『「差別」のしくみ』木村草太著

24/04/01まで

著者からの手紙

放送日:2024/03/03

#著者インタビュー#読書

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『「差別」のしくみ』は、憲法学者の木村草太(きむら・そうた)さんが、差別にまつわる問題を解消する方策について提案した社会論です。木村さんにお話をうかがいます。(聞き手・畠山智之キャスター)

【出演者】
木村:木村草太さん

差別の構造自体を解析する必要性

――木村さんは、差別について、今まさに書かなくてはいけないと思ってこの本を書いたそうですけれども、なぜそう思ったんでしょうか。

木村:
今日、人種や性別で露骨な区別をすることがなくなってきたために、差別の問題はより複雑化してきています。形のうえでは平等に、区別なしに扱っているけれども、その背景には差別意識があるというような行為も増えてきています。例えば、憲法ではすでに平等権、差別されないということが書かれているわけですが、女性と男性が衆議院や参議院で同じ比率で議員になっているかというとそうではない。

それをなんとかするためには、単に区別をしないだけではなくて、女性が議員になるときにどのような困難があるのかを丁寧にくみ取って対応していかなければいけない。そこまでやらないと差別を解消したとは言えない。そういう段階に入ってきているわけです。ですから差別の構造自体を解析しなければならないなと思って、この本を書きました。

――差別とは何なのか。木村さんは、差別を正しく定義するところから本を始めています。例として、「女性は話が長く、会議の制限時間を無視するので、重要な役職に就いてはいけない」という発言を挙げて、4つのポイントで問題点を指摘しています。1つ目は、誤った事実認識。それから、本人の同意がない個人情報の利用。そして、個々人が判断の主体であることの否定。4つ目が、単にイメージとしての価値観、感情。この4つから、私たちが知っておくべきポイントを解説していただけますか。

木村:
1つ目のポイントと4つ目のポイントから説明してみたいと思います。よく差別というのは、誤った事実認識のことだというふうに理解されてきました。しかし例えば「女性は話が長い」という発言については、「女性だって話が短い人と長い人がいるし、男性だってそうでしょう」というふうに、それは誤った認識だと指摘をすれば、それで改善するはずだという理屈です。

しかし差別をする人というのは、事実認識が間違っているというよりも、そもそも背景に、女性をおとしめたいとか女性が活躍することが気に食わないという価値観があるわけです。それは事実認識とは別の問題で、いわゆる偏見と言いますけれども、女性や特定の人種の人に向けられる誤った事実認識というのは、そうした差別感情や差別的な評価によって増幅されて強固になっていく。誤った事実認識ではなくて、さらにその背景にある差別感情、あるいはおとしめたいという価値観、そういったものが差別なんだというふうに捉えていかないと、差別の問題は正しく認識できないんじゃないかという理屈です。

区別の“形”で差別は判定できない

――今、お話しいただいたのは、相手をおとしめようとかいう本人の意識から生まれた発言ですが、この本では、差別する人に差別している自覚がないケースがあると指摘していますよね。どんな例が挙げられますか。

木村:
女性は家庭に入るべきで仕事をするべきではないと思っている人は、本当にそれが正しくて女性の幸せなんだと思ってそういう価値観を持っているわけです。ですから「それは差別ではないですか?」と指摘をしても効果はないので、いきなり差別だと認定するのではなくて、差別的だと周りから見られるその人の価値観について、どこに問題があるのかを解析していかないと、コミュニケーションが成り立たないところがあります。

――例えば大学の授業で、先生が「君、背が低いから前のほうに来なさい」と言ったとします。その場合、先生の配慮というのは、差別ですか?

木村:
その背景に、どのような感情が先生の中にあったんですかということを問うていかないと、わからないと思うんですね。さらし者にしてやろうという感情がもしあったのなら差別でしょうし、ただの配慮であれば、言い方も変わってくると思います。「そこにいると見えにくくないですか?」「いや、大丈夫です」とそこで終われば、別に問題はないということになりますね。

――なるほど。この本の中では、差別の認識を高めるために、差別と区別の分類についても取り上げています。正当化できる区別もある中で、差別になり得る場合もあると書いていらっしゃいます。差別と区別の境目には、どんな意識が必要なんでしょうか。

木村:
差別と区別については、区別の形で差別かどうかを判定しようという議論をずっと続けてきました。でもそれは有益ではないと思います。というのは、差別というのは人の気持ちが関わってくるものなので、どういう形があると気持ちがあるかというのは、定義できないんですね。

「差別」で言うとわかりにくいので「愛情」ということで考えてみると、どんな行為が愛情のこもった行為かというのは、行為の形では定義できないですよね。例えば1万円以上のプレゼントをあげると愛情があると定義できるかというと、心のこもったプレゼントが1万円以上であることもあるし、1万円以上のプレゼントなんだけれどもストーカーのような人が全く愛情に基づかずにやっていることもあるわけです。ですから形では、愛情があるかどうかは定義できない。そこにいたる文脈とか、その人の気持ちとか二人の関係とかを考えないと、「愛情」があるかどうかはわからないわけです。

「差別」も同じです。その人の心の中に、差別感情、この人をおとしめたい、あるいは、この人はこういう人種や性別だから活躍してはいけないんだというような価値観や評価があるかどうかは、そこにいたる文脈を考えないとわからないということになります。

――意識の中の問題ですよね。

その人を何かの“類型”で見てはいないか

――社会の中には、区別されていても批判はされない区別もあるわけですよね。

木村:
もちろんあります。例えば窃盗犯と窃盗犯じゃない人。犯罪をした人は刑罰を受けるし、そうじゃない人は刑罰を受けないというのは当たり前に行われる区別ですね。正しい目的があり、その目的の達成に役に立っている区別です。そういったものは、普通は差別ではないと認定をされます。

――目的?

木村:
はい。窃盗を防ぎたいという目的で、窃盗をした人を罰する。その目的は正しいし、目的達成に役に立っている。一方、例えば窃盗犯が近くにいたことがわかったときに、こういう人種の人が犯人だろうといって捕まえてしまったら、窃盗を防ぐという目的は正しいかもしれないけれど、この人種なら、という関連はないわけですから目的達成には役に立っていません。あるいは、優秀な人を弁護士にするために弁護士資格を男性に限ろうなどと言った場合、目的は正しいかもしれないけれども、女性にも有能な人はたくさんいるわけですから、目的達成の役に立っていない区別だということになります。

――となると、差別と区別を自分自身で判断する場合の軸というのは何でしょう?

木村:
まず、その人を個人として見ているか。それとも、個人としては見ずに何かの類型に属している人、あなたは○○人だから、○○の性別だから、○○出身だからというような類型で人の評価を決めてしまっている場合には、かなりあやしいことをやっていると思ったほうがいいということです。

それが正しい事実認識である場合はいいわけです。例えば東京都の大学が東京都民に対して学費を少し下げるという場合、これは東京都民かどうかで区別をしているわけですが、東京都民の税金で作られているので東京都民の方をまず進学できるようにしたいという目的があってやっているわけですね。

感情に基づいた行動になってはいないか

――木村さんは、「単に差別は許されない、と糾弾するのではなく、差別のしくみを分析して、どこにその悪性があるのかを解明することで、問題解決の糸口にする」という一文で本を締めくくっています。差別をめぐるこうした状況を乗り越えるために、私たちはどんな点に注意すればいいと思われますか。

木村:
公共の場面と、自分の感情に基づいて行動していい場面を分けるということだと思います。差別感情と全く無縁に生きるというのは、どんな人でもなかなかできないと思います。だとすれば、自分の中に差別感情があるかもしれないし、それを自分は正当だと思っているかもしれないと思ったうえで、自分の個人的な感情というものを、公共側に持っていってはいけない場面がある。

例えば職場で人を選ぶときには、自分が女性や人種に向けている感情ではなく、そのプロジェクトの目的に照らして一番いい人材を選ばなければいけないんだと思って、自分の感情とは別の評価基準で行動をする。そういうことをしていくことによって、少なくとも公共の場に差別が持ち込まれることがなくなっていく。それが差別の解消だと思います。だとすれば、「差別はいけない。なくそう」というふうに考えるよりも、「今、この場面で、自分の感情に基づいて行動しているのかどうかを考えよう」というふうにやっていくのがいいんじゃないかということですね。

――『「差別」のしくみ』の著者、木村草太さんにお話をうかがいました。木村さん、ありがとうございました。

木村:
ありがとうございました。


【放送】
2024/03/03 「マイあさ!」

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