地震で全壊『巨大楼門』雄姿再び(熊本)

23/12/12まで

NHKジャーナル

放送日:2023/12/05

#ローカル#熊本県

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2016年4月、震度7の揺れに2度にわたって襲われた熊本地震では、熊本城をはじめとする歴史的な建築物が大きな被害を受け、現在復旧作業が進められています。発生から7年8か月。熊本県の東よりに位置する阿蘇市ではまもなく、由緒ある地元のシンボルがよみがえるそうなんです。熊本放送局・後藤佑太郎(ごとう・ゆうたろう)アナウンサーが取材しました。

身代わりに…倒壊した神社のシンボル

――後藤さん、そのシンボルがあるのは地元を長く見守ってきた神社だそうですね。

後藤:
はい、阿蘇市にある「阿蘇神社」です。創建から2000年以上の歴史があると言われています。神殿や門といった6つの建造物が国の重要文化財に指定されています。熊本地震で阿蘇市は震度6弱を観測し、境内の建物のほとんどに被害が及びました。なかでも影響が深刻だったのが阿蘇神社のシンボルでした。地震発生後のヘリコプターからのリポートの音声です。

(当時のニュースリポート音声)
「阿蘇神社の上空です。楼門の上の屋根、完全にずれて崩れているのが分かります。」

後藤:
境内の正面にそびえる巨大な木造の『楼門』が倒壊しました。高さ18メートル、二重の大きな銅葺き(どうぶき)の屋根が地面にたたきつけられて、全壊しました。国の重要文化財にも指定されている巨大楼門は、発災直後から修復作業が進められてきましたが、今月7日、7年8か月の時を経て工事が完了し、お披露目の式典が開かれます。

その近くで、シンボルの復活を心待ちにしている人がいました。

♪時計店店内、振り子時計の音
「チクタクチクタク…ゴーンゴーン」

後藤:
阿蘇神社のすぐ隣にある創業70年ほどの古時計店。店主の宮川幸二さんは、地震発生後の店の様子についてこのように振り返ります。

宮川さん:
「時計が1個も落ちてなかったもんですから。その時にすぐ思ったのは、あーよかった、と思ったんですよ。その時にはですね。」

後藤:
この時計店、壁にはずらっと時計が並んでいるんですが、一つも落ちなかったと。宮川さんはもしかしたら神社が代わりに守ってくれたのかもしれない、と考えています。このように話す地元住民は少なくないんですよ。

――シンボルが復活してほしいと、地元の方々も強く思われたでしょうね。

設計図がない!復旧の開始に遅れ

後藤:
そうなんです。楼門は、国の重要文化財に指定されているため、そうした文化財の修復経験が豊富な宮大工を全国から招いて進めることになりました。ところが早速、ある困難に直面することになります。

――困難、といいますと?

後藤:
この楼門、設計図が残されていなかったんです。江戸時代に建立されたもので、復旧の手掛かりとなる資料がほとんどありませんでした。また、再び重要文化財として復旧するには、元の部材をなるべく多く使わなければなりません。そのため、壊れている部材ひとつひとつが楼門のどこに使われていたかを推測して、一から設計図を書き起こさなければならなかったのです。

――それは大変ですね。

後藤:
楼門復旧は、当初から難題を突き付けられる形となったのですが、あるボランティアの存在が大きな後押しになりました。阿蘇市出身の映像クリエイター、中島昌彦さん(42歳)です。神社の復旧に向け広報の手伝いをしていた中島さんは、こんなアイデアを提案したんです。

中島さん:
「復旧に向けてどういった姿だったのかというのを、いろんな方から(楼門の)写真を集めるといいのでは、というふうに思いまして、ご提案させてもらいました。」

後藤:
神社では市民から地震で倒壊する前の楼門の姿を収めた写真を募集することにしたんです。その結果、1か月で集まった写真は1000枚以上。これらは楼門の構造や装飾、色合いなどの手掛かりとなって、無事に設計図を作りなおすことに成功しました。こうしたことから、まず部材を解体するのにも地震から1年半ほどの時間がかかったんです。

中島さんはその後も神社と市民をつなぐ役割になることを決意して、ライフワークとして復旧現場の様子を撮影・編集し、工事の進捗などをまとめた動画の配信を行ってきました。その活動を通じて、地域を見守ってきたシンボルの大きさに改めて気付いたといいます。

中島さん:
「お正月ですとか要所要所、いろんなタイミングで神社に行くじゃないですか。復旧中もいろんな方がいらっしゃいますし、不思議な場所ですよね、神社って。人生が交差する場所というか、阿蘇地域の人にとっては本当に大事な場所なんだなというのをすごく改めて感じました。」

万感の思い 槌に込めて

後藤:
阿蘇神社の復興の助けになりたいとボランティアで携わってきた地元住民は、中島さんだけではありません。昨日、楼門修復の最後の作業である、扉を閉めるための「かんぬき」という部材の取り付けが行われました。その時の様子です。

♪かんぬきの取り付けの様子
「カンカンカンカン…」

後藤:
槌(つち)を振るったのは地元のベテラン大工、下村和男さん(73歳)です。

下村さん:
「前のめりにつぶれた楼門を見て涙が止まらなくて…どうにかしてなんでもいいから、何度も工事の関係者にお願いして、修復作業に参加させてもらいました。」

後藤:
復旧の工事を主に進めていたのは大手ゼネコンと、熊本県外から招かれた宮大工たちです。地元からも何とか力になりたいと、こうした下村さんをはじめ、他にも3人の元大工などがボランティアで修復作業に参加したんです。7年8か月にわたる工事の最後という大役を終えた下村さん。完成した楼門をくぐるのを今から楽しみにしています。

下村さん:
「仕事一緒にさせてもらったみんなの気持ちと顔が浮かんで、まともに歩けるかなと思います、ほんと。感謝の気持ちでいっぱいになると思います。」

後藤:
楼門は、いよいよ竣工(しゅんこう)の日を迎えます。阿蘇神社の宮司、阿蘇惟国さんは、復旧に向けて支えてくれたすべての人に向け、感謝の気持ちをこのように話します。

阿蘇さん:
「元通りに直せるかどうかというのは大変不安がございましたが、元の部材を傷めないように修繕していただいたのは大変頭が下がる思いでございます。無事今日のような日を迎えることができうれしく思っております。」

後藤:
熊本地震で倒壊した阿蘇のシンボル、阿蘇神社復旧の道のりは長く困難が伴いました。しかし、阿蘇神社への強い思いと、それを行動にうつす地域の人たちの姿がとても印象的でした。みなさんがどんな表情で7年8か月ぶりに楼門をくぐって参拝されるのか、今から私もとても楽しみです。

熊本放送局
後藤佑太郎アナウンサー


【放送】
2023/12/05 「NHKジャーナル」

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