チャールズ・チャップリンは、イギリスの出身で1889(明治22)年4月16日の生まれ。1977(昭和52)年12月25日に、88歳で亡くなりました。実生活でも悲劇と喜劇を生きたチャップリンの絶望名言を、頭木弘樹さんが読み解きます。(聞き手:川野一宇アナウンサー)
【出演者】
頭木:頭木弘樹さん(文学紹介者)
チャールズ・チャップリンは、イギリスの出身で1889(明治22)年4月16日の生まれ。1977(昭和52)年12月25日に、88歳で亡くなりました。実生活でも悲劇と喜劇を生きたチャップリンの絶望名言を、頭木弘樹さんが読み解きます。(聞き手:川野一宇アナウンサー)
【出演者】
頭木:頭木弘樹さん(文学紹介者)
人は圧倒されるような失意と苦悩のどん底に突き落とされたときには、絶望するか、さもなければ、哲学かユーモアに訴える。
チャップリン(中里京子訳『チャップリン自伝 栄光と波瀾の日々』より)
♪(BGM) 「マンドリン・セレナーデ」 映画『ニューヨークの王様』より
――今回はチャップリンです。代表作に『キッド』『黄金郷時代』『街の灯(ひ)』『モダン・タイムス』『独裁者』『殺人狂時代』『ライムライト』などたくさんありまして、喜劇王とも呼ばれますね。
頭木:
ひと言でいうと喜劇王ですが、細かくいうと肩書がたくさんありますよね。
――映画俳優、映画監督、脚本家、映画プロデューサー、作曲家……、いろいろ並びます。
頭木:
最初はイギリスの舞台で活躍する喜劇役者だったわけですが、アメリカで映画に出演するようになって、そこから自分で脚本を書くようになり、自分で監督して編集もして、さらに自分のスタジオを持って製作もするようになり、ついには音楽まで自分で作曲するようになったわけです。
――楽譜を読んだり書いたりはできたんですか。
頭木:
できなかったみたいです。ハミングしたりピアノを弾いたりして作曲して、それを編曲の人が楽譜に写していたようですね。
――今回は名言とともに、チャップリン映画の名曲を、チャップリン自身が作曲したものを中心にお届けします。冒頭でおかけした「マンドリン・セレナーデ」は、チャップリンの作曲です。ミッシェル・ビラール指揮、ミッシェル・ビラール・オーケストラの演奏です。
頭木:
チャップリンが亡くなる5年前の録音で、チャップリン自身もほめたらしいですね。今回おかけする映画音楽は、すべて同じ演奏からです。
――チャップリンは、多才で完全主義でもあったんでしょうね。
頭木:
『街の灯』という映画では、チャップリンと花売り娘が最初に出会うシーンがあるんですけど、700回以上撮り直しをして、OKが出たのは最初の撮影から約1年後というんですから、すごいですね。
ウッディ・アレンなどはチャップリンの映画について、「千年たってもおもしろさは変わらない」と言っています(ドキュメンタリー映画『チャーリー・チャップリン ライフ・アンド・アート』より)。
――チャップリンの初期の作品は白黒で無声映画ですが、今見てもおもしろいですよね。
頭木:
昔、誰だったか偉い映画評論家さんが、「笑いは乾いていなければいけない。泣かせる映画はレベルが低い。チャップリンより、キートンのほうがはるかに上だ」みたいなことをおっしゃっているのを聞いて、「そういうものなのか……。チャップリンは泣かせるから、レベルが低いんだなあ」なんて思ったこともあるんです。
そしたら別の評論家さんが、「今でこそ『笑いあり涙あり』というのは普通だけれど、ひとつの映画の中に喜劇と悲劇を両方入れたのは、チャップリンが最初だ」とおっしゃっていて、それを聞いて今度は、「最初にやったというのは、やっぱりすごいんじゃないか」と。
僕はそうやって人の意見でころころと評価が変わっていたわけです(笑)。今はもう、そういうこととは関係なく、とにかく自分が見て、「いい映画だなあ」としみじみ思います。
――冒頭でご紹介した名言「人は圧倒されるような失意と苦悩のどん底に突き落とされたときには、絶望するか、さもなければ、哲学かユーモアに訴える」、最初に読んだとき、シェークスピアかと思いました。
頭木:
そういう感じもしますね。
人生のどん底に突き落とされたとき絶望するのは当然として、そこから「人はなぜ生きるのか」みたいに哲学的になったり、ユーモアの方向に行く場合もありますよね。キルケゴールもこんなふうに言っています。「ユーモアのなかには常に苦痛が隠されている」。
――チャップリンもユーモアに訴えたわけですね。チャップリンは「喜劇王」ですから、「絶望名言」に合うのかなとちょっと思ったのですがそれはあさはかな思いで、絶望とも関係があるんですよね。
頭木:
そうですね。チャップリンは例えば子ども時代も、たいへんつらい思いをしています。
人生はクローズアップで見れば悲劇、ロングショットで見れば喜劇。
チャップリン(頭木弘樹訳「The Guardian」London,Dec.28,1977より)
♪(BGM) 「スマイル」 映画『モダン・タイムス』より
頭木:
これは、チャップリンが亡くなったときに新聞の追悼記事の中で引用された言葉です。この言葉は私、自分の本でも何回も引用しているんですけれど、人生で何回、「ああ、本当にそうだなあ」と実感したかしれません。
前にもお話ししたことがあるかもしれませんが、二十歳で難病になって初めて入院したとき、私の病気はひどい下痢をしてしまうので点滴がつながったままトイレに駆け込むのが大変で、点滴台を担いで走っていたんです。そうしないと間に合わなくて漏らしてしまうので。すると廊下にいるお年寄りたちが言うんですよ、「若い者は元気でいいねー」って。
私にとっては悲劇ですが、はたから見ると喜劇なんですよね。青い顔した病人が、点滴台をヤリみたいに担いで走っているわけですから。そのときはこの言葉を知らなかったですけど、あとから知って、まさにこの言葉のとおりだなあと思って感動しました。その後も、この言葉を思い出すことはしょっちゅうあります。
――チャップリンにも、そういう出来事があったのでしょうか。
頭木:
チャップリンの自伝に、忘れられない出来事のひとつとしてこういうエピソードがあります。
子どものころ、チャップリンが住んでいた通りには食肉加工場があって、いつもヒツジが引かれて行ってたんです。ある日ヒツジの一頭が逃げ出して、それをつかまえようと追いかける人が転んだり、ヒツジが跳ね回ったり、それを見ている人たちがはやしたてたり。それを見て、子どものチャップリンはおもしろくて笑っていたんです。ところがついにヒツジがつかまって食肉加工場に連れて行かれるときに、チャップリンははたと気づくわけです。
その出来事の本当の悲劇に気づいたわたしは、家に駆けこんで、涙ながらに母に訴えた。「あのヒツジ、殺されちゃうよ、殺されちゃうんだよお!」 よく晴れて荒涼とした春の午後と、その喜劇的な追っかけについて、わたしはその後何日も考え続けた。もしかしたらこの一件こそ、のちのわたしの映画、つまり悲劇と滑稽さが組み合わさった映画の土台を築くきっかけになったものかもしれない。
チャップリン(中里京子訳『チャップリン自伝 栄光と波瀾の日々』より)
頭木:
まさに「クローズアップで見れば悲劇、ロングショットで見れば喜劇」ですよね。ヒツジにとっては悲劇で、見物しているチャップリンには喜劇だったわけです。
――ひとつの出来事が見方次第で、悲劇でもあり喜劇でもあることに気づいたわけですね。
頭木:
そうですね。チャップリンの『キッド』という映画には、最初にこういう字幕が出てくるんです。「笑いと、おそらくは一粒の涙の物語」。喜劇と悲劇を混ぜた初めての長編映画が、この『キッド』です。最初の字幕で、その説明というか宣言をしているんですね。
この映画を撮るとき、チャップリンは周囲から反対されたそうです。「喜劇と悲劇を混ぜるなんて無理だ」「どちらかの要素が崩壊する」と。チャップリン自身もなにしろ初めてやったわけですから、試写会のときはそうとう不安だったみたいです。自分が間違っていたんじゃないかと思ったり、吐き気がしたり、胃がのど元まで飛び上がった気がしたり。でも結果は大成功だったわけです。見た人たちは大いに笑い、そして泣きました。今見ても、そうですよね。
――ではここで、頭木さんに選んでいただいた「絶望音楽」です。
頭木:
先ほど「スマイル」をオーケストラの演奏で聴いていただきましたが、この曲はのちに別の人が歌詞をつけて、ナット・キング・コールが歌って大ヒットしました。この曲はマイケル・ジャクソンもカバーしていて、彼はインタビューで、「世界一大好きな曲」と言っているそうです。
チャップリンは、作曲家としてもすごいですよね。歌詞はとても前向きなものになっているんですが、音楽自体は悲しみも含んでいて、その両面があるところがやはりすてきだと思います。
♪ チャップリン作曲、ナット・キング・コール歌「スマイル」
――それにしても、喜劇映画の音楽とは思えません。
頭木:
コミカルなシーンには普通コミカルな音楽をつけますよね。より楽しい雰囲気にしよう、と。でもチャップリンは、そういう音楽のつけ方は基本的には嫌がったそうです。あえて、美しい、悲しみを含んだ曲をつけるのを好んだみたいです。実際、それがすごくうまくいっていますよね。笑えるシーンなんだけど、なんだか泣きたいような気持ちにもなって、感動するんですよね。音楽の力も大きいと思います。
【放送】
2023/09/25 「ラジオ深夜便」
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