製硯師(せいけんし)として硯(すずり)の製作に携わっている青栁貴史(あおやぎたかし)さんに、石が身近にあった子ども時代や家業を継ぐと決心したきっかけ、硯に込められた思いとどんな硯がよい硯なのか、硯で墨をすることの意味など、興味深いお話を伺いました。
【出演者】
青栁:青栁貴史さん(ゲスト)
村山:村山由佳さん(ご案内)
青栁貴史さん
【青栁貴史さんのプロフィール】
1979年、浅草の書道用具専門店の家庭に生まれる。硯を製作する祖父、父の技術を受け継ぎ、製硯師として活躍。日本や中国各地の石を用いて、さまざまな硯を製作するほか、古い硯の修理や文化財の復元などにも力を注いでいる。
祖父が教えてくれた仕事に向かう心
村山由佳さん
村山:
硯の製作というと、一般的には分業制になっているそうです。山梨県や宮城県、山口県などの硯の産地では、山から石を採る人、裁断する人、石を掘る人、硯の造形部分を作る人、磨く人、など、それぞれ分かれていて、そういった方々を「硯職人」と呼ぶそうです。また、技術に秀でた方が「硯作家」として活躍するケースもあるそうですが、いずれも産地ごとに拠点を構えて、その地域の石に合った技術を受け継ぎながら硯を作っていらっしゃいます。一方で、青栁さんのような「製硯師」は、山に入って採石するところから始まり、硯を作るすべての工程をひとりで担います。また、石を採る場所も産地を限定せず、日本や中国のいろいろな地域で採石し、硯を製作されています。
青栁さんは幼いころから、硯を作るおじい様やお父様の姿を見て育ってこられました。まずは、青栁さんの子どものころの思い出、そして、家業を継ごうと思ったきっかけを伺いました。
青栁:
今思い返してみればね、食卓にいつも石が置いてあったんですよね。硯の石だったり。その石の話をしながらごはんを食べるような家だったんですよ。「この石、いいだろう」っていう話ですね。「この石はこんな石なんだ」みたいな話をしながら食べる家庭だったので。で、はたまた「この石は彫ってなめてみると味があるんだ」って。「彫ってなめて味わってみろ」って言われたこともよくあったんですよね。実際にやってみるとしょっぱかったり、香ばしかったり、いろんな味があるんです。
家業を継ごうと思ったきっかけですけれど、もともとは、いつかは継ごうかなぐらいの気持ちで子どものころからいたんですね。それが大学のときですね。僕はその時、もうすでに祖父に習って硯を彫っていたんですけど、その時にはお小遣い稼ぎですよ、ほんとに。小遣い稼ぎでおじいさんに教えてもらいながら面倒見てもらってたという状態だったんですけれど。祖父が病気で、もう亡くなる寸前だったっていうころでしたけれど、病室でモルヒネを使っていて、意識がほとんどない時だったんですけれど、僕に硯の彫り方を教えようとする姿を見て、それで何というか胸を打たれるような気持ちがあったんですよね。ひとりの男性が、亡くなる前に見えてる光景っていうのが、病院であっても工房だったと。その姿を見て、仕事をするっていうのはこういうことなのかなっていう、仕事をする心を作ってもらったようなそんな出来事でしたけれど。その日の夜、看病してたんですけど、明け方お別れをして。祖父が亡くなってからこの世界に入って、今に至るというところですね。
村山:
いつかは継ごうかなっていうお気持ちが、そのおじいさんの姿を見て今になったっていうことだったんでしょうね。でも、痛み止めですよね、モルヒネって。それでもうろうとしてらしても、もう、もうろうとしてらっしゃるからこそ人生で一番大事なものが目の前に見えて、その技をお孫さんに伝えて亡くなられたって、もうそれは忘れようったって忘れられませんもんね。
硯の価値は愛されてきた年月で決まる
村山:
青栁さんは、おじい様が亡くなられたあと、お父様のもとで修行されました。また、硯の発祥の地である中国でも技術を学び、20代のころからさまざまな硯を製作してこられました。そんな青栁さんに、いい硯「名硯(めいけん)」と、よくない硯「駄硯(だけん)」って言うんだそうですけども、の違いとは何なのかを伺いました。
青栁:
名硯と駄硯の大きな違いは、やはり作られた当時からもうたたずまいは違ったはずです。あと、何百年も伝承しているものなので、やっぱりひとつ大きく違うのは、愛されてきた年月の違いですね。やはり人がそれを大事にした年月っていうのは、作り手が作った時間よりもはるかに長いんですね。例えば墨の跡が残っている、それも非常に大切ですね。大事に使われた硯っていうのは、墨がこびりついて取れないっていうのではなくって、墨がある程度染みこんでますし、そして、うっすらとやはり程よくコーティングもしてくれてるんですね。で、硯を使うっていうのは、墨をすって字を書く間、墨がその上でたまってますね。で、最後に洗う。時にその乾いた状態でめでる。そういったことを、一連の流れをすべて通して硯を使うっていうことなので、それらがやはり硯を育てるんでしょうね。で、それによって人の手から手に渡り歩いて、人がたくさん触って使って、そして大切にしてきた時間っていうものが名硯にさらなるそのムードを与えていくっていうところがあると思うんですね。だから、原石からわれわれが硯を作る時にも、何百年後かに完成することを想定して作るわけです。こう作れば人々に愛されて、長きに渡って大事にされることで、数百年後にそのムードを醸し出しているであろうというところに狙うわけですね。