『野球短歌』池松舞著

24/01/08まで

著者からの手紙

放送日:2023/12/10

#著者インタビュー#読書#スポーツ#短歌

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『野球短歌 さっきまでセ界が全滅したことを私はぜんぜん知らなかった』は、昨年(2022年)のプロ野球・阪神タイガースの毎試合後に、池松舞(いけまつ・まい)さんが詠んだ短歌を集めた歌集です。池松さんにお話をうかがいます。(聞き手・畠山智之キャスター)

【出演者】
池松:池松舞さん

2つの“しびれ”で短歌になった

――池松さん、阪神タイガース38年ぶりの日本一、おめでとうございます。

池松:
ありがとうございます!

――昨年(2022年)は、「いつまでたっても阪神が勝たないから、短歌を作ることにしました」という気分だった池松さんですが、今はどんな心境でしょうか。

池松:
去年、「いつまでたっても阪神が勝たないから、短歌を作ることにしました」といって始めたときは、とにかく勝てなかったので、それを思うとことしのことは喜びが大きすぎて、優勝してから1週間くらい、私、記憶がないんです。

――記憶がないって、どういうことですか(笑)。

池松:
優勝が決まった瞬間からあっという間に時間が過ぎて、気づいたら1週間たってました。その間に自分が何をしていたかは、手帳とかを見て「なるほどな」と追わないとわからないくらい、そんな感じでした。いやぁ、うれしかったです。

――ことしとは違った去年の阪神タイガースの毎試合後に、池松さんはどんな短歌を詠んでいたのか、うかがっていきます。「わたくしがピッチャーだったら旅に出る『みんなが打つまで帰りません』」「サードから本塁までが遠すぎて半日かけてもたどりつけない」。とにかく、打てない打線にしびれを切らしている池松さんの気持ちが伝わってくるんですけれども、このようなことをきっかけに、短歌を詠むようになったんですよね。

池松:
そうですね。勝てないことにしびれを切らしたとか、打てないことにしびれを切らしたというのも、もちろんそうなんですけど、いろいろなことにしびれを切らしていました。去年の開幕9連敗のときは、ファンだとかメディアとかSNSとか、いろいろなものがとても荒れていたんですね。阪神タイガースというチームに対して、批判とかヤジとか、ちょっと聞くに耐えないような言葉とか、そういうものがすごくあふれていました。

私の中にも、言いたいこととか思うこととか発散したい気持ちがたくさんあったんですけど、聞いていてつらいような言葉ではないかたちで吐き出したい、気持ちを外に出したいというのがあって、そういうしびれもあったんです。「なんで打てないんだ!」というしびれと、「なんでみんなそんなひどいことを言うんだ!」というしびれが両方あって、それでたまたま自分の気持ちをポンと出したのが、短歌というかたちだったんです。

――それまで短歌を一生懸命勉強されていたということではないんですよね。

池松:
ないんです。私、これが初めての短歌集なんです。『野球短歌』という本の一首目は「残塁の数を数えて甲子園きみは十二でぼくは九つ」なんですけど、これが初めて詠んだ短歌です。

――なぜ短歌になったんでしょう。

池松:
それがまた不思議で、「よし、短歌をやるぞ」と思ってやったんじゃないんです。たまたまだったんですよね。

阪神は球団だけど人間みたい

――打てない阪神打線にゲキを飛ばしていた短歌は、次第に洗練されていきます。「シャッターがぜんぶ下りてる夜の道に似てる打線を知っていますか」「阪神の打線を音にたとえると環境音楽だから勝てない」。単なる心情描写に比喩が加わって、進化していますよね。

池松:
ありがとうございます。

――「環境音楽だから勝てない」、これはどういう意味なんですか?

池松:
よく病院とかでかかっている音楽があるじゃないですか。

――BGMで?

池松:
はい。待合室とかでかかっている、邪魔にならない、歌がのってなくてリズムもないような音楽のことなんですけど、他の球団の打線というのは、もっと祭囃子みたいだったりロックみたいだったり激しさがあるのに、環境音楽だからそれは勝てないわよね、と。そういうことです。

――なるほど(笑)。そんな池松さんの短歌に、数多く登場する選手がいます。大山悠輔選手です。去年は、打てない阪神打線の中で孤軍奮闘したようですね。その状況を詠んだ短歌です。「大山のタイムリー見て給食がカレーだった日のこと思いだしてた」。池松さん、大山選手にだいぶ救われていますよね。

池松:
そうですね。前提として、大山に救われる人は実は私だけじゃないと思うんですよ。ファンはみんな大山が好きで、選手もみんな大山が好きなんですよね。それは、見ていて思う。

彼はいわゆるスーパースター的な選手ではないんです。だけど、美しいんですよね。ファーストなんですけど、ゲッツーをとるときの足と腕の伸び、そういうものが彫刻みたいで本当にきれいなんです。特にナイターのときはその姿が美しくて、見ているとちょっと涙が出そうになるんです。「給食がカレーだった日のこと思いだしてた」というのは、大山って、そういう選手なんですよ、なんか(笑)。

――どういうことですか(笑)。

池松:
あの……うれしい記憶を思い出させてくれる選手なんですよね。

――あぁ、そうか……。ところで、阪神ファンというと、負けても負けても嫌いにならないというか、そのメンタリティが強いとも言われるんですけれども、池松さんが阪神タイガースにひかれるのはなぜですか。

池松:
まず、「私は」ですけど、弱いことが嫌いになる理由にならない。弱いことがファンをやめる理由にならないんです。

それで、なんかね、阪神タイガースって人間みたいなんですよ。阪神って、球団なのに人間みたいなんです。阪神のおもしろさは人間そのもののおもしろさにちょっと似ているなとも思っていて、切なさとおもしろさの合わせ鏡なんですね。おもしろいのに、切ない、悲しい。切なくて悲しいのに、おもしろい。というのが表裏一体となっていて、だから、「わぁ、もう悲しい、勝てない、つらい、切ない……わぁ、でもおもしろい、なんでだ~」というのがあるんですよ。それで夢中で見てしまう。やめられない、というのがありますね。

美しい野球用語もたっぷりと

――池松さんはあとがきで、「気づけば私は野球が好きだった」「野球の魅力を表現するのに短歌は適している」というふうに書いています。野球と短歌の相性のよさはどこにあるとお考えですか。

池松:
野球という共通認識が、読む人にもあるわけです。説明する前に、日本人だったりアメリカ人だったり、野球を好きな国の人たちというのは野球を知っていますよね。野球の言葉も知っています。「ピッチャー」というだけで、もうそれは伝わりますよね。

短歌は文字数がとても限られているので説明ができない表現ですけど、共通認識がある野球というものだけで最初から最後まで詠む中で、説明がいらないというのが、まずとても大きいと思います。これがもしエッセーとかだったら、1年間の試合を全部読むのはできないよなぁと思って、短歌だから最後まで読んでもらえたというのは思いました。

あとは単純に、私が、かっこいいなとか美しいなと思う言葉がたくさんある。ファーストストライクとか643ダブルプレー、バックホーム、スライダー、シンカー……すごく美しいと思うんです。その美しい言葉を、歌の中に入れていいんですよね、合法的に(笑)。それが楽しい。

スタンドで笑っている子どもとか、はしゃいでいる人たち、泣いているオッサンとか、私が見た情景を短歌にすることで、いろいろな記憶を「揺さぶられた」と、すごくたくさん言われたんです。今はもう野球を見なくなった人が、子どものときに父親と一緒にたくさん球場に行っていて、「大好きだったことを思い出した」と言ってくださった方もいました。

とにかく歌にすることで、浮かんでくる情景がただの情景じゃなくなるというのが短歌と野球の相性のよさで、野球は1つの情景であり、同時に気持ちである。感情にもなりうるというので、向いてるんじゃないかなと思います。

――最後に、「来年の阪神に望むこと」をテーマに一首、詠んでいただくことはできますでしょうか。

池松:
はい。来年の阪神タイガースに私が望むことを歌にします。

――お願いします。

池松:
「星が見たい秋の終わりの球場のどこより長く野球をやって」

――『野球短歌』の著者、池松舞さんでした。ありがとうございました。

池松:
ありがとうございました。


【放送】
2023/12/10 「マイあさ!」

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