アレッサンドロ・バルベーロ著『ダンテ その生涯』の翻訳者、鈴木昭裕さん

24/04/29まで

著者からの手紙

放送日:2024/03/31

#著者インタビュー#読書#ワールド

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アレッサンドロ・バルベーロ著『ダンテ その生涯』は、13世紀、イタリアの都市国家・フィレンツェに生まれ、長編叙事詩『神曲』を生み出した詩人・ダンテの人物評伝です。翻訳した鈴木昭裕(すずき・あきひろ)さんにお話をうかがいます。(聞き手・畠山智之キャスター)

【出演者】
鈴木:鈴木昭裕さん

歴史家ならではのダンテの描き方

――この本は本国イタリアで20万部のベストセラーになっているようですが、鈴木さんはなぜこの本を翻訳してみようと思われたんですか。

鈴木:
著者はアレッサンドロ・バルベーロといいますが、あのバルベーロのダンテ論だから、ということに尽きるんです。アレッサンドロ・バルベーロというのは、今イタリアで最も人気のある歴史家で、彼はSNSで大活躍しておりまして、ユーチューブなんかに出ますと何十万回という再生数を誇るわけです。イタリアでは名前と同時に顔も非常によく知られていると思います。そのバルベーロが書いたダンテ論ということで、イタリア人も非常に楽しみにしていたと思いますし、私自身もバルベーロが一体どんなダンテ論を書いたのか楽しみにしていました。その意味では非常におもしろい作品だと思って翻訳を引き受けた次第です。

――ダンテに関する本は数多く出されていますが、この本の売れ行きがいいということは、他のダンテの人物論とは少し違うということですよね。

鈴木:
大いに違う点があると思います。

――それが何なのか、お話をうかがっていきますけれども、まずダンテの来歴を簡単にご紹介いただけるでしょうか。

鈴木:
ダンテが生まれたのは日本で言いますと鎌倉時代です。イタリアのフィレンツェという街で、政治的に不安定な時期に生まれました。そこで政治活動をするんですけれども政治的な争いに敗れてフィレンツェを追放され、イタリア各地を転々としながら最後はフィレンツェに戻れずに亡命生活の中で亡くなってしまいます。その亡命生活の中で書いたのが『神曲』という作品になります。

――私たち、ダンテにあまり詳しくない人間には、『神曲』を書いたすばらしい詩人という印象があるんですけれども、この本で描かれるダンテには、『神曲』を書いた偉い人という雰囲気がないんですよね。ある意味、中世ヨーロッパという時代に翻弄された“いちフィレンツェ人”といった印象を受けます。鈴木さんはこうしたダンテの描き方について、どうお感じになりますか。

鈴木:
まさにそこがこの本の個性といいますか、今までの類書にない特徴になっています。それは例えば、先行きが見えない、世の中が貧しいとき・苦しいとき・不安なとき・乱れているときこそ、精神の豊かさを求めてダンテを読むべきなんだ。つまり『神曲』をとおして今の自分たちが何をくみ取るべきかという本が、ずっと書かれてきたわけです。

しかし今回のバルベーロの本は、まさに歴史家が書いた本でして、バルベーロ自身が、歴史家にとって一番大事なことはフォンテを見つけることだと書いているんですね。「フォンテ」というのはイタリア語で「出典」のことですが、文書に書かれたものだけが出典ではなくて、例えば当時使われていた貨幣も出典の1つだし、あるいは建築物も出典だと。だからこれは言ってみれば情報源ですね。どういった情報源を見つけて、それをどういうふうに読み解いていくかが歴史家の一番の課題である。その課題に、ダンテという人物でチャレンジしたのが今回の本だということになります。ですから歴史家としてのフォンテの見つけ方に、この本のおもしろさがあるんです。

――バルベーロがいろいろな資料に当たっている部分がありますよね。例えば、ダンテの父の資産売却の公正証書の記録から、資産を売ってもうけてやろうという姿勢は見られない、というふうに書いてあります。こんな細かいところまで1つ1つ事実を積み上げて、歴史家としてダンテを描いている。このあたりが他の本とは違うなと思いました。

鈴木:
まさにそうですね。

高貴さや女性についてのフォンテ

――本の前半に 「ダンテは貴族だったのか」という問いがあって、巻末には「晩年、ダンテが生涯情熱をもって追求した高貴さの問題」という一節が出てきます。ダンテと高貴さ、その関係についてはどんなことが言えるでしょうか。

鈴木:
バルベーロは、当時の人々が貴族階級をどのように捉えていたのかを説明するのにいろいろな資料を駆使して説明するんですけれど、1つだけ挙げておくと、「馬」ということが出てくるんです。貴族階級の中には、騎士になる人たちがいる。つまり騎士というものの階級が、貴族というものに結びついている、馬を持っている、ということがあるんです。実際、ダンテは戦争に参加していて馬持ちなんですね。だけどそれは騎士ではないんです。騎兵なんです。だから自分のお金で馬を買って出兵したらしいんですけれども、そうするとそれは一体、貴族階級との比較で言うとどうなるかということをダンテは考えるんです。

それから彼は亡命した先で、その土地、その土地の貴族にお世話になるわけですけれども、ある貴族の親戚の誰かが亡くなったときのお悔やみ状に、「もう私は今はすっかり貧乏してしまって、馬も持てない身です」というふうに書くんです。つまり馬を持つことが、当時としては非常に重要なステータスであった。それすらできなくなったということで自分の不遇さを訴えるんですが、それが当時の人たちの1つの価値観の証拠に、1つの情報源になっている。そういうことが、バルベーロがいろいろ取り上げてくる貴族制の例証の1つになります。具体的にこういうことが貴族の条件だったのではないかと、そういう推論をするんです。

――ダンテ自身は、自分が貴族でありたいというふうに思っていたんでしょうか。

鈴木:
そこもいろいろ論議がされているところで、貴族といってもフィレンツェでは、「豪族」と僕は訳しましたけれども旧来からの豪族もいれば、いわゆる新興貴族もいるんです。ダンテはどちらかというと新興貴族階級に入ると思いますし、実際ダンテの先祖の中には騎士になった人もいたようですから、そういう意味では旧来の豪族の条件を持っている。自分は一体どちらなんだろうということは、考えたかと思うんですね。

――そしてダンテといえば、『神曲』にも登場するダンテが理想とした女性・ベアトリーチェが思い浮かびます。出会った瞬間のことから言及がありますが、鈴木さんは、ベアトリーチェという女性はダンテの人生にどういった影響を与えたとお考えですか。

鈴木:
僕自身の考えというよりはバルベーロが、ベアトリーチェといいますか、ダンテと女性をどういうふうに捉えたかということで1つ触れておくと、ベアトリーチェと9歳のときに出会って、9年後に街中で再会を果たしたときにベアトリーチェがあいさつをしてくれるというくだりがあるわけです。けれどもバルベーロの捉え方は、逆に言うとそれだけ会えなかったわけで、つまり社会というのは、それだけ女性を結婚するまでは家の中に置いておいて外には出さなかった。フィレンツェは特にそういうことに厳しい社会だったということが見てとれるわけです。

――小さいころに会ったベアトリーチェが『神曲』の中に何回も登場するということは、ダンテの頭の中では相当印象深い女性だったということですよね。

鈴木:
そうですね。ただバルベーロはその点については多くは触れていないです。それは結局、実証できるフォンテのある世界ではなくて、言ってみれば意義を求める分析になります。いわゆる文学分析とか象徴分析という、そういった世界になると思いますので、この本に関してはそういったところはわりと簡単に扱われていると思います。

もどかしさとその先にある新鮮さ

――翻訳した鈴木さんが、なるほどそうだったのかと思った点や得たものはありましたか。

鈴木:
この本を読んで、もどかしさが残るんですね。実際バルベーロ自身も、こういったことがもどかしいということを言うわけです。それはまさに歴史家の視点で、これがもし思想家や文学者であれば、そのときそのときの自分なりの解決をして本にしていくと思うんです。歴史家はそうではなくて、ここまでしかやっぱりどうしても今の時点ではわからないんだというもどかしさがあって、バルベーロはそれをそのまま書くわけです。

ですから読んでいる人も当然もどかしいんですけれども、それが歴史を読むうえでのおもしろさかな、と。僕が今まで翻訳したものは、だいたいが小説とか、その時点での作者の見解がはっきりと示された本が多かったものですから、今回はそういう意味では非常に刺激的で、もどかしさを著者と共有できたという、それを超えた先に見えてくる世界がとても新鮮だったという、今までにない体験ができました。

――アレッサンドロ・バルベーロ著『ダンテ その生涯』を翻訳した、鈴木昭裕さんにお話をうかがいました。鈴木さん、ありがとうございました。

鈴木:
ありがとうございました。


【放送】
2024/03/31 「マイあさ!」

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