“空きびん”をぼーっと眺めているだけで癒やされる幸せとその先に見えるもの

24/04/22まで

眠れない貴女へ

放送日:2024/04/14

#インタビュー

空きびんの魅力に取りつかれたびん博士の庄司太一さんに、空きびんに出会ったきっかけとその魅力、アメリカ留学時代に知ったアメリカでのガラスびんの存在感、そして一度はあきらめようとした“びん”を極めようと決意するまでのエピソードなど、興味深いお話を伺いました。

【出演者】
庄司:庄司太一さん(ゲスト)
村山:村山由佳さん(ご案内)

庄司太一さん

【庄司太一さんのプロフィール】
1948年生まれ。通称びん博士。上智大学在学中、ガラスびんに魅了される。その後ワシントン州立大学に留学、アメリカでボトル文化に触れたことで、帰国後さらにびん収集が本格化。武蔵大学で教べんをとるかたわら、びんに関する書物『びんだま飛ばそ』、『平成ボトルブルース』を出版。現在は『原色日本壜図鑑』を製作中。40年近くかけてびんを集め続け、そのコレクションは6万本以上にも及ぶ。1996年、自宅の庭にガラスびん展示場「ボトルシアター」を開設。

たまたま見つけたゆがんだびんに手作りのあたたかさを感じて

村山由佳さん

村山:
びん博士と呼ばれている庄司さんですが、こんなにびんに夢中になったのは骨とう屋さんで出会ったひとつのガラスびんがきっかけだったそうです。

庄司:
骨とう屋さんというとすごく高価なものばかり置いてあるので、まず足を踏み入れたこともなかったんですが、たまたま店の前に「不要で無料です」ということで、いろんな売れ残ったようなものをご自由に持っていってくださいというのがあったので、その箱をしげしげと眺めていましたら、中に小さいびんがあるんですね。それで、おや? と思って、それをつまみ上げて、こんなのを持って帰って机の上に置いたらかわいいかなと。で、びんを持ち上げたんですが、そのびんには気泡があったり、形がゆがんでたり、あれっ? と。当時、自分の周りにはみんなもう機械で作られた同じような形のびんばかりだったのに、そのびんを見たときにちょっと違うなと。あ、手作りのびんなんだと。そう思った瞬間に、実は自分が子供の頃、こういう手作りのびんに囲まれていたなぁという、そういうことを感覚的に思い出したんですよ。その手作りのびんっていうのは、私が最初にイメージしたのは、自分の家の茶だんすの上に置かれていた子ども用の肝油のびんだったんです。その肝油の薬びんなんですけれども、非常に形がゆがんでたっていうことを思い出したんです。それで初めて改めてびんにはそういう古いものがあった、ところがいつのまにかそういうびんが、この世から新しいびんに変わって消えてしまったのかっていうことを、それに思い至ったっていうか、それがきっかけですね。まあそれは突然でしたね。だから古い昔のびんを思い出すという、突然にそういう妄想のようにわーっと湧いたというのが、その古いびんを認識した最初なんです。

村山:
びんの向こう側に景色が広がるというか、思い出が手繰り寄せられてくるというか、そういうことがあったからその最初のびんとの出会いが特別になったんですね。骨とう屋さんの他に骨とう市などにも足を運んで、そこで「古いびんはありませんか?」って聞くと、びっくりされたり、「空きびんなんて商売にならないからないよ」って言われるようなことが多かったそうなんですが、確かに日本でびんっていうのは、特に芸術品じゃなくて日常的に使うようなそういうびんは、今まであんまり目を向けられてなかったですよね。

びんを忘れようとアメリカに行って勉学に励んでみたけれど…

村山:
びんへの興味がどんどん増していった庄司さんですが、当時は英文学を学んで大学院まで行っていたこともあり、ご両親からは勉強はどうなっているんだとけげんな顔をされていたそうです。庄司さんご本人も、このままびんにのめり込んではいけないと思い、びんのことは忘れて英文学を勉強しなおそうとアメリカへ留学することにしました。…が、そこでは新たなびんとの出会いが待っていました。

庄司:
よし! びんのことは忘れて、英文学を始めたんだから英文学をちゃんと勉強しなおそう! で、アメリカに渡ったわけです。そしてアメリカに行って、まずシアトルでちょっとヒアリングの練習をしなくちゃっていうことで、シアトルの短大みたいなところで講義に慣れるようにっていうところでシアトルに住んでたわけですが、街を歩いてたら骨とう屋があるわけですよね。それで骨とう屋を何気なくのぞくと、なんとびんがあるわけですよ、古いびんが! ちょっと待てよと。「これは見ちゃいけない、これは見ちゃいけない」という感じで、それでどうにかこうにか見ないようにして、それで図書館なんかに行って、英文学の本とか、その時は美術関係のものも興味があったので、そういうものの本を一生懸命見て没頭してたつもりだったんですけど。
ワシントン州立大学というところに行って英文学科に入るんですけど、そしたらある時、生物学をやっていた四国の大学の先生と友達になって、庄司さんに紹介したいすばらしい人がいるって言うわけですよ。ぜひ会ってほしいって。そしたらなんと、びんのコレクターだったんですよ。私がちょっとびんを並べてたのを知ってたんですね。まあその頃にはね、やっぱり5本くらいは実は並べてたんですよ。ついつい安いから買っちゃおうとかね、自分に言い訳を作って。それを見てたんでしょうね。

それでそのパイパーさんっていうんだけど、その人に会わせられちゃって。アメリカには各州に2~3つのボトルクラブがあると。それでゴーストタウンになっているけど、昔は金鉱探しで荒くれ者が集まってきたようなそういう町があって、でそういう中では文化っていうものはほとんどないわけですよ、みんな一攫千金で裸同然で集まってきて。でも必ず酒びんだけは古いゴーストタウンなんかのホテルに行くと窓辺に古いびんがずっと並べてあるわけ。つまり他に趣味がないから酒ばかり飲んでるわけですよ。だからびんがやはり文化、その彼らアメリカの初期の文化の象徴になっちゃうわけですよね。だからそういう意味でびんというもののおもしろさに早く目をつけたのはアメリカ人だと思うんです。
それであのアメリカというのは、1960年代あたりにはアメリカは切手とコインに次いでボトルコレクティングっていうのが3番目のポピュラーな趣味になってるっていうことも記録に残ってるんですね。だからボトルコレクターがいるし、それなりの値段で買ってるんですよね。だからそのようにびんというのがアメリカでは商品になっていた。でも私は日本を離れる時には、びんなんていうのはゴミ。骨とう屋さんでも商売にならないから見向きもしない。それから図書館に行った時にこれも見ちゃいけないと思ってたんだけど、親子三代にわたってびんの歴史を書いてる本なんてあったんですよ。えーっていう感じで。もう完全なカルチャーショックになって。だから、日本に帰って誰も見向きもしない日本の古いびんたちっていうのは、どうなのかなと。そう思ってある時に、まあ自分で、よしこうなったらびんを極めてみようかなと。当時誰もびんに見向きもしないということもありましたよね、だからおもしろいじゃないか、逆にと。まあどれだけびんが集められるか、なんかちょっと計り知れないなと思ったけれども、それでもやっぱり病気だったんですね、集め続けてた、ずっと。

番組からのメッセージ

  •  ♪ 生活のためのさもない道具として手作りされるびんに、職人たちが無心の気持ちで加えたちょっとしたデザインや機能性にひかれるという庄司さん。もともと図鑑が好きで、写真とそのびんの使用方法や背景などの史実をまとめた「原色日本壜図鑑」をいつの日か完成させたいと夢を語っておられました。
  •  ♪ この番組は、らじる★らじるの聴き逃しでお楽しみいただけます!
    放送後1週間お聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

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24/04/22まで

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24/04/22まで

  •  ♪ 番組では皆さんのおたよりをお待ちしています。
    4月のテ-マは「マイルール」です。新年度が始まって作った新しい決め事や、長く続けているルーティンなど、あなたならではの「マイルール」にまつわるエピソ-ドをリクエスト曲とともにお寄せください。

眠れない貴女へ

NHK-FM 毎週日曜 午後11時30分

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【放送】
2024/04/14 「眠れない貴女へ」

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