「宇宙は銀河でできている」と、どうしてわかった?

ラジオ深夜便

放送日:2023/12/25

#天文・宇宙#サイエンス

生物が細胞の集合体であるように、宇宙は銀河の集合体であるとわかったのは、今からおよそ100年前のことでした。研究の最先端を担った天文学者や物理学者について、縣秀彦さんにうかがいます。(聞き手・坂田正已ディレクター)

【出演者】
縣:縣秀彦さん(国立天文台天文情報センター)

銀河発見の天文学者はミステリアス

――今回のテーマは、「銀河宇宙の世界 銀河研究と宇宙論」です。

縣:
私たち生物、生命の体は、細胞の集合体ですよね。一方、私たちが住んでいるこの宇宙は、銀河の集合体なんです。つまり生物にとっての細胞にあたるものが、宇宙にとっての銀河ですから、宇宙は銀河でできている。このことは、実は今から100年前に明らかになったことなんです。

――そうなんですか。

縣:
こんにちでは、宇宙には銀河、英語ではギャラクシーといいますが、その銀河が数千億個以上あると考えられていて、その1つ1つの銀河の中には、太陽のような恒星がやはり含まれているということです。私たちが住む「天の川銀河」、かつては「銀河系」と呼ばれることも多かったのですが、宇宙に無数にある銀河の1つが天の川銀河なんです。
ところで坂田さんは、エドウィン・ハッブルという天文学者はご存じですか。

――はい。アメリカの天文学者で、宇宙が膨張していることを実証した人。銀河系の外にも銀河があることを発見した人。それから、宇宙望遠鏡に名前が付いていますよね。これくらいまでは言えます。

Hubble Space Telescope(HST)

縣:
ハッブル宇宙望遠鏡は、エドウィン・ハッブルの名前をとっているわけですよね。エドウィン・ハッブルという方は、ひと言で言うならば銀河を発見した人、そして宇宙膨張を証明した人ということになります。20世紀最大の天文学者と称する人たちもいるくらいの、非常に大きな業績を残した天文学者です。ハッブルが亡くなったのは、1953年でした。

――若くして亡くなったそうですね。

縣:
1889年生まれですから、63歳で亡くなられています。アメリカの天文学者でした。カリフォルニア州のウィルソン山天文台に、口径100インチ(2.5メートル)という、当時、世界最大の望遠鏡が完成したときにそれを使える立場でしたので、さまざまな発見を導くことができたのです。まずは「アンドロメダ大星雲」、今は「アンドロメダ銀河」と呼びますよね。

M31 、M32、M110(アンドロメダ大銀河と伴銀河)

――そうですね。呼び方が変わりましたよね。

縣:
ハッブルは、このアンドロメダ大星雲までの距離を測ることに初めて成功しました。その結果、宇宙には銀河が無数にあり、私たちの天の川銀河の外にアンドロメダ銀河があることを示したわけです。続けて、さまざまな銀河をどう分類するか、その分類法の1つ、「ハッブル分類」を確立しました。さらに、宇宙は法則に従って膨張している、どんどん大きくなっていることも発見しました。これらの業績について、このあと詳しく説明します。

――その法則、私は「ハッブルの法則」で習ったと思うのですが、そのことですか。

縣:
そうです。宇宙が膨張しているというのがハッブルの法則です。

――ハッブル、いったいどういう人だったんでしょう。

縣:
まずはスポーツ万能。容姿に恵まれて、ハリウッドの映画に登場するスターのような風貌でした。背も高くて、ただやや屈折した人柄で、敵も多かったようです。高校時代はいくつもの陸上競技で活躍しまして、当時、走り高跳びではイリノイ州の州の記録を作っています。シカゴ大学に入学後はヘビー級のボクシングでいい成績を残しています。オックスフォード大学にも行きますが、その時代には大学対抗の陸上競技で活躍しました。ヨーロッパに渡った時期には、フランスのボクシングのチャンピオンと試合したりしています。

その後、アメリカに戻りますが、まずは法律事務所に勤めます。そのあと高校の教員をやったり、バスケットボールが得意でしたのでコーチもしたり、そうしてようやく天文学に進むという、変わりダネですね。非常におもしろい履歴の方です。

――いろいろなことをしていたんですね。大学は理系だったんですか?

縣:
いえいえ。厳格なご家庭で、お父さんの強い意向で法律関係にということで、シカゴ大学、オックスフォード大学と法学部に進んでいます。けれども、子どものころから天文学が好きだったそうで、教員などをしていた時代に、興味が抑えきれなくなったようです。ですからスタートは遅かったわけです。

この方はまた、おしどり夫婦としても有名でした。とても仲のいいご夫婦で、海外出張や講演会はいつも一緒。ところが急に亡くなられまして、葬儀は行われていないんです。現在でも、ハッブルの遺体がどこに安置されているのかわかっていません。葬式も行われなかったし、お墓もわからない。なぞの多い人物なんです。

――おしどり夫婦なのに、埋葬場所は奥さんも知らなかった?

縣:
もちろん奥さんは知っていました。ハッブルの遺言だったんですよね、埋葬場所は誰にも言わないということは。なぜそういうことをしたのか、私は正確には理解していませんけれども。

――これだけ著名な人なのに、ミステリアスですねぇ。

縣:
ハッブルの人物像はこれくらいにして、天文学の業績を詳しく見ていきたいと思います。

“宇宙”は1つか、そうではないかの大論争

南半球からみた天の川(銀河系の中心方向)

縣:
「銀河」という言葉がありますね。もともとは天の川のことです。中国で古くから言われてきた言葉ですが、銀河、天の川というものを強く意識したのは、18世紀のウィリアム・ハーシェルでした。天王星を発見した方です。天体望遠鏡を使って、見える方向の星の数をとにかく全部数えたんです。そっちの方向には何個ある、別の方向には何個ある……というふうにして、宇宙の形と大きさを求めようとしました。

その研究が19世紀、20世紀と進んで、20世紀の始め、今から100年ほど前になりますと、宇宙はどういう構造でどのくらい大きいのか、そしてそれは私たちが見ている天の川とどういう関係なのかが、科学的に議論できる時代になります。それまでは、宇宙とか銀河といっても明確ではなかった。はっきりしていなかったんです。

1920年4月26日、アメリカ国立科学院の年会において、宇宙の大きさに関する公開討論会が行われました。これは後にその重要性から、天文学の「ザ・グレート・ディベート(大論争)」と呼ばれるようになった歴史的な討論会です。討論したのは、ウィルソン山天文台のシャプレーという高名な天文学者と、同じくアメリカにあるリック天文台のカーチスという天文学者です。

討論会のテーマは「宇宙の大きさ」でしたが、ポイントが2つありました。1つ目は、宇宙の大きさはどのくらいかということ。2つ目は、当時言っていた「渦巻き星雲」、アンドロメダ大星雲がその代表ですが、これがわれわれの宇宙の中にあるのか外にあるのかということです。

ここで言っている「われわれの宇宙」は、天の川銀河ですね。ハーシェルが星の数を調べて地図を描いた、われわれが住んでいる場所、これを当時は「われわれの宇宙」と呼んでいたんです。これが単独で1個あるのではなくて、その外にも、天の川銀河と同じような渦巻き星雲があるのではないか。そして1つ1つが「島宇宙」、細胞のようなものなのか、そうじゃなくて全体が天の川なのか、ということですね。

シャプレーとカーチスによる大論争(作成 岡村定矩)

カーチスは、われわれの天の川の外に渦巻き星雲があるという立場ですが、シャプレーは、宇宙全体がほぼ球形で、渦巻き星雲や太陽などはみんなその中にあるという主張でした。残念ながら2人の主張は全くかみ合わず、討論は平行線のままで、うまくディスカッションして新たな知見に到達することにはならなかったようです。

――それだけ2人とも自分の説に自信を持っていたんでしょうね。

シャプレーとカーチスの宇宙像の模式図 中村 士、岡村定矩著『宇宙観5000年史』図11.6(東大出版会)

渦巻き星雲は“宇宙”の外にある!

――この討論会、ハッブルは聞いていたのですか。

縣:
ハッブル自身は、「渦巻き星雲がわれわれの天の川銀河の中にあるのか外にあるのかを解決するには、距離を測ればいい」と。シャプレーは、宇宙全体、今でいう天の川銀河の大きさは直径30万光年以内であることを、「球状星団」と呼ばれるたくさんの天体の距離を測ることで求めていました。今の数字とはちょっと違いますけれども。ただ、当時はまだ渦巻き星雲、今でいうアンドロメダ銀河のような銀河までの距離を求めることはできていませんでしたから、ぜひそれを求めようと決意したわけです。

――なるほど。

縣:
シャプレーと同じウィルソン山天文台の研究者・職員であったハッブルは、アンドロメダ銀河やそれに次ぐくらい近い銀河で、構造やその中にある星がなるべく1個1個大きく見えるものを丹念に撮影しました。その結果、アンドロメダ銀河の中で、ある一定の法則に従って明るくなったり暗くなったりする「セファイド変光星」、セファイドという種類の変光星を見つけることができました。それが1923年、10月6日のことです。

たくさん撮りためた写真を丁寧に調べていくのですが、アンドロメダ星雲の中にある星の明るさの変化というのは、写真はいつ撮影したかわかりますから、撮影した時にその星は何等星だったのか、次の時は何等星になっていたか、それによってグラフが書けますよね。これを「変光曲線」といいますが、彼はこの光度変化を詳しく調べることによって、アンドロメダ大星雲までの距離は90万光年と求めました。

しかし、当時シャプレーが天の川の大きさは30万光年だと言っていてほぼ正確だと思われていましたから、それよりも外にあるじゃないかということになります。

――そうですね。

縣:
シャプレーの言っている宇宙の外側に、アンドロメダ大星雲があることになります。星雲というのは、天の川の中にあって星が生まれてくるもとのガス、これを「ネビュラー」といいますが、星がなくなる時に放出するガスもまた「ネビュラー」です。これらはサイズも構造も全く違いますが、「銀河(ギャラクシー)」と呼ぶことにしました。ですからハッブルによって、宇宙は天の川銀河、当時はour Galaxyまたは Milky Way Galaxyと呼びましたがそれ単独ではなくて、1つの細胞にすぎないんだ、と。宇宙には同じようなものがたくさんあって、一番近くに大きく見えるのがアンドロメダ大星雲で、これがアンドロメダ銀河と呼ばれるようになったんです。

ですから、セファイドという変光星がとても重要なんですね。明るさの変化を調べることによって距離を推定できるという、極めて重要な観測の“道具”になったわけです。

――いま現在は、アンドロメダ銀河までの距離はどれくらいですか。

縣:
さらに正確に測られるようになりまして、アンドロメダ銀河までの距離は250万光年です。天の川銀河の大きさ、腕のある部分の直径は10万光年くらいということがわかっています。

――ハッブル、すごい人ですね。ところで、「銀河系」という言葉はどうして使われるようになったんでしょう。

縣:
それが不思議なんです。

――不思議?

縣:
ハッブルの銀河の発見から100年たちますけれども、その間、日本では銀河系という言葉になじみがありますよね。でもよく考えたら、シャプレーとカーチスの論争からもわかるように、これは1つの細胞、銀河ですから、「天の川銀河」のほうがしっくりきますよね。実際に英語でも、Milky Way Galaxyやour Galaxyです。

ところが、Galactic Systemという言葉が100年ほど前に使われたことがありまして、日本ではそれを直訳して、銀河系という言葉が1930年代には使われているんです。誰が最初に使ったのかはわかっていません。放送大学の谷口義明さんが特に調べられているんですけれども、日本人で誰が最初に銀河系という言葉を使ったのか、わかる方がいらっしゃいましたら、ぜひ情報を寄せていただきたいと思っています。

膨張はアインシュタイン方程式でも

――宇宙といいますと、アインシュタインも関わってきますね。

縣:
そうなんです。アインシュタイン博士は一般相対性理論を1915~16年に発表していますが、アインシュタイン自身、自ら編み出した一般相対性理論で宇宙全体を考えてみると、ここでいう「宇宙」は、天の川銀河だけではなくさまざまな銀河がある広大な宇宙ですが、もしかしたら自分自身の重力で潰れてしまうんじゃないかということに気づいてしまうんです。

――潰れてしまうんですか?

縣:
はい。不安定だということですね。アインシュタインの方程式を見ると、そのままでは非常に不安定なんです。しかし彼自身は、宇宙というのは神様が作ったものだから、安定していて永久不変のものであるという概念が身についていますから、不安定だとまずいんです。彼は直感として、宇宙は動いていない、静止しているはずだと信じきっていたんですね。

それで彼は安定させるために、「宇宙項」という項を方程式に入れてしまうんです。1917年、物理的根拠がないまま、重力に対する斥力(せきりょく)として、宇宙項という項をアインシュタインの宇宙方程式に入れて宇宙が静止するようにしてしまいました。彼の理屈上、アインシュタイン方程式上では、ということですね。

しかし1922年にはロシア(当時ソ連)のフリードマンという物理学者が、宇宙項を使わずにアインシュタイン方程式を解いて、この宇宙は膨張するか収縮するか、もしかしたら膨張したり収縮したりを繰り返すかもしれないが、そういう宇宙の姿というのを理論的に明らかにします。

ベルギーでは1927年に、カトリックの神父でもある宇宙物理学者のルメートルがアインシュタインの方程式を解いています。彼は、宇宙が膨張していることを示しました。ただし、ルメートルがアインシュタイン方程式を解いて、宇宙は膨張していること、しかもそのスピードをほぼ明らかにしていたことは、広く知られませんでした。

――それはどうしてですか。

縣:
ルメートルは、アインシュタインの方程式を解いて宇宙が膨張していることを1927年に論文で示したのですが、ベルギー人でしたので、フランス語で書いてベルギーの国の学術雑誌に投稿していたんです。例えて言うと、われわれが日本語で論文を書いてもあまり読まれないですよね。昔も今もそうで、今はほぼみなさん英語で書くのが普通になっていますけれど、当時、フランス語で書いてベルギーの雑誌に論文が載っても、多くの人は気がつかなかったようです。

最初にお話ししたように、エドウィン・ハッブルはアンドロメダ銀河の距離を測り、たくさんの銀河を調べて銀河の分類をしたあと、さらに銀河の研究を続ける中で、われわれから見て近くの銀河よりも遠くの銀河のほうが、速いスピードで私たちから遠ざかって見えることを観測から明らかにしました。これは、1929年に発表した論文で世の中に知らされています。

彼の論文は、アンドロメダ銀河を含むわりと近くにある24個の銀河までの距離と、遠ざかるスピード、「後退速度」といいますがこれの関係を、距離が遠いほど速く遠ざかる、と。距離と速さが比例しているわけです。遠くの銀河ほど速く遠ざかるということは、宇宙が膨張しているということです。それぞれの銀河から、みんな離れていくわけです。われわれが宇宙の中心にいるわけではありませんから、どの銀河から見ても、近くの銀河はゆっくり、遠くの銀河は速く遠ざかっていく。この四次元の宇宙空間そのものが、そういうふうに膨張している。「宇宙膨張」ですよね。

発見した当時は「ハッブルの法則」と呼ばれていましたが、先ほどのルメートルの論文のことが明らかになって、2011年には、ルメートルがすでに宇宙が膨張する割合、膨張の速度と距離の関係を表す定数、今でいう「ハッブル定数」を求めていたことも明らかになりました。ですので、ハッブルの法則は現在では「ハッブル-ルメートルの法則」と呼ばれています。

ハッブル-ルメートルの法則のイメージ図(作成 岡村定矩)

――でも、さすがに今はルメートルさんのようなことはなくなりましたね。

縣:
実はそうとも言えなくて……

――そうなんですか?

縣:
えぇ。天文学の歴史をいくつか調べてみますと、ごく最近でも、日本人の方で欧米の方より先に発見していたんだけれども、日本語で書いていたので気づかれなかったというようなこともあるようです。国際天文学連合ができて100年以上たって、学術の進展をみんなで共有する、シェアする時代になりましたから減ってきたとはいえ、すべてのものがオープンでみんなが理解しているとは、必ずしも言えないところもあると思います。

――そうでしたか。言語の違いを超えて、なるべくみんなで情報を共有していきたいですね。

縣:
学術に限らずわれわれの活動というのは、国境を超えて、国境というのを意識しないで過ごせるようになるのが、人類にとって一番の幸福につながるのではないでしょうか。

――縣さん、今回もありがとうございました。

縣:
ありがとうございました。


【放送】
2023/12/25 「ラジオ深夜便」

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