東日本大震災から13年 感染症の課題は

NHKジャーナル

放送日:2024/03/13

#医療・健康#カラダのハナシ#感染症#東日本大震災#能登半島地震

東日本大震災から13年。宮城県で被災し現地での感染症対策に取り組んだ、東北医科薬科大学・特任教授の賀来満夫(かく・みつお)さんに、震災の教訓と今後の課題などについて聞きます。(聞き手:緒方英俊ニュースデスク・打越裕樹キャスター・結野亜希キャスター)

【出演者】
賀来:賀来満夫さん(東北医科薬科大学 特任教授・東京感染症対策センター所長)

東日本大震災の時は・・・

――2011年3月11日に体験したこと、改めて教えてもらってもいいでしょうか。

賀来:
3月11日は、宮城県仙台市の大学病院にいました。
想像を絶する激しい揺れによって立つことさえできず、私の部屋の中にあったすべてのものが倒れてきました。建物が崩壊するのではないかという恐怖を覚えました。スタッフと一緒に命からがら病院の外に出たのですが、まさにこれまでの人生で経験したことがないほどの衝撃的な出来事で、いったい何が起こったのかさえまったく判断できないほどぼう然としていたことを今でも思い出します。私の部屋がある建物は、倒壊の恐れがあるということで、その後立ち入り禁止になりました。

――ご自宅は大丈夫だったんですか?

賀来:
幸いなことに自宅は大きな被害がありませんでしたので、自宅で避難生活をしました。
でも、電気や水道・ガスは1カ月以上全く使えない状況でした。ただ、気が張っていたのもあったのかもしれませんが、お風呂に入れなくてもあまり気にすることなく過ごしていたと記憶しています。もちろん、市販のボディタオルなどで身体をふいて、可能な限り清潔は保ちました。

発災当日、病院で対策本部が立ち上がる

――そして地震のあとですが、病院ではどのように対応されたのでしょうか?

賀来:
発災後、当日または翌日に、集まれる人は大学病院に出勤しました。
発災当日、3月11日の15時すぎには対策本部が立ち上がりました。けがをした患者の受け入れやメンタルヘルス、手術、出産、透析などへの対応、そして感染症対応支援というように役割分担を決めて、診療体制の準備に入っていました。私たちも地震の2日後には、県や市の方々と避難所の支援についての方針を決める話し合いを行っていました。

――やはり病院ですから、けがをした方は次々と訪れたんでしょうか?

賀来:
私たちも当日の夜や翌日は多くの方がけがで来院されるのではないかと思っていたのですが、実際は当日はほとんど来院されませんでした。
これはあとでわかったことなんですが、津波で多くの方が亡くなられていたんです。ですから、けがをした患者さんは、道路事情が少しよくなってから多く搬送されてきました。停電のためにテレビなども見られなかったので、沿岸部の情報が全く入ってこなかったんですね。ですから津波で壊滅的な被害が起こったことを知ったのは翌日になってからでした。

避難所では感染症のクラスターが発生

――なかなか情報も届かない中で、ということですが、避難所の当時の状況はどうだったんでしょうか。

賀来:
およそ30万人が避難所生活となったんですね。狭い空間の中で不自由な生活を余儀なくされた、そのことでインフルエンザやノロウイルスによる集団感染やクラスターが発生しました。
さらに時間がたつと、寒さや栄養不足、そして口の中を清潔に保つことも難しかったために、特に高齢の方々で誤嚥(ごえん)性肺炎や尿路感染症などが増加しました。当時は情報が錯そう・混乱したうえに、物資も不足しておりましたし、感染症対策は困難を極めました。
私たちは初期の感染症対策を行ったんですけれども、夏ぐらいまでですね、困難が続いたと思います。これはやはり、非常に多くの避難所があって、なかなかすべての避難所に出向くことができなかったことや、通信状況の復旧が遅れたこと、マンパワーが不足していたこと、感染症の発生状況などがうまく把握できなかったこと、そして何よりも、過疎が進んでもともとの地域医療体制が崩壊しぜい弱となってしまっていたことなど、さまざまな要因がありました。
また、仮設住宅に入る方もだんだん増えてきたんですが、やはり感染症の拡大は心配でしたので、注意を呼びかけるためにさまざまなポスターやハンドブックを作成するなどして啓発活動を続ける必要がありました。

東日本大震災の教訓が生かされた「DICT(災害感染制御チーム)」

――そのときの教訓は、能登半島地震でも生かされているんでしょうか?

賀来:
そうですね。感染症対策の重要性はまさに東日本大震災の教訓だったと思います。
震災をきっかけに、災害のときには、DICT:Dizaster Infection Control Team、いわゆる災害感染制御チームが結成されることになりました。2016年の熊本地震、そして今回の能登半島地震でもDICTが活動し、早い段階で感染症対策を行うことで一定程度の効果が上がっていると思います。

課題は

――一方で、能登半島地震で課題に感じていることはありますか?

賀来:
はい、今回とくにライフラインの復旧に時間がかかっていますよね。
避難生活が長期化し、衛生環境が悪い状況の中で、改めて迅速な検査そして診療態勢をしっかりと整備することが重要であると感じています。
さらに今回、発災当初は道路状況が悪いなかでなかなか半島の先端部、珠洲市(すずし)や輪島市(わじまし)といった「奥能登地域」での医療支援が進まないという課題がありました。
医療関係者も被災しているなかで、外部からどう必要な人員を送り込むことができるのか、あらかじめ地域ごとに対応を検討しておくことが必要であるということを改めて感じました。
ですから、ぜひそれぞれの自治体ごとに地域の特性があると思いますので、今後は地域ごとにあらかじめ対策を検討しておくことは重要だと感じています。

個人ができる感染予防対策とは

――改めてなんですが、感染症予防のために、われわれができることは。

賀来:
災害はいつ発生するかわかりません。我が国は地震や台風、災害がいつでも発生する環境にあります。そして、災害が発生すれば感染症は必ず起こります。そして広がっていきます。私たちは、感染症に対応できるよう、ふだんから準備をしておくことが大切だと思います。
個人ができることとしては、家庭の備蓄のなかに、マスクや消毒薬、濡れティッシュ、体温計などを入れ、定期的に更新をしていくことが必要です。仮に歯が磨けなくても、口の中をすすぐ口腔洗浄剤があれば、細菌が口の中で繁殖することを防ぐことができますので、高齢者の全身状態の悪化や、誤嚥性肺炎などの防止につながっていくと思います。

エンドコーナー

エンドコーナーでリスナーからの質問や感想についてもお答えいただきました。

東京都60代の女性
口腔洗浄剤がない場合、どのように口腔ケアをすればよいですか?

賀来:
口腔洗浄剤がなくても、口の中を水で濡らしたティッシュで汚れを拭き取る。それだけでも効果があると思います。

SNS
避難所のような場所で、風邪やインフルエンザ、新型コロナの感染症にかかった場合、どのように自分を隔離すればよいでしょうか?

賀来:
ご自身で自分を隔離するというのは大変だと思うんですよね。ですから早めに周囲の方々にしっかりと伝えることが大切です。避難所の方々と相談して、自分1人だけじゃなくて連携協力して対応を決めていっていただきたいと思います。

――治療にも早めにつながるかもしれませんね。

賀来:
そうですね。

SNS
静岡県民です。改めて思うのですが、被災後の準備を被災前にしなければ意味がありませんね。最近の日本では常にいたるところが「被災地」。被災地で何が役に立ち、何が必要かを我が身に置きかえ、しっかり見極めたいと思います。

賀来:
本当にそのとおりだと思いますね。防災でも平時から情報をしっかりと知っておくことが重要だと思うんですね。東京都内では最近全家庭に「東京くらし防災」「東京防災」と言う2冊が配布されたんですけど、やっぱり普段から情報をみんなで知っておく、そしてさらに、大切な方とはできるだけFace To Face、お互いに顔を見ながら情報共有すること、そういったコミュニケーションがとても大切だと思います。
実際に新型コロナの場合は、いろんな方々のコミュニケーションがうまく取れなかったということが混乱の原因になったので、特に地震や災害のときには、普段から人と人とがつながっていく、そういう「ヒューマンネットワーク」というんでしょうか、そういうコミュニケーションがとても大切になると思います。

――まさに普段から備えておくということですね。

賀来:
そうですね。

――ありがとうございました。

  •  ※ ほかにもたくさんのメッセージをありがとうございました。


【放送】
2024/03/13 「NHKジャーナル」

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