ロバート・キャンベル訳著『戦争語彙集』オスタップ・スリヴィンスキー作

24/03/25まで

著者からの手紙

放送日:2024/02/25

#著者インタビュー#読書#ノンフィクション#世界情勢#戦争

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『戦争語彙集』は、ウクライナの詩人、オスタップ・スリヴィンスキーさんが戦争の脅威にさらされた人々の声を書き留めた証言集を、日本文学研究者のロバート・キャンベルさんが日本語に訳し、現地での気づきを書き加えたノンフィクションエッセーです。キャンベルさんにお話をうかがいます。(聞き手・畠山智之キャスター)

【出演者】
キャンベル:ロバート・キャンベルさん

ニュースとはまるで違う視点で語られた戦争の真実

――この本には、ウクライナの詩人、オスタップ・スリヴィンスキーさんが書き留めた戦争の脅威にさらされた人々の声が、77編記されています。キャンベルさんがこれを日本語に訳したんですけれども、その中から、今、日本人に伝えたい声をどれか選んでいただくことはできますか。

キャンベル:
「手紙」という話を紹介したいと思います。年齢は書かれていないんですが、たぶん初老の女性だと思います。夫はソ連時代、地質学者として北極圏で毎年長い出張をして調査をしていました。彼女が住んでいる町は砲撃を浴びていて、防空ごうに逃げないといけないというときに非常持ち出し袋みたいなものを作るんです。彼女が選んだのは、夫から届いた手紙の束でした。43通の手紙をそのままかばんに入れて下りていくんです。

それを読み直そうと思って持っていったわけですけれども、暗くてうまく読めないんです。でも指でなぞるだけで、記憶がよみがえってくるんですね。夫はもういないということで、当時たくさん絵葉書が届いたけれども、彼女はなぜか返事をしていないんです。それで防空ごうの中で彼女は夫に返事をしようと思い立って、返事をしたためるんです。そうしてずっと防空ごうの中でそれをやっているという女性の話です。

爆弾が落ちたとか、大変な状況だということはあえて言わなかった。手紙の最後にひと言、「ことしの冬は存外長い」ということだけを書き添えたと、最後にこの女性が語っているわけです。この世にはもういない夫が、彼女に勇気を与える。ニュースとはまるっきり違う視点で、戦争の真実が語られているというふうに思ったんです。

――キャンベルさんは翻訳中にオスタップさんとリモートで言葉を交わす中で、自分も現地に行きたいと思って、行かれたそうですね。

キャンベル:
そうです。行きました。

――どんなことがキャンベルさんの背中を押したんでしょうか。

キャンベル:
翻訳をしながら、できるだけ忠実に、取りこぼしがないように、そのまま伝わるように、清明なクリアな日本語にしようとしたんですが、足りないと思ったんです。その人たち一人一人の個性とか、スピリット、というのかな。それが吹き込まれていないととても感じました。それでオスタップさんに「行きたい」と言ったら、去年、「6月だったら、どうぞおいでよ」と。それで「行ける!」と。行けばきっと一人一人の経験、体験、気持ちというものが、もっと立体的になるだろうなというふうに思ったので、まずそのことだけを考えていました。

心の中で起きている作用を比喩のないむき出しの言葉で

――本の後半のほうにいくと、キャンベルさんがウクライナでいろいろな出会いや体験をされたことがつづられています。リビウという街を歩きながら、オスタップさんから「戦時下の状況では中にあるものがすべて外に出ます」という言葉を告げられて、強い印象を受けたと書いていらっしゃいますね。

キャンベル:
はい。話の語り口、っていうのかな。一人一人は、比喩、メタファー、たとえを、ほとんど使っていないんです。翻訳する途中で気づいたんですけれども、むき出しの言葉で書かれているんですね。つまり、おいしいきれいな羽二重餅にくるまれるような、とか、太陽のように美しい、とかいう話をしないんですね。何があったかということを彼ら彼女たちは語るわけで、物にたとえたりすることはほとんどないんです。

そういう意味でも、中にあるものがすべて外に出る。中と外が、もう本当に私たちの人格と外、社会の間にある膜みたいなものが剥がされて、本当に生身の状態になるんだということを感じ取っていました。淡々と語られる事実も、具体的な景色とか物が壊れるとかものすごい大きな音とかではなく、心の中で起きている作用、ですね。そういうものが、やっぱり一番力があります。

――もう1点、これはすごい体験をなさったのかなと思ったことがあります。キャンベルさん、ブチャで暮らす詩人、オレーナ・ステパネンコさんにお会いになっていますよね。彼女は、残虐な行為を目の当たりにして「呼吸のしかたを忘れた」というふうに語ったそうです。これを聞いてどう思われましたか。

キャンベル:
ほとんどの人たちは、この証言集で怒りをあらわにしていないんですね。だけれども生の彼女の言葉を聞くと、もう、怒り、っていうのかな……やり場のない怒りが本当にふつふつとわいているんですね。彼女は紛れもない悔し涙を流していました。ですから「呼吸のしかたを忘れる」ということ、これも比喩じゃないんです。恐らくもう本当に過呼吸になるぐらいになっていた。

自分は生き残ったわけですよ。逃れたんです。それに対して、これもいろいろな方と出会ってわかったことですけれども、やましさ、っていうのかな……亡くなった人たちに対する罪悪感のようなものですね。きょうもまた戦争状態ですよね。ぴんと張った糸が1秒も緩んだことはないということが、行ってみてやっぱりわかったことです。文字を介してでは、そこがたぶん、なかなかちょっと私は気づかなかったと思うんです。

先生、「平和」の代わりに「勝利」と言っていただけませんか

――キャンベルさんは、ウクライナ滞在中にリビウの国立大学で日本文学の講義をしたそうですね。その講義の中で1人の男子学生が手を挙げて、「先生は先ほどから『平和』という言葉を何度も口にしていますが、『平和』の代わりに『勝利』と言っていただけませんか」とキャンベルさんに訴えかけてきたそうです。このときのことを教えてもらっていいですか。

キャンベル:
まずそれを聞いたときに、ちょっとたじろぎましたね。彼が平和を嫌っているわけではないし、「勝利=次の暴力を生み出す殺し合い」と思っていないわけです。「平和」と言われると、今ウクライナの人たちは、何か取り引きの先にあるもの、つまり、領土の一部であるとか自分たちの言語であるとか文化的アイデンティティーを削られて、一方的に侵略してきた国に飲み込まれることによって失うもの。それと引き換えにあるものとしての平和は、彼らは「平和」だと思っていないんですよ。

冷や水をぶっかけられたような思いでした。確かに彼が言っていることを僕は否定できない。日本の中でいう、ある意味、ふんわりとした平和。話し合いで解決できるんじゃないか、どうして外交でできないのかということは、彼らにとってその話をするのは恐怖なんです。そこをやっぱり、わかってあげないといけないということ。

もう1つは、日本の中で本当に70数年間、戦後ずっと作り上げてきた平和というものの価値、それはどこかの工場で作っているものじゃないんです。平和というのは本当に手作りのものであって、積極的に、精力的に、行動によって作られるものだということを、私たちに問いかけているような学生のひと言でしたね。

彼らの言葉は私を目がけて何か回路を作ろうとしていた

――キャンベルさんはウクライナの人々との対話を終えて、「言葉は心の糧になる」という確信が持てたそうです。そして、「暴力の前に言葉は無力ではない」というふうに宣言されています。こうした気づきに至った心境を教えていただけますか。

キャンベル:
私は街の中で、手当たりしだいにいろいろなときに若い人たちに声をかけたんです。一人として「いや、ちょっと時間がない」とか言う人はいなくて、せきをきったように自分の話をしてくれたんですね。語ることによって、彼らは間違いなく私の胸の中に、もう、それを目がけて何かを刻もうとしているという、非常に鋭いものを私は感じたんです。これは、そこですごく大切な回路を作ろうとしているということを、感じたんですね。

彼らにとって言葉は、比重というのかな、重さが違うなということはその瞬間に思いました。記憶ですとか文化的な固有性、それが全部言葉の中にあって、言葉というものを交換することによって、私たちの心ですごく減っているエネルギーがリチャージされたり、勇気を持って生きることができる。言葉というものは、シェルターにもなれる。言葉によって、私たちは救われることもあり守られることもあるということを、私は実際に現場で経験したんです。

――オスタップ・スリヴィンスキー作『戦争語彙集』を日本語に訳して文章を寄せた、ロバート・キャンベルさんにお話をうかがいました。ありがとうございました。

キャンベル:
こちらこそ、ありがとうございます。


【放送】
2024/02/25 「マイあさ!」

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