「小林秀雄の謎を解く―『考へるヒント』の精神史―」苅部直著

23/12/11まで

著者からの手紙

放送日:2023/11/12

#著者インタビュー#読書

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『小林秀雄の謎を解く』は、“批評の神様”と呼ばれた文芸評論家、小林秀雄の思想の正体に迫った論考書です。著者の苅部直(かるべ・ただし)さんにお話をうかがいます。(聞き手・畠山智之キャスター)

【出演者】
苅部:苅部直さん

近代の悪徳への一貫した批判

――小林秀雄がどういう人物だったのか、簡単にご紹介いただけますか。

苅部:
小林秀雄は昭和の始めの1920年代から、およそ1970年代まで長く活躍した文芸評論家です。文学を論じた批評という文章自体が文学作品になる、批評をそういうものにグレードアップした人です。つまり独立したまともな鑑賞の対象として、初めて批評が読める作品になった。ですから小林秀雄以後になって、批評というものが、小説や詩、短歌や俳句と並ぶ文学の1つのジャンルになったといえると思います。したがってそのあと戦後には、例えば江藤淳や吉本隆明、柄谷行人さん、そうした人たちが、小林秀雄の影響のもとから輩出されたという意味でも重要だと思います。

――なぜ今、小林秀雄を考える必要があるのか。これは、この本に繰り返し出てくる「近代」と関係がありそうです。苅部さんはどうお考えになりますか。

苅部:
「近代」というのが何を意味するかというと、民主主義、理性的な市民、科学の発展、経済成長など、これが戦後における、ある意味常識的な近代の捉え方だと思うんですね。小林は戦前から一貫して、小林の言葉でいうと「近代の悪徳」という現象に対する批判を活動の基盤に据えていました。

現在の日本社会を考えてみますと、戦後初期にあったような近代の礼賛は、あまり説得力がなくなっているように思います。つまり経済成長の結果、この社会にひずみが生まれたとか、あるいは自然環境が破壊されたとか、あるいは議会制民主主義が停滞しているとか、どうもやっぱり近代の理想がうまく実現していないというふうに思うのが、むしろ一般的になっていると思うんですね。そうすると、そのとき、近代の悪徳を批判するところから出発した小林秀雄の考え、文章といったものが、改めてわれわれにとっては新鮮に、そして重要に見えてくるのではないかと思っています。

人間の熟慮の営みは残り続ける

――この本を読みますと、近代というものが何を生んできたのかというところまでしっかり見つめていますよね。小林秀雄は具体的にどんなかたちで近代を批判していましたか。

苅部:
科学と理性に対する崇拝が非常に肥大化して、人々の豊かな感覚とか繊細な心の動きとか、あるいは一人一人の人間の独自性といったものが、結局、抽象的な法則等によって押し殺されてしまう。そういうことに対する批判意識からまず出発したということが、小林秀雄に関しては言えると思うんです。

重要なのはそのあと、戦後の話です。高度成長の時代になって1950年代の末から、小林秀雄は「近代の常識」というもの、つまり科学をひたすら崇拝する傾向に対する批判を展開するようになります。小林秀雄はこういうことを言うんです。「コンピューターにとって可能なのは反復運動としての計算に過ぎないから、計算のうちにほんの少しでも、あれかこれかを判断し選択しなければならぬ要素が介入してくれば、機械は為すところを知るまい」。

つまり、コンピューターがいかに発達して生活を便利にして使い勝手がよくなるといっても、コンピューターは一定の法則に基づいて計算することしかできない。そうすると、個別の状況に応じて人間がその場で考えて判断して選択する、そういう人間の熟慮の営みというものは、決して機械の運動には翻訳しきれない。機械をいくら使っても、そうした熟慮の営みの意味というのは、重要なものとして残り続けるという視点を打ち出しています。

これはもちろん、反科学ではないんですね。科学自体は否定しない。認めながらも、それとはまた別のものとして、人間独自の営みの意味を改めて正面から説いた。つまり科学的な方法とは異なる、物事を具体的に個別に理解する学問のあり方、それはたぶん人間の活動に対する理解では重要だということ、それを再検討に入ったと、そういうふうに考えられると思います。

心の深層で知る「もののあはれ」

――小林秀雄が近代の対極と見たのが、徳川思想史、江戸時代の儒学者たちが説いた思想ということになります。小林秀雄は伊藤仁斎、荻生徂徠の名前をあげて、「傾倒していった」とも書かれています。どんな部分に共鳴したんでしょうか。

苅部:
その後の明治・大正・昭和に続く近代の学問との違い、そこに小林秀雄は注目するわけです。近代になってしまうと、学問の多くは自然科学的なものに対するコンプレックスを抱くようになる。文系の学問も抽象的な法則や概念をやたらとありがたがり、そうしたことに個別の状況を当てはめるような方法が盛んになっていったと小林秀雄は見ています。そうして人間を扱う学問も、薄っぺらい“輸入学問”になってしまった。

それに対して徳川時代の学問の伝統というのは、古典のテクストをじっくりと解読して、その背後に働いている人間の精神の働きをともに感じる、共感を通じて再認識して取り戻す。そうした姿勢を通じて、歴史を知ることを通じて、時代ごとの考え方の違いや、一人一人の人のものの考え方や感じ方の多様性、一人一人が多様であることを本当に深く知る。そういう営みが徳川時代の学問には生きていた。そのことの再発見だというふうに考えられると思うんです。

――小林秀雄が最後にたどりついたのが、江戸時代後期を生きた国学者、本居宣長が論じた「もののあはれ」だったそうです。苅部さんは、小林秀雄が「もののあはれ」で得た気づきはどのようなものだとお考えですか。

苅部:
本居宣長は、宣長自身の人間論の中心に「もののあはれを知る心」といったものを据えたわけですが、「もののあはれを知る心」の捉え方が、小林秀雄はユニークなんです。普通「もののあはれ」というのは、人間の感情の生き生きとした働き、そういうふうに捉えるわけですが、小林秀雄はそうした表面的な感情の動きのさらに奥を、本居宣長は「もののあはれを知る心」と捉えていたと理解しています。つまり心の深層、深い層の運動が「もののあはれを知る心」で、そこが大事だと考えるんですね。

例えば美しい自然に出会ったとき、あるいは非常に立派な人の行いを見たときに、人は心底から感動する、という言い方をするんです。この、「心底」なんです。それは単に表面的な感情ではない。心の奥のほうが実は生き生きと働いている。宣長はそういう心の二重構造を指摘したと、小林秀雄は読むんです。

直感的な疑問をどう言葉にするか

――最後に改めてうかがいます。小林秀雄の思想はどんな点で重要だったといえるでしょうか。

苅部:
先ほども申したように、小林秀雄の言う「近代の常識」、つまり科学への崇拝が、人間に関する理解まで支配してしまう。この近代の常識の影響力・支配力は今でも続いていますし、もしくは強まっているかもしれません。例えばAIが発展して人間の仕事はいらなくなるんじゃないか。あるいはビッグデータを集計すれば最良の政策が実現できる。だからAIに任せればいいので民主主義の手続きなんかいらない、といった議論も出てきています。

しかしわれわれは、みんなどこかでそれに疑問や不安を感じているのは確かです。科学、技術が人間の行動まで支配して、それにのっとっていけば幸せな社会が生まれるという議論は、どうもおかしいんじゃないかと直感的に思う人は多いと思うんですね。直感的に、おかしいと思う。そうした思いを、どうやって言葉にするのか。そのことを、小林秀雄は早い時代にやっていたと思うわけです。そうした点で、今でも読むに値する重要な存在だと思います。

――『小林秀雄の謎を解く』の著者・苅部直さんにうかがいました。苅部さん、ありがとうございました。

苅部:
ありがとうございました。


【放送】
2023/11/12 「マイあさ!」

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