『事務に踊る人々』阿部公彦著

23/12/25まで

著者からの手紙

放送日:2023/11/26

#著者インタビュー#読書

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『事務に踊る人々』は、イギリス文学の専門家である阿部公彦(あべ・まさひこ)さんが、文学の視点から「事務とは何か」を解き明かそうとした評論エッセーです。阿部さんにお話をうかがいます。(聞き手・畠山智之キャスター)

【出演者】
阿部:阿部公彦さん

事務と文学には世界を冷凍保存する役割がある

――今回、なぜ「事務」をテーマにされたのか、そのあたりからお聞かせいただけますか。

阿部:
多くの人が、「事務」というと面倒くさいもの、煩わしいもの、かつ雑用でさまつでどうでもよくて、なければいいと思っている。でも仕事と事務は明らかに地続きです。そう考えると、業務でも貧富の差みたいなものを、暗黙のうちにみんな前提としているように感じられて、これは何か変だな、と。その貧富の差というのは本当にあるのだろうか、と。

2~3年前にグレーバーの本が話題になって、「クソどうでもいい仕事」というキーワードが飛び出しましたね。要するに、どうでもいい、形式だけの事務仕事みたいなことを無理やりわれわれは作り出して、それによって社会を回しているというところをすごく批判している側面があったと思うんですけれども、果たして本当にそうだろうか、と。「クソどうでもいい仕事」といわれているものが本当にどうでもいいのかというのは、何か気になるなと思っていました。

事務仕事というのは、よくよく見てみると「どうしようもなくあるものである」ということにも気づいてきて、それを全部まとめて考えなければいけないなというのが一つのきっかけですね。

――「事務」を考えるにあたって、阿部さんは“事務の人材”として、『ガリバー旅行記』のスウィフトから三島由紀夫まで、古今東西の作家たちを登場させています。阿部さんは冒頭で、「事務をめぐる探求は『文学とは何か』という問いにつながる」と書いています。事務と文学がどうつながるのか、簡単に説明してもらえますか。

阿部:
事務の最大の特色の一つは、世界を冷たく、一種、冷凍保存するような役割があると思うんです。文学の土台になっているのも、実はそういうところかなという気がしています。文学というのは、生きているものを言葉で捉える世界ですよね。われわれは文学作品を読むと、想像力とか、自由自在な血湧き肉躍る方向に注目しがちですけれど、実は生きている世界を文字にして書き留めるというのは、どこかでチョウを標本にするような、生から死へという要素が必ずあるんです。そこが冷凍保存だということです。

――なるほど。「事務」というのは、そういう役割を持っているということですね。

阿部:
文学作品が本当に力を発揮するときは、その冷凍保存の部分がしっかりできていないとダメなんです。

形式依存症の夏目漱石は“事務の人材”である

――具体的に、それぞれの作家ごとに「事務と文学」についてうかがっていきます。阿部さんがまず取り上げている“事務の人材”が、夏目漱石です。漱石を「事務との相性の良さがみてとれる」と評していますが、その理由は何ですか。

阿部:
どの小説にも、ところどころに漱石自身の、四角四面というんでしょうか、形式なくしては生きていけないという形式への依存、形式依存症というんでしょうかね。これが、力にもなるけれども病にもなる。ここが漱石らしいなという気がするところです。

――性格として、四角四面、きっちりしたもの、ルールにのっとってやっていくというところがあったんですか。

阿部:
あったと思います。それはルールにのっとってやるというだけの話ではなくて、恐らくルールにのっとらないと不安になるとか、ルールがあるからこそ救われる、というんでしょうか。ルールによってむしろ生かされるということも、見てとれるかなと思います。

――事務作業というのは、決まった手法で正確に一つ一つ埋めていきますよね。それと一致しているということですか。

阿部:
そうですね。それこそ、人生を作業としてやることで人生を安定させる。漱石は日々のルーティーンとか、あるいは毎週何曜日に何をするということにもこだわりがあった人ですし、やっぱりどこかいろいろな意味で不安定なものを抱えた人だったと思うんです。

――そこで事務との関係が出てくるというわけですね。

阿部:
そうですね。そこに事務的な要素が絡んでくると思います。

ディケンズの「荒涼館」は“事務の秘境”を描いた

――そして阿部さんは、チャールズ・ディケンズを「イギリス社会が事務の隆盛を目の当たりにする中で、いち早くその呪わしさを描き出した作家」と紹介し、代表作の「荒涼館」を、“究極の事務呪い小説”と評しています。ディケンズはどのように事務を呪っていたといえますか。

阿部:
「荒涼館」という作品は、延々と続く裁判を描いているんです。当時の裁判というのは、まだ19世紀ですから手書きの文書を大量に作るわけです。そうすると紙がどんどんあふれていく。だから紙文化・書類文化というのをかなりカリカチュアして描いた。そういう意味では、グロテスクなほどに事務作業が肥大した世界を描いています。そして事務の一種の“秘境”みたいな……

――秘境!

阿部:
はい。事務の“アマゾン”ですね。まさにそれがこの小説の肝なんです。一番有名な部分で、延々と続く裁判の話を弁護士と依頼人がしているときに、ふと書類の筆跡に気がつくんです。「この文字を書いたの、誰?」と質問をして、そこから物語が大きく展開するんですけれども、今とは違ってコピーがないので、代書人が文書をひたすら写すわけです。

基本的に、誰が写したかなんて誰も気を払わないんですが、その筆跡に気づいてしまう。事務が急に人間化するわけです。そこから火がついて、無意味な事務の、クズのような集積だと思われていたものが、いかにさまざまな人間の悲劇を隠していたかがわかってくる。そういう小説です。単なる事務を排除して退ける小説のように見えていて、実は逆に、むしろ事務の「豊かさ」と言っちゃっていいかもしれないんですけれども、秘境たる事務がいかに豊じょうな空間か、という。

――奥深さとかね、そういうことですよね。

阿部:
はい。

事務が人間のふりをするメルヴィルの“事務小説”

――阿部さんが最後に取り上げたのが、「白鯨」で知られるアメリカの作家、ハーマン・メルヴィルの「書記バートルビー」です。阿部さんは「書記バートルビー」を“究極の事務小説”と評しながら、この小説を、「事務が人間をコントロールしようとし、上手に人間のふりをする」様を描いていると指摘しています。この「書記バートルビー」に描かれる事務と人間の関係からはどんなことが読み取れますか。

阿部:
「書記バートルビー」という小説は、舞台がまず法律事務所なんですね。そこで雇われていた青年・バートルビーが、仕事を頼まれると、ことごとく「しないほうがいいのですが」と言って拒否するんです。この「しないほうがいいのですが」という口調も含めて、非常に事務的にやるところがまたおもしろいんです。「荒涼館」もそうだと思うんですけれども、事務的なにおいがプンプンする、そういう作品です。

これはもっと、事務の哲学的な探求といってもいいような展開を見せてくれる小説かな、という気がしますね。事務というのは、基本的に人間のためにあるものなのに、人間のためにこれはあるんですよというところが迷走したり暴走したりすると、とても人間のためのものだとは思えないようなものになって、むしろ、人間を苦しめたり縛ったりするようになる。これがまさに、すごく人間らしいと思うんですね。

人間らしさとは何かというと、ついわれわれは、生命的なものとかそういうふうに考えがちなんですけれど、人間らしさって、結構、人間じゃないものを上手に引き入れて、道具であるとかシステムであるとか、そういうものに自分を預ける、と。そこに人間らしさがあるし、そこがまさに人間を救うものでもあると同時に、場合によっては人間を苦しめるものでもあると、そういうことかなと思いますね。

――甘く見ていると、人間を飲み込んでしまう?

阿部:
そうですね。人間が人間を飲み込んでしまうというか。

――そういうことなんですね。

事務的視線が他者への思いやりを育んだ?

――阿部さんは文学を介して「事務の正体」に迫ったわけですが、阿部さんの目には今、事務がどのように映っていますか。

阿部:
事務というのはそういう意味で、今お話ししたように、一種の魔物のようなところがありますね。つまり事務のシステムって、例えば会社でお茶を設置しようとすると、誰も管理しないとうまくいかないから、例えばお金を徴収しましょうとかいろいろシステムを足していくわけですね。でもだんだん面倒くさくなって、なんのためにそのシステムがあったのかわからないくらい複雑になっていって、最終的にお茶一つ飲むのにもすごく面倒くさい手続きをへなければならなくなりがちです。お茶ぐらいならいいですけれども、いろいろな他に複雑なことがありますよね、人間の社会というのは。そういう意味で魔物だとは思います。

ただ他方で、われわれが今、配慮しましょうとかケアをしましょうというふうに、他者に対して思いやりを持つことがいいことだとされています。これは全くそのとおりだとは思います。でもこれって、われわれが前よりいい人になったから、そうなったのだろうか?

そういうところもなくはないと思います。ただ、そういう動きを支えてきたのは、実は事務処理化した社会で注意力が必要だったから、その注意力が大事であるということがむしろ先にあって、そのおかげで、われわれは他者にも注意を払うようになったのかな、と。だから事務的な視線のおかげで、社会が今のようにちょっと安定したものになってきたのかなということにも、気づきつつあります。

われわれはだから実は事務処理と同じようなことをしていて、そこを楽しんでいたりもするんですね。だから事務を介して世界を見直すと、ちょっと違ったものが見えてくる。人生も、ちょっと違って見えてくる。そういうのが、最終到達点かなとは思っています。

――『事務に踊る人々』の著者・阿部公彦さんにうかがいました。阿部さん、ありがとうございました。

阿部:
どうもありがとうございました。


【放送】
2023/11/26 「マイあさ!」

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