『西行 歌と旅と人生』寺澤行忠著

24/02/26まで

著者からの手紙

放送日:2024/01/28

#著者インタビュー#読書

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『西行 歌と旅と人生』は、武家に生まれながら若くして仏門に入り、全国を旅しながら和歌を詠んだ歌人・西行について、今、何を知るべきかを提案する人物評伝です。著者の寺澤行忠(てらざわ・ゆきただ)さんにお話をうかがいます。(聞き手・畠山智之キャスター)

【出演者】
寺澤:寺澤行忠さん

歌人・西行はどう生きた?

――平安時代末期から鎌倉時代初期を生きた歌人、西行のプロフィールを、簡単にご紹介いただけますか。

寺澤:
西暦で申しますと1118年に生まれております。くしくも平清盛と同じ年に生まれているんですね。23歳のときに出家いたしました。当初は都の周辺で修行生活を送っていたんです。吉野、奈良、あるいは大阪、熊野……各地をしばしば往来するようになります。30歳のころには今の東北地方へ旅をしております。50代には四国へ渡っております。旅を繰り返しながら、生涯を通じて2,000首を超える歌を詠んでいます。死後に撰集された『新古今和歌集』には94首というたくさんの歌が選ばれています。『新古今和歌集』の中で一番多く歌が選ばれている歌人です。

――その西行を、なぜ今、知る必要があるのか。ここは「諸行無常」の「無常」がキーワードになるのでしょうか。

寺澤:
現代というのは、何を信じていいのかわからないような混とんとした時代でありますが、西行が生きた時代も、源氏と平氏が争って、末法思想に覆われた非常に不安な時代でありました。そういう時代を生きた西行は、歌だけではなくて生き方そのものが、人々をひきつけてきたと言えるだろうと思います。

その生き方はどういうものであったのか。人間というのは、常に変わらないものを求めつつ、現実には絶えず裏切られる。それが無常、つまり「常無し」ということであるわけです。人生無常の思いは、西行の歌を流れるいわば通奏低音だと言ってもいいわけですね。

現代も、平穏を願いながらも戦争や災害が絶えない時代であるわけです。無常というものは、昔も今も厳然としてある。その無常を乗り越えるための生き方を、西行を知ることで学ぶことができるだろうと思います。

旅は精神の自由のために

――現在の私たちは西行のどんなことを知るべきなのか、うかがっていきます。まず、西行の旅についてです。先ほどお話にあったように、西行は出家して日本各地を旅しながら歌を詠みました。寺澤さんは、当時は今と違ってレジャーや余暇を楽しむための旅は存在していなかったと書いています。西行は旅に何を求めたと言えますでしょうか。

寺澤:
昔は旅というものは非常に危険なものでありましたから、やむをえない目的がなければ、人は旅などしなかったんです。ただそういう中で、旅というものが、現実のもろもろの束縛からわが身を解き放って未知の世界に遊ぶ、そういう意義や魅力を持っていたことも、ある程度、自覚され始めていたと思われます。

西行は、日常の絆を離れて常に旅の状態に身を置くことで、精神の自由を確保しようとしたのでしょう。後年は、日常性を離れて未知の世界に遊んで、風景を眺めること自体を楽しむようになるわけですね。西行は、そういう旅を実践した、極めて早い例として見ることができるだろうと思われます。

時代を映す歌には戦も

――寺澤さんは、西行の代表的な和歌をいくつか挙げています。「心なき身にもあはれは知られけり鴫(しぎ)立つ沢の秋の夕暮」。これは、情緒を理解しない出家の身であっても、もののあはれは知っている。よって、鴫の飛び立つ沢の夕暮れに感じ入ることはできる、といった意味の歌ですが、この歌を私たちはどう理解すればよろしいですか。

寺澤:
中世に生きる人間の孤独な魂を飛び立つ鴫の姿に見て、人生無常ということをしみじみと感じた。それを歌にしたものですね。この歌は、秋の夕暮れという寂しい季節に深く心を寄せる傾向も、平安朝の半ばを過ぎる時期になって非常に強くなってきますが、そういう時代を強く映した歌として、人生は無常、世の中が無常だと感じられるような時代をすくい取った歌として、人々の共感を得たのだろうと思います。

――本の中ほどには、西行が合戦を批判している歌が登場します。「沈むなる死出(しで)の山川(さんがは)みなぎりて馬(むま)筏(いかだ)もやかなはざるらん」。これは、罪人が沈むという死出の川は、沈む人が多すぎて川があふれて、馬や筏でも渡ることができないだろう、という歌ですけれども、武家政治の始まりをいち早く憂えたということになるでしょうか。

寺澤:
そうですね。合戦というものは、人と人の殺し合いと言ってもいいわけですね。武家政治の始まりを憂えたとも言えるわけですが、それ以前に、人と人が殺し合うというのは究極の愚行だ、あってはならないことだ、こういう西行の認識であろうと思われます。

戦を詠むこと自体、この時代では非常に珍しいことでした。つまり歌というものは、麗しい対象を麗しい言葉を使って麗しく詠む、これが歌というものだ、こういう感覚が支配をしていた時代でありますから、特に戦のような、目を背けたくなるようなこういう醜いものは、当時は歌を詠む対象にはならなかったんです。そういう時代に西行はこういう歌を詠んでいる。こういう歌を残していること自体が、当時としては大変珍しいことなんです。

――そうとう勇気がいったかもしれませんね。

寺澤:
恐らくそうだったと思います。

――でもあえて、詠まなければならないという気持ちがあった?

寺澤:
そういう強い思いがあったのだろうと思います。

道を極めて無常を乗り越える

――この本の大詰めでは、西行のキーワード、「無常」についての解釈が出てきます。人間は運命にはあらがえないという「無常」を乗り越えるための、「道」という思想が登場しますが、西行が見いだした「道」について、解説をお願いしてもよろしいでしょうか。

寺澤:
そういう人生無常の自覚のもとに、その無常を乗り越えるものとして、人間としての完成を目指す「道」の思想がしだいに形成されていくわけです。茶道、華道、書道、柔道、剣道、弓道、武士道、みなそうでありますが、一つの道に打ち込んで専心努力することで、常人が及ばないほどの技量を手に入れる。同時に、その修練を通じて人間としての完成を目指すわけですね。西行はただ無常を嘆くばかりではなくて、生涯を通じて不断の精進をすることによって、それを乗り越える道があることを自ら示したわけです。非常に強い意志でもって人生を生き切るということですね。

人間というのは、周囲の条件によって妥協を重ねなければ生きていけない。そういう宿命も一方で負っているわけですが、さっきも触れましたが、戦というまさに人の殺し合い、これ以上醜いものはない、そういう時代に、自らの強い意志で自分の人生を生き切ったということですね。自分の心に、自分の魂に、誠実に生きた。非常に爽快なものがあります。

これは現代にも十分に一つの手本になるような気がいたします。西行に親しむことで、西行の歌を愛読することで、西行の持っている世界に少しでも近づければという思いを強くいたします。

――『西行 歌と旅と人生』の著者、寺澤行忠さんにお話をうかがいました。寺澤さん、ありがとうございました。

寺澤:
ありがとうございました。


【放送】
2024/01/28 「マイあさ!」

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