【大竹しのぶ サイコロ回顧録】1973年「わあ、おいしそう」

24/03/27まで

大竹しのぶの“スピーカーズコーナー”

放送日:2024/03/20

#ライフスタイル#映画・ドラマ#舞台

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24/03/27まで

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11歳のリスナーさんに「能天気な番組」と評されたこの“スピーカーズコーナー”。以前、サイコロ回顧録で取り上げた映画『あゝ野麦峠』、なんと北海道・十勝岳ロケのエキストラだったリスナーさんからメッセージが! 再演を重ね5回目の上演、舞台『スウィーニー・トッド』では市村正親さんと「ねえ、俺たち、がんばってるね」「がんばってるよ」「ねえ、でもさあ、ほんとにやれてよかったね」「うん、ほんとにやれてよかった」。
今回のサイコロ回顧録は「1973年」。しのぶさん16歳、デビューの年です。


大竹しのぶの“スピーカーズコーナー”
R1・ラジオ第1 毎週水曜日 午後9時05分~9時55分

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『和宮様御留』についてたくさんのメッセージが!

私、大竹しのぶは去年(2023年)の秋、デビュー作のドラマ『ボクは女学生』の放送開始から50年を迎え、うれしくないけど芸能生活50周年イヤーに入っています。そんな節目の年を迎えたのを機にこれまでの活動を振り返りつつ、お世話になったみなさんに感謝を伝えていこう、というのがこのコーナー。
今、スタジオにはですね、年代別に私の出演作などをまとめたリストと、サイコロが2つ用意されています。サイコロは、1つが、私がデビューした1970年代の“197”から2020年代の“202”までの数字が書かれた六面体、もう1つが、0から9までの数字が書かれた十面体。この2つのサイコロを振って、出た目の年代の作品について振り返っていきます。

前回はですね、私が24歳になった1981年、ドラマ『和宮様御留(かずのみやさまおとめ)』のお話だったんですけども。

【大竹しのぶ サイコロ回顧録】撮影中に金縛りにあった(2024/02/28放送)

このドラマについて、メッセージたくさんいただいてるんですよ。ほんとにありがとうございます。うれしい。

67歳、広島県の方、ありがとう。
この前、しのぶさんがドラマ『和宮様御留』の話をしていたのを聴いて、「そうよ、“和宮”さんよ! 私が、しのぶさんが演じた役で一番好きなのは“和宮”さんよ!」と思いました。
ほんと? うれしい!
しのぶさんが両手を広げて空に向かって、コンコンチキチン、コンチキチン、と演技をされた姿を今でも思い出します。
うれしい! ほんと! 「コンコンチキチン、コンチ……祇園さんやあ」って言ったの。

59歳、宮城県の方、ありがとう。
この前、しのぶさんがドラマ『和宮様御留』の話をしてましたが、しのぶさんがやった、和宮の身代わりにさせられた少女役、覚えています。私はその頃時代劇好きな高校生で、ドラマを見て、怖さと、悲しさと、その少女への思い入れと、さまざまな感情に見舞われました。エピソードを聴くことができてうれしかったです。あと40年くらいは役者を続け……
……ちょっと待って(笑)。
あと40年くらいは役者を続けて、あらゆる年代の役を演じてください。
え? これどういう意味かなあ。あと40年って私、もう100歳超えちゃうよ? ええ? こんな何十年も前のドラマをまだ覚えていてくれてほんとにうれしいです。ありがとうございます皆様。うん、やっぱりね、ほんとうれしい、ありがたいです。

私の公ちゃんがジャムパン食べてる?

さあ、それに続く今回は何年が出るでしょうか。さっそくサイコロを振って、その年について振り返っていきましょう。
せーの、振りまーす! ピロリロリ~ン♫(サイコロを振る)

えっ? ……めっちゃ古そう。……1973年!?

ええっ!? デビューしてる? 私!? ……えっ? そんな前? そんな前! やっだあもう、私いくつ?
1973年は~♪ デビューしましたぁ16歳~♪ 1年目~♪
10月5日からスタートしたドラマ『ボクは女学生』、高校1年生のときですね。その頃私はバレーボール部に入っていて、「せんぱーい、ファイトー! ハイ、お願いしまーす!」。ボールを拭いてですね、いつか試合に出られるようにがんばろうと思ってた高校1年生のときですよ。セツ先輩やカオリ先輩、アンズ先輩。ね、まだ覚えてるから。本当にかっこよくて。
そんなときに妹が、「フォーリーブス」の北公次(きた・こうじ)さんが出演している『ボクは女学生』というドラマを見て。30分のドラマだったんですけど、「公ちゃんと共演してみませんか」っていう告知があって。一緒にドラマに出ましょう、っていう、今で言うと宣伝活動ですかね。で、「ここに行ったらオーディションに公ちゃんがいるかもしれないよ、おぶちゃん」って。“おぶちゃん”って、妹は私のことを“しのぶちゃん”って言えなくて、まだちっちゃいときからおぶちゃん、って言って。「おぶちゃん、オーディション受けて、公ちゃんに会おうよ!」って言われて「そうだね! 会えるかもしれないね、めぐみ!」って言って、私がにこっと笑った写真を妹がインスタントカメラで撮って、書類を送ってですね。

書類選考受かりましてですね、5,700人の応募数だったんですよ。で、来なさいって言われて、フジテレビ、今はお台場になっちゃったけど、河田町にあった所に行きまして。それで「公ちゃんいるかな?」と思ったら、もちろん全然いませんでした。妹と私で行って、私だけ受けるんですけど、「公ちゃんいなかったねえ」って言って。
で、監督さんやらプロデューサーさんやら4人か5人ぐらい並んでて、なんかタバコ吸ってて。すごい嫌だなあ、感じ悪いなあこの人たち、って思いながら高校生の私がドキドキしてたら、「横向いて、はい後ろ向いて」みたいな。セリフなんかあったかなあ? 全然覚えてないんですけど。
そうしたらですよ。「君は合格」って、で、「次の日から来い」って言うんですよ。オーディション終わって「ちょっと待ってなさい」って言われて待ってたら、「君は次の日から来なさい」って。で、11人女の子が選ばれたんだけど、なぜか私だけ「次の日から」って言われて。なんで次の日からか謎なんですけども。
それで、父と母に、「あしたから来い、って言われた。どうしよう」って言ったら、「でも行きたいの?」って言われて「行きたい」って言って。「じゃあ行ってもいいけど、学校休まなくちゃいけないでしょ?」って言われて、「そうだ、学校休まなくちゃいけない」って言ったら「この1回だけにしなさいね」って言われて。普通の公立高校行ってましたから、「学校のほうが大事だからね」って。

それでドキドキしながら撮影所に一人で行きました。駅から20分ぐらい歩いたところにある小さな撮影所で、なんてキレイじゃないんだろう、まあ、ひと言で言えば汚いんだろうって思って。ほこりだらけで、男の人がワーワーワーワー叫んでる。ああ、公ちゃんはどこにいるんだろう? と思ったら小さなメイクルームに座っていて、そこでジャムパンを食べてたんです。ちょっとショックで(笑)。私の公ちゃんは当時15円のジャムパンを食べているんだと思って。

へえ、おもしろいんだ!

そこから、そうですね、撮影は週に1回もなかったですね。ひと月に2日ぐらいあって。
レギュラーのドラマだったんだけど、それが終わって「次の、パート2みたいな撮影もあるからそれにも出なさい」って言われて、ええ? どうしよう? って。学校があって、しかもバレーボール、部活は続けたいし、カオリ先輩、アンズ先輩みたいになりたいしと思っても、やっぱり撮影があると休まなくちゃいけないっていうのもあって、2年生の時に部活は辞めてしまうんですけども。

デビューしたのが、16歳の1973年でしたね。で、最初のセリフが、12月ぐらいだったんですけどもクリスマスのシーンで、「わあ、おいしそう」っていうひと言だったんです。でも、その「わあ、おいしそう」って言ったときに、へえ、おもしろいんだ! と思ったんですね。ちっちゃいときから学芸会とかお楽しみ会でお芝居するのが大好きだったんで。『アリとキリギリス』でキリギリス役やったりとか、『桃太郎』でキジ役をやってセリフを言うのがすっごい楽しかったし、シェークスピアとかも読んでたんですよ、ほんとに。小学校高学年ぐらいから。シェークスピアとかがおもしろくて。
だから、お芝居するっていうのはやっぱりおもしろいんだ、って。その「わあ、おいしそう」っていうひと言ですごく思いました。

ひえ~! それから~♪ 50年も~♪ たってしまったよ~♪

というわけで、今回振り返りましたのは1973年、私のデビューの年でございましたあ。

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