『身の維新』田中聡著

24/02/19まで

著者からの手紙

放送日:2024/01/21

#著者インタビュー#読書

放送を聴く
24/02/19まで

放送を聴く
24/02/19まで

『身の維新』は、幕末維新の動乱期、日本の医師たちが、西洋医学の流入など時代の流れにどうあらがったのかを探った歴史ノンフィクションです。著者の田中聡さんにお話をうかがいます。(聞き手・畠山智之キャスター)

【出演者】
田中:田中聡さん

幕末維新、医師たちも闘っていた

――田中さんは、幕末維新の時代に東奔西走した医師たちを描いていますが、なぜ、この時代を生きた医師たちに注目されたんですか。

田中:
幕末動乱期、医師たちは、政治工作に奔走する人がいたり、倒幕しなくてはといって蜂起を図った人がいたり、医師どうしでも流派によっては闘っていたんです。それぞれに医師としての理想像みたいなものがあって、そのために闘っていたという一面もあるんですよね。幕末の闘いというと佐幕派と倒幕派とか、あるいは医師のことも例えば西洋医と漢方医とか、そういう単純なことだけではなくて、どうもこの政治的な闘いの上に重ねていろいろな闘いがあったみたいなんです。それがわかったときに、それぞれの医師はどんなことを考えてどういうふうに何をしたかったのか、そういうことを知りたいと思ったのがきっかけかなと思います。

漢方でも蘭方でもなく和方の復興を

――幕末維新の時代にどのような医師たちが躍動したのか、うかがっていきます。幕末の医療には、漢方医学と、蘭学を基礎とした蘭方医学があったんです。そこに割って入るかたちで、日本古来の「古医道」の復興を提唱したのが、権田直助(ごんだ・なおすけ)という医師です。直助は蘭方医学や開国後に新しく入ってきた西洋医学を批判して、尊王攘夷(じょうい)、討幕運動にも傾倒していった人物として紹介されていますね。

田中:
権田直助という人は、「和方」、つまり漢方ではなくて和方を志します。和方というのは、漢方以前からもともと日本にあった医術ですけれども、古事記や日本書記にある神代の時代、神々の時代に、神が民に教えた医術である、と。

幕末頃になりますと国学が流行する時代になって、尊王思想みたいなものもだんだん強まってきます。そういうときにだんだん排他的な態度が加わってきまして、漢方、中国から来た医術以前の、日本の古い医術というものを主にすべきである、中心にすべきだという考えが出てきて、直助はそれにのめりこみ、普及に努めます。

尊王攘夷、攘夷しなくてはという思いが広がるんですが、それには、漢方や蘭方のように外国の医学で病気を治してもらった人たちは、「やっぱり外国の医学が優れているな」と思って自分の国はそれに比べて劣っていると思うようになるのではないか。だから和方、古医道で治された人たちは、自分の国への安心なり信頼なりを持つことができて、それが結果的に国の秩序の安定につながる、というような、政治的な考えを持っていたんですね。それゆえに、古医道を広げなくてはと思ったのだと思います。

そもそもあった漢方と蘭方の対立

――病で床に伏した14代将軍・徳川家茂の治療法を巡っては、蘭方医と漢方医の対立があったそうです。当初、家茂の治療には蘭方医があたりましたが、病が重くなるばかりだったので漢方医が呼び寄せられました。このとき対決するかたちになったのが、漢方を批判していた幕臣の蘭学医・松本良順(まつもと・りょうじゅん)と、漢方医の浅田宗伯(あさだ・そうはく)です。この時代の医学の世界は、西洋医学との対立以前に蘭方医学と漢方医学の対立があったようですね。

田中:
松本良順のように長崎でオランダ人の医師から学んでいた医師にすれば、自分たちこそ最新、あるいは本当の医学を学んできたと考えていて、漢方は迷信みたいなものだというふうに思っていたふしがあります。ただ家茂の病気に関しては、浅田宗伯たち漢方医の側は「かっけ」と診断して、それが正しかったと言われていますが受け入れられませんでした。一方、松本良順は心臓内膜炎と主張して治療していたんです。

結果的には漢方医側が正しかったわけですけれども、漢方医の側からすれば、西洋医は新しい理屈にかぶれたような、知識を振り回すような軽薄なやつらだというふうに思っていたんですね。ですからお互いに、軽蔑しあっているところがあったわけです。浅田宗伯が書いたものを見ますと、西洋医が治せなかった患者を自分が治したと書き残していたりします。また、戊辰戦争がいよいよ始まったということになると、戦場でけがをした負傷者の治療、外科治療はやはり西洋医術のほうが得意なので、良順は、「よし、これこそ漢方医学撲滅のチャンスだ」というふうに考えまして、張り切ったわけです。

――明治維新の後、新政府のもとでは西洋医たちが権力を握って漢方医を撲滅しようとする中で、新たに浅田宗伯ら漢方医の闘いが始まったそうです。結果、漢方医たちの闘いは敗北に終わったと書かれていますが、新しい時代の波には勝てなかったということなんでしょうか。

田中:
医学行政には完全に西洋医しかいない状態になったわけです。ところが当時、世間にいる医者といえば8割以上が漢方医で、まだ西洋医が少ないわけです。それをいきなり廃業だとはいかないので、とにかく漢方を存続させねばならないということで、全国に結社を作って闘い始めます。その闘いの中心にいたのが浅田宗伯です。

一方の松本良順は、「漢方なんか撲滅しなければいかん」と唱えるわけですね。国民を統治する手段としては、西洋医学じゃないと無理だ、できない、と。単に治療するだけなら漢方でもできるけれども、いろいろな国民の管理、あるいは疫病などに対する対策としての行政的な対処、それから対外的な西洋に対するメンツといいますか、同じような医学がありますよということを示さねばということだとか、政治的な理由がいろいろあってのことだったんです。そういう意味では、幕末の政治体制を巡って闘っていた、その闘いの延長でもあったと言えるのかもしれません。幕府を倒したように、「漢方も倒さねば」みたいな気持ちが、まだ残っていたのかもしれないですよね。

医師としてのそれぞれの“いちず”

――この本は、医学の世界から見た幕末維新を描いていますが、改めて田中さんは、幕末から明治にかけてのこの時代の魅力は、どんなところにあるとお考えですか。

田中:
まずはやっぱり人物の魅力ですね。こういう激動の時代ですから、当然ながら陰謀や裏切りみたいなことがいっぱいあって、そういう中で信ずるところを貫いて生きた人たちというのは、えてして理不尽な目にも遭うわけです。命懸けでやったのに報われなかったり、それどころか裏目に出たりということも当然あるけれども、そういう中でもいちずに生きたという人たちがいて、身を懸けて生きていたその姿はやっぱり魅力的です。なかなか今は見られないという面があるかなと思うんです。それが一つ、この時代の魅力かなと思っていますね。

――この本を読ませてもらって、古医道を確立した権田直助も漢方医の浅田宗伯も蘭学医の松本良順も、闘いはあったけれども医師としてはちゃんと庶民の病を治したりして、本当に皆さんから愛されているのがよくわかるんです。思想としては違うかもしれないけれども、医師としての本懐の部分は持っている、というのかな……。

田中:
そうですね、はい。

――そういうのを読んで、ほっとしましたね。

田中:
あぁ! 魅力的ですよね、みんな。

――浅田宗伯などは明治になって町の人たちを無料で治療する仕事をなさっていたり、心の根という部分ではみんな一緒なんだけれども、時代というのかな、そういうものが、いろいろな方向に物を考えさせ、行動をさせていた。それが深く読み解ける本でした。

田中:
ありがとうございます。本当に考え方はいろいろなんですけれども、みんなそれぞれ一生懸命で、いちずで、純粋っていうのかな、気持ちのいい人たちが多いですよね。

――『身の維新』の著者・田中聡さんにお話をうかがいました。田中さん、ありがとうございました。

田中:
ありがとうございました。


【放送】
2024/01/21 「マイあさ!」

放送を聴く
24/02/19まで

放送を聴く
24/02/19まで

この記事をシェアする

※別ウィンドウで開きます