『母という呪縛 娘という牢獄』齊藤彩 著

23/07/03まで

著者からの手紙

放送日:2023/06/04

#著者インタビュー#読書#ノンフィクション

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『母という呪縛 娘という牢(ろう)獄』は、滋賀医科大学生母親殺害事件の犯人となった娘への取材から、なぜ娘が母親を殺(あや)めたのか、その経緯を描いたノンフィクションです。著者の齊藤彩(さいとう・あや)さんにお話をうかがいます。(聞き手・畠山智之キャスター)

【出演者】
齊藤:齊藤彩さん

母からの過剰な期待と暴力

――2018年1月に母親を殺害してバラバラにして遺棄したことを罪に問われ、現在服役中の娘・高崎あかり。これは仮名ですけれども、齊藤さんは冒頭で、「この本を出したいと考えた、あかりと私の思いが一致して」というふうに書いています。どんなふうに一致していると考えていらっしゃいますか。

齊藤:
あかりさんは、ご自身がお母さんとの関係に悩んでいたときに、自分だけが悪いと思い込んでしまって、なかなか周りに相談したり助けを求めたりする選択肢が浮かばなかったそうなんですね。ですから同じ立場の人がいたら、「声を上げていいんだよ」ということに気づいてほしいということは、本人もおっしゃっていました。同じように悩んでいる親子に、親子関係や家族のあり方を見つめ直すきっかけを提供したいなというのが、一致しているところですね。

一方で、私の背景ということもあるんですけれども、高崎さんの親子ほどではないんですけれども、自分も母親との関係に悩んだことがあったので、この事件はひと事ではないなという意識でのぞんでおりました。

――母を殺害した高崎あかりは、1986年に滋賀県の守山市に生まれています。あかりが小学校6年生のときに父親が家を出て、それ以来、母と娘の2人暮らしだったそうです。あかりは母に幼少時から医者になることを強いられて、母の管理下で、医学部合格を目指して9年間もの浪人生活を経験しました。成績が芳しくないと、「バカ! デブ! 不細工! あんたなんか産まなきゃよかった」とののしられて、包丁で切りつけられたり熱湯をかけられたり、鉄パイプで殴られたということです。こうしたことを知ったとき、齊藤さん、どんな気分になりましたか。

齊藤:
そうですね……とにかく胸が締めつけられるような思いでしたね。もちろん、その受けてきた行為自体が痛くてつらいということはあると思うんですけれども、さらに心理的に苦痛だったと思うのが、お母さんと2人きりの生活が20年ほど続いていたというのがあります。なかなか周りの第三者の目が行き届く状態ではなかったというところで、本人も声を上げにくかったのだろうなというので、さらに苦しさを増していたんじゃないかなと思っています。

――親の期待は医学部に進むということでしたけれども、あかりはなかなかその期待に応えられなくて、9年間浪人をすることになります。この9年間は、相当苦渋に満ちた生活だったんじゃないかと想像しますけれども。

齊藤:
9年間という長さ、しかも10代と20代前半の9年間って、通常だったら、いろいろな経験をしたりいろいろな人との出会いが増えたりして人生の幅が広がる年頃だったと思うんです。その大事な9年間を、親と子の密室で、しかも自分の意思とは反することをし続ける9年間だったということを考えると、失ったものは大きいのかなというふうに思っています。

殺めてなお残る強迫観念

――高校時代には、「お母さんに殺されそうです」と教師に連絡して家を出るなど、あかりさんは幾度となく家出をしているんですけれども、そのたびに連れ戻されています。なぜあかりは、こうした状況から逃れることができなかったんでしょう。

齊藤:
幾度となく阻まれてしまって、家に連れ戻されてしまっているんですね。そういうことを繰り返していると、「家を必ず出てやる!」というような気力が、どんどんなくなっていってしまったんじゃないかなと想像しますね。

――日記を母が見て、「この子が家出をすることが分かってしまった」というようなことが書いてありましたね。日記は個人のものですから、それまで監視されているとなると、やるせないですよね……。

齊藤:
そうですね。あかりは文章を書くということが小さいころから好きで、心安らぐ時間だったわけです。本当の自分の心の内を吐露するという行為が、日記を書くことだったと思うんですけど、そこまで監視されてしまっているとなると、逃げ場や心安らぐ空間というのを、やっぱり持てなかったんじゃないかなというふうに想像します。

――そして2017年の12月。隠し持っていたスマホが母に見つかると、それをたたき壊されて、あかりは庭で土下座をさせられたそうですね。あかりはこのときの心境を、「スマホだけではなく、自分の心まで母にたたき壊された」と語ったそうです。ここから母への明確な殺意が芽生えたそうですけれども、このときのあかりの気持ち、どういうふうに考えますか。

齊藤:
結局あかりさんは、9年間浪人した末に医学部医学科には入ることができなかったんですけど、国立医科大の看護学科に進んだんですね。そこで4年生で卒業を控えていたというときに起きた出来事だったんです。もうそれこそ本当に逃げ場がなくなり、耐えていたものが限界に達してしまったのではないかなと思っています。

――スマホを壊されてから1か月後に、あかりは母を殺めることになるのですが、ただ殺めただけではなく、そのあと、遺体を解体していますよね。その理由について、「母が生き返って私を責めると思ったから」「死んだ母が文句を言いそうだ」というふうに供述したと。これはどう理解すればいいですか。

齊藤:
お母さんに勉強を強いられて監視されている状態を20年以上続けていると、やっぱりどこかで、「お母さんに見られている」というような意識を常に感じざるをえなかったのではないかなと思います。実際に亡くなった人が生き返るなんてありえないというふうに思うんですけれども、それほど強い強迫観念があったということを象徴しているんじゃないかと思います。

母親自身が抱えていたもの

――あかりの母は、なぜ長年にわたって娘にこういった仕打ちをしてきたのか。どんな考えがあったというふうにお考えですか。

齊藤:
このお母さんの場合は、“お医者さん”に対するこだわりが結構強かったと思うんですね。それはやっぱり、お母さんの生い立ちに要因があるとは思っています。どういうことかと言いますと、あかりさんの母親のお父さん、あかりさんから見ればおじいちゃんが歯科医だったんです。あかりさんのお母さんは、お医者さんの社会的地位の高さですとか豊かな生活というのを、幼いころから間近に見ていたんです。そういったところから、お医者さんへの憧れというのが生まれていったのではないかなというふうには想像していますね。

このお母さんの場合は、”家庭”がお母さんの人生のほぼ全てになってしまったというふうに思っています。特段に何か仕事をずっと続けていたわけでもなかったですし、何か熱意を持って取り組んでいる活動ですとかコミュニティーがあったわけでもなかったので、自分の思想が極端になっていっているというような自覚があまりないまま、時間だけが過ぎていってしまったのかなというふうには思いますね。

――となりますと、娘に殺害された母も、家庭内での環境であるとか自分がどう育ってきたかという部分があって、その中で、この親子の場合は殺害というかたちになってしまった……。

齊藤:
はい。

「味方はいる」と気づけていたなら

――この事件をつぶさに見てきた齊藤さんは、もし、あかりが思いとどまることができていたなら、それはどんなことだったというふうに思われますか。

齊藤:
「理解してくれる人が身近にいるんだ」と、気づくことでしょうか。冒頭で申し上げたんですけれども、あかりさんは、母親との関係に悩んでいることを誰にも打ち明けられずに悩んでいた状況で、このような犯行に及んでしまったんです。そうなんですけれども、事後ではあるんですが、裁判官ですとか弁護士さん、裁判員の方とお話しする中で、「自分の味方は周りにもたくさんいるんだ」ということに気づいていかれたということになっていくんです。身近な人に、もっと相談したり悩みを打ち明けたりすることができていたら、彼女の心境も変わっていたかもしれないですね。

――『母という呪縛 娘という牢獄』の著者、齊藤彩さんでした。齊藤さん、ありがとうございました。

齊藤:
ありがとうございました。


【放送】
2023/06/04 「マイあさ!」

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