9歳の時にチェンバロの音色に魅せられ、そして導かれたミュージシャンシップとは?

24/01/29まで

眠れない貴女へ

放送日:2024/01/21

#インタビュー#音楽#クラシック

鍵盤楽器奏者の武久源造(たけひさ・げんぞう)さんに、9歳で初めてチェンバロの音色を聴いてその魅力のとりこになって習い始めた経緯と苦労、さまざまな動物の皮や羽根を使って古い楽器を自分の手で修復する楽しさ、音楽でできる社会貢献などについて、興味深いお話を伺いました。

【出演者】
武久:武久源造さん(ゲスト)
和田:和田明日香さん(ご案内)

武久源造さん

【武久源造さんのプロフィール】
1957年、愛媛県松山市出身。1歳の時に病気で失明。盲学校の音楽教師の父親の元で幼少期から音楽に親しみ、小学生の時にチェンバロに魅せられ、チェンバロをはじめさまざまな鍵盤楽器を習得。1977年、東京藝術大学音楽学部楽理科に入学、西洋音楽史を専攻。同大学院修了後、本格的に演奏活動を開始。現在は、チェンバロ、ピアノ、オルガンなどの各種鍵盤楽器を駆使して、中世の音楽から現代音楽まで幅広いジャンルのさまざまなレパートリーを持つ音楽家として、国内外で活動中。また、演奏活動のみならず、バッハの研究者として、バッハが演奏していたと思われる古楽器の調整や部品の製作を自ら行いながら、バッハが追い求めた音色を追求している。

カラヤンが弾いた未知の楽器の音色に魅了された9歳の少年

和田明日香さん

和田:
まずは、武久さんがどんなふうにチェンバロと出会ったのか、を伺いました。

武久:
9歳の時ですね。1966年の4月26日ってわかっているのですけど、カラヤンのベルリンフィルが初来日した時、松山市民会館というところで、ベルリンフィルの公演をやったんです。その時に私も父に連れて行ってもらって、それでその時の最初の演奏がバッハのブランデンブルク協奏曲の第6番で、これをカラヤンが自分でチェンバロを弾きながら指揮をしたわけですが、カラヤンが、大指揮者ですけど、やたらに鍵盤楽器を弾きたがる人でね。ピアノも弾くし、チェンバロも弾く。これがあんまり上手じゃなくて合わないんですね、そのオケが。それは今でもよく覚えていて、その時に私が初めてチェンバロというものを生で聞いたわけですけど、その時のショックが、今でも忘れられなくて、あれは何だろう? って。私はその時もう、ほとんどのオーケストラの楽器っていうのは、聞けばあれはなんだってわかるような状態でしたが、チェンバロだけはわからなかった。なんなのかわからなくて、父に聞いても父も知らない。もちろん松山では誰も知らなかったかもしれませんが、当時のチェンバロは今と違って、モダンチェンバロなんて言われていた、あんまり響きがない楽器で、チンチンチンチン音がするっていう感じで、トライアングルに一番近かったんですね。トライアングルが最初から最後まで鳴り続ける音楽っていうものは他になかったわけで、それにびっくりしたんですね。バッハっていうのはトライアングルを最初から最後まで使うという、もう画期的だなと、このトライアングル、私やってみたいななんてね、思ったのをよく覚えています。それでその後いろいろ自分で調べるっていうことが始まって、それはトライアングルではなかったっていうことが分かったり、チェンバロ、当時はハープシコードなんて言っていましたけど、そういうものであることが分かったんですけど、周りにそういう古楽器がなかったからですね、とりあえず子どもとしては、自分の周りにないものは、やっぱりあれはなんだろう? ということになるわけで、それでだんだん、興味を深く入っていくことになったわけです。

和田:
公演に行かれたのは9歳の時だったとのことですが、よっぽど衝撃を受けられたんでしょうね。その後、チェンバロが習いたいと思った武久さんは、ご両親を説得してチェンバロを習うために、なんと愛媛から東京まで寝台列車で通われていたのだそうです。今ほど新幹線とかのアクセスも良くなかったから、めちゃくちゃ時間がかかったでしょうけど、本気だったんですね。

バッハが弾いていただろう音色に思いをはせて

和田:
1977年東京藝術大学音楽学部に進学し、18世紀に活躍した音楽家バッハとその周辺の時代の音楽について研究を進め、現在ではバッハの研究者としても国際的にも高く評価されています。武久さんのスタジオには、チェンバロやバッハの時代のピアノのレプリカなどの古楽器が所狭しと置かれていて、さまざまな工具や部品の材料などもあり、日々楽器の調整や修復を自ら行われています。
そのような作業を職人の方に任せるのではなく、ご自身で行われるようになったのはなぜなのでしょうか?

武久:
私が自分で、例えばバッハのこの曲を弾いていて、こういう音が欲しいのになあって思った時に、元々これどうだったのかっていうところから遡(さかのぼ)って、じゃあ、どういう音にしたら良いんだろうっていうのを、自分が欲しい音をなんとか作り出したいっていう、そういう気持ちですね。そのつどコンセプトがあるわけですけど、こういう音がほしいなっていうね、その音を目指すんですけれど。だから、自分で全部やることにだんだんなるわけです。でも、楽器やる人は、皆やってることでね、多分そういうことはバッハもやっていただろうし、ベートーベンもやっていたはずです。ある楽器で満足してなかったと思うんですね。だからこそ、楽器っていうのはどんどん新しいものに移り変わってきたわけですよね。今だって、楽器っていうのは、少しずつ少しずつ変わっています。生き物なんですね。楽器もね。ただ私なんかがこう弾いているのは、バッハは使ったであろう、バッハに焦点を当ててやるわけで、ペダル・チェンバロをね、バッハは弾いていたということで、バッハっていうのはオルガンとチェンバロの音楽を区別せずにつまり、オルガンであってもチェンバロのように軽やかに弾くし、またチェンバロであってもオルガンのように、こうゴージャスに鳴らすっていうことを目指した人なので、この楽器もオルガンのようなサウンドの出るチェンバロということで、私は調整してきました。だから、こういう低音の出る、この高音の方も非常にあの輝かしい、いろんな倍音の出る状態にしてあります。でまあ、これを実現するのにすごいまた手間がかかってるわけです。羽根を使うんですけどね、羽根を削って、これでもって弾いてるんですけど。これ鷲(ワシ)の羽根です。これが鷲の羽根を見つけるまで、いろいろな羽根を試して、あの七面鳥だのガチョウだの、ハゲタカ、コンドル、いろんな羽根を試して、やっぱり今は鷲が一番いいなぁなんてね。弦も、またこれいろんな弦を試してるんです。あの世界のいろんな国から、昔の製法の弦とかね。それからあの成分が、今の工業製品ではなく、あの昔の弦を作っているような人もいて、輸入しては、張ってみる。で、音がどう変わるかやってみるけど、なかなか良い弦に出会わなくて、一台の楽器弦を全部張り替えるには3日間ぐらい徹夜しないとっていう感じなんですけど、ま、これ楽しいんですね。これが楽しくなかったら私も続かないと思いますけど、暇さえあったら練習して、またこういう作業をしてっていうことですね、はい。

和田:
ちょっとバッハさん、聞いてますか? って感じですね。聞いてるわけないんですけど(笑)。こんなに時を経ても、その音を再現したいという情熱。すごいなと思います。私も、江戸時代が大好きで、江戸時代のその料理の作り方とか残ってるから、まねして作ってみるんですけど、やっぱちょっと今の醤油(しょうゆ)と江戸時代の醤油って違うんだよなぁとか思ったり。思ったりするけど、かといって醤油から作ろうとは思わないわけですよ。もうなんかその違いだなっていうか、それぐらい武久さんの情熱、すごいなぁと思いました。
スタジオにはですね、チェンバロの弦を弾くための鳥の羽根以外にも、ピアノの弦を叩くハンマーに貼るさまざまな種類の動物の皮などもあって、武久さんが理想の音を生み出すために日々実験を重ねられているというところを垣間見ることができました。

不協和音は必ず協和音に解決することができる

和田:
昨年、武久さんは、視覚障害者の文化向上に貢献した個人、団体に贈られる「本間一夫文化賞」を受賞されました。ご本人は、この受賞について、「私は視覚障害者の文化向上に貢献しているとは言えないので、この賞を受賞するのにふさわしくはない。」と、おっしゃっていましたが、長きにわたり、一筋に音楽の道を究めてこられたのには、どんな思いがあるのでしょうか?

武久:
やっぱり今までにいろいろ紆余(うよ)曲折がありましたしね。そのつど、自分は音楽を続けるということについて本当に考え込まされてきましたから、なかなか簡単には言えませんが、例えば、プロの音楽家としての私が守るべきものっていうのはあります。それは一言で言えば、ミュージシャンシップというものですけどね。あのスポーツマンにスポーツマンシップがあるように。で、これは本当に音楽でもって、社会に貢献していく、それはどういうふうに貢献するかっていうと、例えば、こういうことですね、我々は音楽やることによって、どんな不協和音があってもね、その不協和音を協和音に解決することができるわけですね。音楽の演奏の中ではね。いろんな不協和音を私たちは作り出しますけども、その作り出した不協和音は、協和音へ解決できます。解決できない不協和音っていうのはないわけですね。最後は美しい音になるよっていう。あちこちで戦争とかやってますけど、その不協和音というのは、必ず協和音に解決できるはずだということを、ミュージシャンたちは、その本人が思うかどうかは別として。みんなに語り続けているんだと思います。中にはね、あの不協和音のまま終わるような音楽も確かにあります。やっぱり現代音楽のある種のものは、全く不協和音だけでできた音楽っていうのもありますね。あれはちょうどやっぱり、あの二つの世界大戦がヨーロッパを中心にして行われていた間に書かれた音楽は、大体そうですね。やっぱり社会をこう音楽が映す鏡になっているわけですけど。でも、今の我々はその現代音楽イコールああいう不協和音とは思ってないわけで、それが美しく解決できるっていうことを、私は、音楽を通してみんなにこうアピールしたいなっていうふうに思ってるんですけど。こういうのがいくつかありますけれども、私のプロとしてのミュージシャンシップですね。

番組からのメッセージ

  •  ♪ 自分で作った料理を食べながらお酒を飲むのが一番のリラックスタイムという武久さん。お料理のレシピには大ざっぱで包容力のあるレシピとお菓子のように厳密でなければならないレシピがあるように、音楽にも多少の自由が許される楽譜と、書かれた通りに演奏しないと成立しない楽譜があって、とても似ていると感じていらっしゃるそうです。すでにベテランですが、若い時にはわからなかったことが表現できるように、もっともっとうまくなりたい! とおっしゃっていました。
  •  ♪ この番組は、らじる★らじるの聴き逃しでお楽しみいただけます!
    放送後1週間お聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

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24/01/29まで

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  •  ♪ 番組では皆さんのおたよりをお待ちしています。
    1月のテ-マは「地元自慢」です。年末年始にふるさとへの帰省など旅をされた方も多いのではないでしょうか。今住んでいる場所はもちろん、いろんな好きな地域の「地元自慢」、周囲の人から聞いた話でもOKですので、「地元自慢」のエピソ-ドをリクエスト曲とともにお寄せください。

眠れない貴女へ

NHK-FM 毎週日曜 午後11時30分

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【放送】
2024/01/21 「眠れない貴女へ」

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