山びとの生き方 谷口けい

23/02/04まで

石丸謙二郎の山カフェ

放送日:2023/01/28

#登山#ネイチャー

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23/02/04まで

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登山を趣味とし、山を愛する石丸謙二郎さんが「山」をテーマに、さまざまな企画をお届けする<石丸謙二郎の山カフェ>。今回のテーマは「山びとの生き方 谷口けい」。2015年に他界したけいさんは、ヒマラヤで初登はんルートを開くなどの活躍をした登山家です。けいさんの友人だった山岳ライターの大石明弘さんにお話をうかがいました。

【出演者】
石丸:石丸謙二郎(俳優・ナレーター)
山本:山本志保(NHKアナウンサー)
大石:大石明弘さん(山岳ライター)

自分への挑戦を続けた谷口けいさん

山本: きょうは「山びとの生き方」谷口けいさん。2009 年に初めて女性でピオレドール賞を受賞した方。その人生をうかがっています。

けいさんが初めてのヒマラヤで7000メートル峰を踏破したということもありましたが、一方で「ギリギリだった!」という命を失うかもしれないような挑戦ってあったのでしょうか?
大石: インドの6000メートル峰、シブリンという山なんですが、行く前からこれは無理だろうと僕は思ってました。数年前に海外の一流クライマーが登って話題になったシブリン壁があったのですが、そこに行くとけいさんが言ってまして、誰もがそれは無理だろうと。とりあえず行ってちょっと登って無事に帰ってきてくれればいいなという気持ちだったんですね。

石丸: これは平出和也さんと一緒に?
大石: 平出と一緒にです。
りょう線に出るまで岩と雪のミックスの壁がずっと続くんですよ。登り始めてしまったら休むところがないような壁で。どう見てもこれ無理だろうと思えるところだったんですね。
山本: そこに入って挑戦をしたと。
大石: 実際にけいさんに対しては「お前なんか登れない」って言ってる人も結構いたみたいなんですよ。ただ、けいさんはそれを持ち前の明るさで出発までそういうのを気にしてるそぶりは全く見せず、そして登っちゃったんですよ。
山本: でも命の危険とかあったんじゃないですか?
大石: あったと思いますね。
山本: 例えば、判断ミスとかなかったですか?
大石: 僕は帰ってきてから知ったんですけど、軽量化のためにシュラフ(寝袋)を持っていってなかったんですよ。
石丸: 岩壁で何泊したんだろう?
大石: 1週間以上してますよ。
石丸: マイナス何10度で……シュラフなし?!
大石: 軽量化のためにシュラフなしで。シュラフカバーというペラペラのビニールみたいなのあるじゃないですか? あれは持ってたんですけど、シュラフなしで。テントの中で凍えながら暮らしたと思います。
山本: 無傷で済みました?
大石: 一緒に行った平出は凍傷で足の指を失いました。けいさんも切るか切る直前の凍傷になってて、手と足の指は真っ黒になってました。
山本: 命からがら。
石丸: 平出和也さんはカメラマンもやっていて。そのときも撮影してたんですよね。
大石: そうですね。平出はそのころから撮影に対する情熱もあったので撮影しています。
山本: これからその撮影の音声をお聴きいただきたいと思います。2005年、インドのシブリン北壁に挑む様子です。
平出: やりました。本当にすばらしいルートから登頂することができましたね。
谷口: 来ちゃったよ。シブリンの頂上。
平出: 北壁はどうだった?
谷口: 「お前なんかに登れるわけがない」って言われていたんだよね、日本でね。登れないかもしれない、死んじゃうかもしれないって日本を出る前は思っていて。 でも見るだけでは違うよなと思って。でも自分にだからできることがあるって絶対信じていて、北壁を見たときに「絶対登れるラインがあるはずだ」って思ったんだよね。私たちだから登れるルートがここにはあるなって、「見えた!」みたいなのがあってさ。取りついたら楽じゃなかったけど、でも自分のできる限りの力を出せた気がする。

最高だった! シブリン最高! 登らせてくれてありがとう。本当にありがとうございました。
山本: マスターいかがですか?
石丸: 目の前にいるような気がしてね。亡くなったってことが信じられないんだけどね。
山本: 私は「登らせてくれてありがとう」って涙ぐんでいる声がすごく印象的で、感極まったかとすごく手に取るように伝わってきたんです。謙虚さも伝わってくるし、でも一方で「お前なんか登れるわけないって日本で言われてたんだ」を山頂で言うっていうことはよっぽど気にしてたんだろうし、喜びが伝わってきますね。
大石: 本当に石丸さんがおっしゃった通り、ここにけいさんがいるんじゃないかと僕も思います。
壁を下から見上げたときの威圧感ってすごいんですよ。日本の山ではないような圧倒的なスケールで空に向かって壁が伸びてるんですよね。そこに一歩踏み込めるか踏み込めないかって、自分自身を本当に信じていかないと入り込めない世界なんですよ。そこに踏み込んでいって、その壁を抜けて山頂まで立ったときは、今の音声で感じられるように感極まるものがあったと思いますね。

山本: 大石さんの本には、ザイルパートナーの平出和也さんがけいさんへの信頼を語った言葉がつづられています。マスターお願いします。
石丸: けい以外のパートナーだったら、平出はシブリンに挑戦しなかったのだろうか。
「そうですね、シブリンだけでなくその後の山もそうです。僕はシブリンのベースキャンプで弱音を吐いてたんですよ。こんな怖い、世界のトップクライマーが来るような壁にきてしまった。大丈夫なのかな。そんなことを言っても、けいさんはいつも、やってみなければわからないという姿勢でした。だから僕たちはベースキャンプから出発できたのだと思います。」

『太陽のかけら ピオレドールクライマー谷口けいの青春の輝き』より
山本: 命を預ける相手ってどうでしょうね? 私、恋人でもできないんじゃないかと思うんですけど、自分が命を預けるに値する相手だって言うのは得難いことですね。
大石: 特に極限状態では本当にパートナーを信頼しないと前には進めないんですけれども、おそらく平出はけいさんのことを完全に信用してたと思いますね。
石丸: いつも「やってみなければわからない」という考え方。僕もどちらかというとその考えなんですよ。
大石: 社会から与えられた評価とか枠組みを全く気にせずにやってた人で、けいさんのそういった姿勢に影響を受けてビジネスをやったり、自分のやりたいことをやってる人は多くいますので、けいさんはそういった人たちにもすごく影響を与えていましたね。

山という枠組みにとらわれてなかったので、自分から「登山家」とか「クライマー」って名乗ったことは一度もなかったんですよ。
石丸: 自分を何者だと思っていたんだろう?
大石: けいさんは「山を登る旅人」って自分のことを何度か言ってたんです。グレードみたいなものを全く気にしなかったし、「自分はクライマーなんだ」って発言は全くなかったです。

ただ、「もっと強い人間になりたい」とは何度か言ってましたね。
石丸: 弱い自分を作り変えるんだというような。
でも彼女の旅は旅どころじゃないんだけど、それでも彼女の中では旅だったんだ!
大石: おそらく辺境の山に行けば、日本とは全く違う暮らしをする辺境の村があるわけで。そういったところでも、本当に彼女は楽しんでいたので。
どうしても登山って未踏峰を目指すときってその1点に集中しちゃうじゃないですか? けいさんはアプローチまでも楽しんで、明るい性格で人と接していたので。
山本: 探究心すごいですよね。好奇心のかたまり。

登山をアートとして捉える

山本: 2008年に大きなターニングポイントを迎えます。固い信頼関係で結ばれたザイルパートナー平出和也さんとインドヒマラヤ7756メートルのカメットの南東壁を初登はん。このときけいさんは35歳でした。この登山で翌年ピオレドール賞を受賞し、国内外で名前を知られるようになりました。
石丸: この表彰式に和服を着て行かれた写真が報道されて。
そうなると普通鼻が「ピノキオ」みたいになると思うんですけど、けいさんはどうでした?
大石: 「ピオレドールをとれてよかった」ということは一度も言ってなかったですね。話題にすらしてなかったと思います。
ただ現地でいろいろな世界各国のトップクライマーが集まるので、「その人たちと出会えて良かった」と話していました。その出会いのことしか話してなくて、受賞してもらった黄金のピッケルはどうだみたいなことは一度もなかったですね。
石丸: 持って帰ってどこに飾ったんでしょうね。
大石: どこに飾ってるという話すら全く。たぶん飾ってなかったと思いますよ(笑)。人に貸しちゃってたかもしれないですね。
石丸: 昔、オリンピックで金メダルを取った方でそういう方はおられた。「メダルは別にいいよ。持ってく?」って。感覚的にはそれに似てるのかな。
大石: おそらく権威的なものとか、賞を取ったことによって生まれてしまうヒエラルキー的なものがむしろ嫌いだったと思うんですよ。だから話すことなかったんじゃないかな。けいさんはおそらくヒマラヤで厳しい登山をやっても、順位とか優劣を競いあうものではなくて、芸術とかアートのような形で捉えてたんじゃないかなと。
山本: といいますと?
大石: けいさんの言葉であるんですけれど、「山というキャンパスを相手に自己表現をすること。それは、描いたり、創り出したり、奏でたりする表現者と同じこと」って講演会で言ってたんですよ。まだ登られていないヒマラヤの壁がキャンパスだとしたら、自分達でどんなラインを描いていくか、それは1つのアートだと思ってたと思いますね。
石丸: アートか……。
大石: 特にカメットの南東壁でけいさんと平出が登ったルートは山頂に向かって一直線に伸びてます。ラインそのものが彼女がどうやって生きてきたか、どのような経験を積んできたか、どのような気持ちを持って山と接してきたか、それを表現するアート、芸術作品だったんじゃないかと僕は思います。
石丸: その後、そのルートを誰かがやはり登り続けているんでしょうかね?
大石: 登られてないですね。
石丸: それほど難しいんだ!
山本: けいさんと平出さんのとっておきのルート。それほど難しいルートなんですか?
大石: 難しさもあるんですけど、あの壮大な山に初めてラインを引こうと思ったことがすごくて。2番目に登るのはちょっと意味合いが違っていて……。そこに自分達だけのオリジナルなラインを引いてあげようという初めての人と、けいさんより早くスマートに登ろうみたいな対抗心で登る2番目以降とはちょっと意味合いが違うんですよ。

そういった意味で初めてラインを見つけて登ったのは難しい、難しくないじゃなくて、表現なんじゃないかなって思うんです。
石丸: 例えば作曲家が0から曲を作るみたいな。0から作るって大変ですか?
大石: 名曲を作って自分で歌うのと、コピーしてアレンジして歌うのと違うじゃないですか? 気持ちの入れ方も初めて作った人と違うものになってるかもしれないし。
石丸: 山ってそうなんですね。
改めて教えられているような気分。アーティスティックな部分があるんですね。
大石: けいさんは始めからそういう気持ちで取り組んでいたと思いますよ。
山本: 意地悪な質問だったらごめんなさい。自分がけいさんの家族であったらお願い行かないでって気持ちもあって。命があって帰ってきたから称賛されるけれど、死んだらもとも子もないじゃないですか? 無鉄砲さと挑戦の境目ってどこに引いたらいいんでしょうかね? 命あっての物種と思うんです。その境目ってけいさんは意識してました?
大石: けいさんは山と自分の関係を常にずっと観察しながら見てて、自分と山が友達になれたら登ろうという形だったんです。けいさんの中では無謀ではなくて、自分の感性と能力で行ける範囲の線引きが必ずあったと思います。無謀なことをやってるように見えて、本当に山では慎重な人でした。
石丸: ほかの人にロープ1個の結び目でかなりきつい言葉を言うとかね。
大石: 僕も何度も一緒に日本の山に行ったんですけど、僕はズボラなほうなので、ちょっとぐらいここだったらいいだろみたいな形で省略した部分があったんですけど、「大石くんそれダメだよ。山では“ちょっと”はないから」という形でいつもグサグサグサグサいろいろ言われてました。いいじゃんと思うんですけど、けいさんの言うことは正論なので、なかなか反論できなかったですね。
山本: 単なる弾丸娘ではないですね。慎重さも兼ね備えているからこそ。
大石: 慎重でしたね。
山本: 一緒に登った大石さんだからこそご存じだと思いますけれど、そういう面もあった方なんですね。

番組では、写真や番組へのメッセージ投稿お待ちしております。また、最新の放送回は「らじる★らじる」の聴き逃しサービスでお楽しみいただけます。ぜひ、ご利用ください。


【放送】
2023/01/28 <石丸謙二郎の山カフェ>

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