日本の原風景に癒やされる ~里山を想うイメージ瞑想~

24/02/17まで

ラジオ深夜便

放送日:2023/11/22

#医療・健康#カラダのハナシ#ココロのハナシ

健やかな暮らしのヒントをお送りする「からだの知恵袋」。心の健康をテーマに、リラックスやリフレッシュにつながる瞑想(めいそう)法をご紹介しています。
今回は絵本にも登場する優しいお坊さんのお話です。禅僧で医師の川野泰周(かわの・たいしゅう)さんに話を伺いました。(聞き手:齊藤佳奈ディレクター)

川野泰周さん

【出演者】
川野:川野泰周さん(林香寺住職、精神科・心療内科医)

あこがれは「良寛さん」

――きょうは川野さんの思い出の絵本についてのお話から。

川野:
はい。それも「とある、優しいお坊さん」が主人公です。

――いいですね。

川野:
私は日ごろ、「人にも動物にも、物にも、すべてに対して優しくありたい」と思って生きているつもりなのですが、時間と情報に追われる日々の中、しばしばその思いを忘れそうになってしまうこともあります。「心に余裕がなく、忙しい時ほど、その人の性格がよく現れる」とはよく言ったものだなぁと思うのですが、私自身、日々の寺院の務めや診療、原稿書きに、動画配信と、次から次へとなすべきことに追われて心にゆとりが持てないと、身近な人たちへの感謝やねぎらいの気持ちを忘れがちになっていることを反省します。

――あら、川野さんにもそんなことが?

川野:
ええ。そういう時にはまだまだ修行が足りない! と思うだけでなく、幼いころに母から読んでもらった、あるお坊さんのお話を思い出すと、フッと緊張や自分を責める気持ちが緩んで、穏やかな気持ちを取り戻すことができるんです。

――そのお坊さんとは?

川野:
江戸時代の禅僧「良寛さま」です。きょうは、敬愛の念をこめて「良寛さん」と呼ばせていただきたいと思いますが、私は昔からこの良寛さんが大好きで、今でも「歴史上の尊敬するお坊さんは?」と聞かれますと、もちろん、仏教の開祖ブッダ、禅の始祖達磨大師や、臨済宗の始祖である臨済禅師、臨済宗中興の祖である白隠禅師など、いろいろ挙がるのですが、最初にポンと頭の中に浮かぶお名前は、良寛さんなんです。
良寛さんは、曹洞宗のお坊さんだった方です。それは私が3歳か4歳の頃、保育園から帰ると、母親が忙しいお寺の仕事の合間をぬって読み聞かせをしてくれた「良寛さま」という一冊の本が出会いでした。以来、私にとってお寺の和尚さんのイメージというのは、良寛さんのような存在になっていったように思います。

――良寛さんはどんなお坊様だったのでしょう。

川野:
はい。良寛さんは、江戸時代の後期(1758年)に越後、今の新潟県の出雲崎に名主の長男として生まれ、幼い頃から学問に親しみました。しかし、世知辛い俗世になじむことができず、22歳からは岡山県の円通寺に赴いて仏道修行に励みます。35歳頃、越後に帰った良寛さんは、その後住まいを転々とし、やがて「五合庵(ごごうあん)」と呼ばれる質素な庵に定住します。晩年はさらに幾度か転住をして、74歳でお亡くなりになりました。生涯にわたって寺を持たず、貧しいながらも清らかな生き方を通して、良寛さんは多くの詩や歌を詠み、それを書きのこした作品は、日本の美を極めた逸品として称賛されて、今に伝えられています。そんな良寛さん、子ども達とも分け隔てなく一緒になって遊んだなどの逸話がいろいろと残され、慈愛に満ちた人柄は現代の人達にも広く親しまれています。

人に、自然に、よりそう僧侶

――川野さんが好きなお話とは?

川野:
「タケノコの逸話」が大好きなんです。
初夏のある日、良寛さんが住んでいた庵の縁側からふと床下を見ると、タケノコが地面から顔を出していました。しばらくすると、そのタケノコは成長して床板に頭が届きそうになりました。そこで良寛さん、近所の農家から金づちを借りることにしました。農家の人は「タケノコにはクワと決まっているのに、なんで金づちなんだろう?」と首をかしげながらも、良寛さんの頼みということで快く金づちを貸しました。そして、「このタケノコ、このままでは伸びることができないじゃろう。かわいそうに。」と言って、床板を金づちではがしたのです。もちろん、これによってタケノコはぐんぐん伸びました。そして10日ほど経つと、今度は屋根に届きそうになりました。それを見た良寛さんは、今度は屋根の麦わらを抜いて穴を開け、さらにタケノコが伸びていけるようにしてあげました。その後も、家の中に青々と伸びた竹を眺めて、良寛さんは日がな一日、ニコニコと過ごしたそうです。

――タケノコの思うままにしてあげたのですね。

川野:
私はお寺で生まれ育ちましたから、「うちの本堂の下からもタケノコが生えてこないかなぁ。生えてきたらきっと、竹が伸びていけるように本堂の濡れ縁をくり抜いて、もっと伸びたら屋根もくり抜いてあげるんだ」と言い出して、両親を困らせたものです。住職だった父も「この本堂は昭和5年に、当時の住職と檀家さんたちがお金を出し合って建てた本堂だから、くりぬかれちゃ困るなぁ」と怒るやらあきれるやら(笑)。
でもその頃から、植物にも命があり、人間と、他の多くの生き物が一緒に生きていくということを意識するようになりました。

「かくれんぼ」の話も好きです。
良寛さんは村の子どもたちとよく遊んだことで知られています。当時貧しい暮らしをしていた農民たちにとって、毎日忙しく田畑に出て働く間、子どもたちの面倒をみることができませんでした。そこで良寛さんは、少しでもそうした村人の助けになりたいと、子どもの相手を買って出たのです。
ある日、子どもたちとかくれんぼをすることになったのですが、田んぼの隅に隠れた良寛さんを子どもたちはなかなか見つけられません。いくら探しても良寛さんの姿が見えないので、やがて子どもたちも、すでに良寛さんが帰ってしまったものだと思い込み、良寛さんを残したまま家に帰ってしまいました。
翌朝、子どもたちが同じ場所に行ってみると、なんと良寛さんは昨日と同じ姿勢のままで息をひそめながら隠れ続けていたそうです。子どもたちと同じ目線で、遊ぶときも精一杯な良寛さんの純朴さに癒やされました。

――本当ですね。ところで良寛さんといえば、歌や詩を詠まれたことでも知られていますよね?

川野:
そうなんです。こんなエピソードがあります。

「良寛さんと泥棒の話」
ある夜、庵で寝ていたところ、泥棒が入ってきたことに気づきました。良寛さんは寝ているふりをして様子をみます。ところが、質素な生活を送っていた良寛さんですから、部屋の中に盗むものが何もありません。仕方がないので、泥棒は良寛さんが寝ている布団を剥ぎにかかりました。すると良寛さん、なんと泥棒が布団を剥ぎ取りやすいように寝返りを打って、与えてやったのだそうです。その時に詠んだ歌が、

「盗人に 取り残されし 窓の月」

「泥棒はなんでもむさぼるように持って行ったが、窓から見えるあの月は取り残していったようだ」という粋な一句です。
こうした良寛さんの純粋で清らかな在り方は、関わる多くの人たちの心を和ませ、救いを与えていたとのことです。良寛さんは生涯を通じて、決して難しい仏法を説くことはなかったそうです。しかし、その生き様そのものが「禅」であり、マインドフルな人だったのではないかと私は思うのです。もちろん同じことを現代人である私たちがするわけにはいきません。泥棒に入られたら、歌を詠んでいる場合ではありませんからね。
しかし、自然や人への寄り添い方という点においては、私たちは良寛さんの生き方、心の在り方に、たくさんのことを学べるのではないかと思います。

良寛さんのような心で

――そうですね。そうした心のあり方に、きょうは私たちも近づきたいですね。

川野:
はい。良寛さんが暮らしたような、のどかな風景をイメージしながら、心をすっきりと調える瞑想を体験いただきたいと思います。
私は出張などで遠方に出向く際、時間があれば野山の風景を探して少し足をのばすようにしています。以前、ご縁をいただいて大分県に講演のため出張した際、滞在中に清らかな小川が流れる風景を目にしました。晩秋の山里にひっそりと流れる川のせせらぎが清々しく、持っていたスマートフォンで音を録音してきました。その音を流して瞑想を体験いただきます。
近年発表された、海外のマインドフルネス瞑想に関する研究によれば、VR(仮想現実)を視聴するためのゴーグルを装着して、森林、草原、洞窟、海など自然の風景を鑑賞しながら瞑想をおこなったところ、不安が軽くなったり、気分が明るくなったりする効果がより引き出されたそうです。今回は、ラジオから流れる音を通して、自然あふれる風景に身を置いているような気分で、呼吸瞑想をしていただきたいと思います。

「里山を想うイメージ瞑想」

姿勢:
椅子や床にゆったりと座っても、あるいは布団などに横になった状態でも結構です。
イメージをしやすくするため、目は軽く閉じていただきます。

川の音を聞きながら情景を思い描く:
秋も深まる里山の夕暮れ時、村の外れを流れる小川にそって作られた、細い散策路。
その途中に置かれた、丸太の小さな椅子に座っているところを、想像します。
すぐそばの草むらからは、虫たちの合唱が聴こえてきます。
涼やかな風を肌に感じながら、しばらくの間、聴こえてくる音に身を任せ、のんびりと過ごします。
心の中に風景のイメージが浮かんできたら、それをあるがままに受け入れます。
また、何かの考えや、感情の動きに気づいたら、それもまた、あるがままに受け入れます。

そのまま呼吸瞑想へ:
ここから静かに呼吸瞑想を始めます。
まずは数回、深呼吸をします。鼻からでも口からでも結構です。大きく息を吸って、ゆっくり吐きます。
再び大きく息を吸って、ゆっくりと吐きます。
そしてここから先は、呼吸をコントロールすることをやめて、ただありのままの呼吸を観察します。
鼻の穴を出入りする空気の流れを感じるか、お腹や胸がふくらんだりしぼんだりするのを感じるようにします。無理に腹式呼吸をしようと意識するのではなく、あくまで自然な呼吸によって胸やお腹が空気で満たされたり、空になったりするのを感じるだけです。

雑念も楽しみながら呼吸する:
途中で雑念が湧いたり、心の中に広がる風景のほうに意識がいったりすることもあるでしょう。そうした考えやイメージも、あるがままに受け入れて、その度に呼吸に意識を戻すようにします。雑念が現れること自体も楽しみながら、呼吸を感じて過ごしてみましょう。

深呼吸でリセット:
最後に一度、深呼吸をして、再び心の中をリセットしたいと思います。
大きく息を吸って、、、ゆっくりと吐きます。
目を開けて、楽になさって下さい。お疲れさまでした。

大らかな心が伝わる禅語

川野:
きょうは最後に、良寛さんの言葉を紹介しましょう。
「天上大風(てんじょうたいふう)」という言葉です。「てんじょうおおかぜ」と読む専門家もおられます。良寛さんは書にもたけており、いろいろな人から一筆書いてほしいと頼まれましたが、たいていは断っていたそうです。しかし子どもからの頼みとなれば話は別で、快く書いてあげたのだそうです。
ある日、子どもが良寛さんのところへ紙と墨を持っていき、字を書いてくれるようせがみます。聞けば、その紙を使って凧揚げの凧を作るのだとか。そこで良寛さん、「大空によい風が吹き、上手に凧揚げができますように」という願いを込めて、「天上大風」を書いたのです。野山を無邪気に駆け回る子どもたちと、それをニコニコと見守る良寛さん。そんなのどかで温かな風景を、私たちも心の片隅に持っておきたいですね。

――ありがとうございました。


【放送】
2023/11/22 「ラジオ深夜便」

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