすでに上がる人がほとんど決まっていた状態で、「自分はここで上がるんだ」みたいな強い決意を持って指していたわけでもなく、いつもどおり淡々としっかりと1局1局指すという感じで2連勝を取って得た次点だったということもあるんです。
プロになることが特別であるからこそ、「覚悟も実力もない状態でなるのもどうかな」というのもありまして。年齢制限的にも同じ10年ですし、自分の中では同じぐらいのところなのかなという感じで師匠に相談して。師匠も戸惑ったみたいですけど。
伊藤さん: いや~、戸惑いますよ。
佐藤さん: どっちもあったと思うんです。「どうすれば……」というのと、「どうしましょう?」みたいな。師匠も悩んでくれて、「奨励会に残ったほうがいいんじゃないか」という結論を出されたみたいで。アドバイスも聞きながら、最終的には放棄する決断をしたという感じでしたね。
伊藤さん: その決断ができるのがすごいですけれども。

28歳で名人戦、相手は羽生善治さん

伊藤さん: 奨励会時代を経て、天彦先生は2006年に18歳でプロデビューされました。デビュー戦から9連勝。そして2016年、28歳のときにA級順位戦で1位となり、名人戦の挑戦者となりました。プロ入りから10年。どんなお気持ちでしたか。
佐藤さん: 最初のC級2組で4年かかっていたので、C級2組を抜けたのが22~23歳だったんですけど、そこから28歳で名人に挑戦できるとは思わなかった。逆に言うと、C級2組を抜けてからが割合早く昇級できたんですけれども、信じられない気持ちもありましたし、あまり現実の存在として意識していなかった名人に挑戦ということで、うれしかったですし、せっかくのチャンスなのでいい将棋を指して結果を出したいという気持ちは強かったです。
伊藤さん: 結果はどうだったんでしょう。
佐藤さん: 相手は、当時の羽生名人だったんですけれども。
伊藤さん: いやあ、緊張しますね。
佐藤さん: 羽生さんというのは私たちの世代にとってはすごく特別な人でして。子どものころから活躍されていますし、「羽生、7冠達成!」というのをテレビで生で見ていた世代です。ファンの間でも「誰が羽生さんを倒すんだ?」みたいな感じで。
私たちの世代は、渡辺さんも含めてかもしれませんけれども、「羽生さんをいかに倒すか」を宿命づけられているところがあったので、いよいよ羽生さんと名人戦を戦うということで、かなり意識しました。バクバクする気持ちもありましたけど、結果を出したいという気持ちは強かったです。この時点ですでにタイトル2回挑戦して2回とも失敗していたので、「3連続失敗したくない」というのはありまして。ここはかなり結果を出したいところでしたね。
伊藤さん: そして4勝1敗で名人獲得。4勝3敗とかではなく4勝1敗というのは、いい結果ですよね。
佐藤さん: ただこれ、1局目に負けまして。このとき僕自身がすごく不調だったんですよね。公式戦で6連敗してたんですけど、「第2局に向かうに当たって、かなりドラスティックな改革をしないといけないかな」という意識がありまして、当時、2~3年ぐらいはやっていなかった「矢倉」という戦法をいきなりぶつけました。あまりうまくいかなかったんですけど、終盤で粘ってなんとか勝てたというのが、この七番勝負の第2局でした。そこから流れが変わって4連勝することができたので、2局目を境に4連勝したというのがすごく印象に残っています。
伊藤さん: 流れって、七番勝負には重要だと言いますもんね。
佐藤さん: 1勝できるかどうかで、気持ちもだいぶ違いますからね。

名人戦で防衛、「一人前になれた」

伊藤さん: 2016年に名人を獲得されて1年後、2017年は挑戦者として登場した稲葉(陽)さんを相手に勝利。そして2018年は羽生さんの挑戦を退け、名人を3連覇されました。私が将棋の仕事をするようになったのが2015~2016年あたりなので、私の中ではずっと「名人=天彦先生」というイメージなんですけど、この3年間を振り返って、いかがですか。
佐藤さん: 名人になれたのがすごくまず大きくて。初タイトルでもありましたし、かなり環境も変わって、棋士としてもまた別のものが出てきましたね。ただ、将棋界は防衛をしないと一人前と見なされないところがありますので、稲葉さんとの防衛戦はそういうところを意識しましたし、そこで防衛できて、なんとかタイトルホルダーとして一人前になれたかな、というところがありました。
3連覇目は相手が羽生さんということで、羽生さんから名人を取りはしたんですけれども、羽生さんから防衛するというのはまた別の価値が将棋界にはあります。将棋界というか、ファンの方々が見ているような気がしていたので、それができて3連覇ということで、かなり自信になりました。
幼少期からの「羽生さんを倒す」みたいなところでいうと、まだまだタイトル3期、羽生さんと戦ったのは3回で少ないですけど、名人を取ってまた防衛できたということで、1つ果たせたのかな、という意識もありました。
伊藤さん: 名人になると「公務」がいろいろあるじゃないですか。忙しかったですか、やっぱり?
佐藤さん: 結構違いましたね。時期もあると思うんですよ。当時まだ、藤井くんも出てきていなかったし、羽生さんの世代以外で名人になった人としては久しぶりだったということもありまして、注目していただいたのもあるのかなと思います。最初のほうは取材も多くて、相当慌ただしい1~2年間でした。でも名人として将棋界で過ごせるということが一番幸せなことなので、大変だった部分も、今振り返るとすごくいい経験をできたなというのがあるので、かけがえのない3年間でした。

<【読む将】佐藤天彦九段に元・乃木坂46の伊藤かりんが迫る(後半)>へつづく

放送を聴く
2020年2月11日(火)放送より

Recommended Articlesおすすめ

Latest新着

トップページへ戻る