隣国ポーランドからウクライナへ 3年目に入った坂本龍太朗さんの支援活動

24/03/19まで

けさの“聞きたい”

放送日:2024/03/12

#インタビュー#世界情勢#戦争

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3年目に入ったロシアによるウクライナへの軍事侵攻。戦闘の長期化でウクライナの人々は恐怖や不安を抱え、不自由な生活を余儀なくされています。こうした中、隣の国のポーランドからウクライナへ支援活動を続けているワルシャワ日本語学校・教頭の坂本龍太朗(りょうたろう)さん〈38歳〉に現状と課題を聞きました。(聞き手・野村正育キャスター)

【出演者】
坂本:坂本龍太朗さん(ワルシャワ日本語学校 教頭)

ウクライナ支援は我慢のとき

支援物資の積み出し

――3月も半ばにさしかかりますが、ポーランドやウクライナは、やはりまだ寒さが厳しいんでしょうか?

坂本:
まずポーランドなんですけど、緯度は北海道より北に位置していてサハリン(樺太)ぐらいなんですね。これから春に向かう時期とはいっても、きょうも日中の最高気温が7度にも満たなかったですし、3月末までもう少しの間、朝晩は零下になりそうです。

それからウクライナは、私がいるワルシャワ近郊の町から両国の国境までは290kmくらいあり、車で高速を走れば3時間半ぐらいの距離なんですけど、ウクライナの特に東北部はポーランドよりも冬が厳しく、緊張が強いられているんです。よく連絡が来るんですけど、ウクライナの東北部は雪だけでなくミサイルも降ってくる状況だからです。ウクライナ東北部の人たちは「厳しい寒さや危険な日々に耐えながら、なんとか生活している」と言っています。

ウクライナの小学校へ送る物資の荷造りは、ポーランドで避難生活を送る子どもたちも手伝っている

――坂本さんは、侵攻の直後からポーランドへ逃れてきた人々のための避難所の運営を手伝ったり、ウクライナへ支援物資を送ったり、避難してきた家族を自宅で受け入れたりして、ずっと支援を続けてこられましたが、戦闘は長期化して今も続いています。支援活動も3年目に入りましたが、どのように感じていますか?

坂本:
3年目といっても本当にあっという間でしたね。戦争が長期化したことで“支援疲れ”は前から叫ばれているんですけど、特に去年10月のイスラエルとハマスの戦闘が勃発してからは世界のウクライナに対する関心が一気に薄まってしまったということを、私も避難者も感じているところです。
集まる支援金も、2年目は3分の1になってしまいましたし、これからももちろん世界各国にウクライナへの支援を期待したいんですけど、一方で日本では地震もありましたし、今年11月にはアメリカの大統領選挙などもあるので、ウクライナにとっても、そして私たち支援する側にとっても、今は我慢の時だというふうに考えています。

何もかもが不足している地方

――いま、ウクライナ国内で生活している人たちからはどんな声が届いていて、どんなものが必要とされているんでしょうか?

日本の一般社団法人東欧支援協会から大量に届いたカイロ

坂本:
まだ冬季なので、3度目の越冬支援であるにもかかわらず、「防寒具」や「発電機」などが今でも支援要請のリストに上がってくるんですね。
たとえばウクライナの北に位置するベラルーシとの国境の地域には、一晩中森の中に潜んで、そこでロシア軍の警戒とか監視活動を続けている人たちがいます。森の中にいる彼らからは、夏場は「虫刺されの薬」とか「水虫の薬」を求められたんですけど、今はやはり「カイロ」です。冬場は携帯カイロが求められて、日本の東欧支援協会からいただいた大量のカイロをウクライナ側に送りました。2年前の開戦当初、日本の携帯カイロはウクライナでもポーランドでも認知されておらず余っていたんですが、そのあと使い方を説明していくとようやく認知されて、3度目の冬となった現在はそれなりに重宝されています。

――戦闘が始まった当初、北のベラルーシ側から戦車が入ってきたということもあり、今もそうやって市民が監視を続けているんですね?

坂本:
そうですね。ベラルーシとの国境沿いでは、今も天気や季節に関係なく、市民による監視活動が24時間続けられています。

そのほかにも支援を必要としていながら、今までなかなか支援が入ってこなかった地域があるんですね。世界に対して声も上げられなかったような地方です。この冬は特にそういった地域に支援物資を届けることに力を入れてきました。たとえばウクライナの東北部のスームィ州にはいくつかの孤児院があるんですね。そこでは4歳から18歳ぐらいの子どもたちが暮らしているんですけど、これまでは支援要請の声が伝わってきませんでした。そこから要請を受けて、防寒具としての靴とかコート、靴下、ズボン、ほかには生活必需品として食べ物、薬、寝袋、生理用品、蛇口、鉛筆やタオル、通学用のリュックサック、それから松葉づえに至るまで本当にたくさんのものを送りました。

孤児院に送ったシリアル食品

同 寝袋

同 蛇口

同 松葉づえ

同 中古の日本製スマートフォン

世界に声を届けられない子どもたちは本当にたくさんいまして、別の孤児院では例えば10代の子どもがいても誰一人スマホを持ったことがないという状況で、世界に声が出せないでいましたし、また戦争の情報や新型コロナのパンデミックの情報もまったく入らず孤立している状況がありました。その孤児院に対しては最近10台の中古の日本製のスマホを届けたんですが、本当に喜ばれて、今はそういった子どもたちが世界に対してようやく自分たちのことを発信し始めています。それでようやく支援を求められるようになったんです。

――そのほか、どのような物資を届けていますか?

坂本:
そういった地方では、たとえばミサイル警報が鳴った時に逃げ込んで避難する地下室の空気がやはり悪いと聞くので、学校や孤児院の子どもたちが地下室で過ごせるよう除湿器などを送っています。

支援物資を積み込んだ車両

地方では本当にもう何もかもが足りていません。首都キエフなど都市部ではある程度日常が取り戻されてきているということは伝わっていると思うんですけど、今でも本当に苦しい生活を強いられている地方が少なくありません。
たとえばウクライナは今、食料事情もエネルギー事情も厳しいし、地方の予算もやはり戦争に振り向けなければならないので、ゼレンスキー大統領は、国外にいる避難民に対しては「冬が終わるまでは帰国しないように」と言っています。また、いまウクライナに保護者がおらず、ウクライナ国外の孤児院にいる子どもたちは帰国が禁止されているんですよ。そのようにウクライナへ帰国できない人と子どもたちがいるっていう状況もぜひ知っていただきたいと思います。

ウクライナ人の中に生じた溝

――他方、いま坂本さんがいるポーランドに逃れてきたウクライナの方々はどんな状況でしょうか?

坂本:
隣のポーランドへ逃れてきて避難生活を送っているウクライナ人は、ここしばらく約96万人という状況が続いているんですね。96万人の避難民といってもほとんどが女性と子どもたちで、そのうち約30万人いるお母さんたちは、ほぼみんなが仕事をしているという状況なんですね。
ただ、そういった人々と日々話しているとみんなの意識が変わってきていて、「戦争が終わったあともポーランドに残ろう」という声をよく聞くようになっているんです。そう考える人が増えてきました。

――それはどうしてですか?

坂本:
実はウクライナ国内にいる人たちの間では「国外に逃げた人たちは祖国を捨てた裏切り者」という意識が広がっているんです。それを声に出されるのを聞かなくても、やはりポーランドに逃れてきた人たちは帰りづらくなっているというのが現状です。本当に悲しいことなんですけど、開戦当初、一致団結して頑張っていたウクライナ人の中で意識に差が生まれ、現在は、国外にいるウクライナ人と、国内に残っているウクライナ人の間に溝ができて広がってきていると思います。

――同じウクライナ人なんですが、ちょっと心に分断が生まれているという状況でしょうか?

坂本:
まさにその通りなんです。この分断があると、戦争が終わってから、また一丸となって国を復興させようというときに大きな障害になるのではないかと本当に心配しています。
ふだん私はポーランドにいるので、ポーランドにいるウクライナの避難民とはよく話をするんですけど、このポーランドでは新政権が誕生して、避難民に支給される児童手当てが今年6月まで延長されたんですね。ただ、延長されたとはいえもう6月もすぐ来てしまうので、本当に多くのお母さんたちが不安を抱えています。

半年前、坂本さんといっしょに来日して番組に出演したウクライナ人避難者家族5人

2年間で成長した子どもたち

そして半年前、去年9月に東京のNHKを訪れて番組でウクライナの状況を一緒に伝えたウクライナ人の家族5人も、ポーランドへ来てから約2年間、国の研究施設の1室で過ごしてきたんですけど、最近そこを4月末までに退去するように言われました。通知があったその日は「これから先どうしようか?」と悲観して家族みんなで泣いていました。
それで今は9歳から15歳の子どもたち4人が学校を転校しなくても済むように、地域の中で仕事とアパートを探すのを手伝っています。

ウクライナ語を忘れる子たち

――ポーランドに避難しているウクライナの子どもたちへの教育というのはどうなっていますか?

侵攻当初に行ったポーランド語教室

坂本:
教育も本当に問題ばかりなんですね。特に言語の問題で小学校を落第してしまう子どもたちは、もうそこら中にいるわけですね。
そのほか、これまでウクライナの学校からオンラインで結んで授業を受けてきたんだけれど、そのオンライン授業が停止された子どもたちがいて、そうなるとやはりポーランド語を使って地元の学校に通わなければならなくなったり、または通学手段がなくて学校にも通えなくなったりしているという状況も出てきているんですね。

子どもたちの教育機会が失われないよう、約200万円で購入した通学バス

そうした状況を見て、私の家の近くに120人を超えるウクライナの子どもたちが通う学校があるんですけど、昨年秋の新学期開始に合わせて「通学バス」を購入して贈る支援をしたんです。その学校は、学区内からだけではなく地域全体からウクライナ避難民の子どもたちをバスで集めて教育しているんですね。通学手段がないと学校に通えない子どもたちもいましたが、この学校では、通学バスを用意できたことで、今も、そしてこれからもみんな一緒に教育を受けられるようになっています。

――ただ、避難生活も2年を過ぎましたが、言葉の問題はやはり難しいのでしょうね?

坂本:
そうですね。何か言葉の問題というと、やはりポーランド語ができないと地元の学校に通えないので、ポーランド語を習得しなければならないという問題もあるんですけど、最近は逆にウクライナの小さな子どもたちはウクライナ語が書けなくなってきているんです。10代の子でもウクライナ語を書かせると簡単なスペルミスがほんとに目立つんですよ。

そうなると、ウクライナへ帰ってからも大変です。戦争が始まった当初は、私はウクライナの人々にポーランド語を教える支援をしていたんですけれど、最近重視しているのはウクライナ語を忘れないようにすること。つまり避難してきた子どもたちに、ポーランド語ではなくウクライナ語を教えるという支援に今は重点を置くようになっています。

目に見えない問題に向き合う

ウクライナの小学校に送ったおもちゃ

ウクライナ国内の「英語」の授業で、日本から送られた「ぬいぐるみ」が活躍

――戦闘は3年目に入り、ウクライナ支援もなかなか終わりが見えませんが、坂本さんが感じている課題はどういうことでしょうか?

坂本:
一番大きな課題として変わらないのは、世界の関心や支援金が減り続けている中で、戦争で家を失ったり家族を失ったりする人、孤児になる人、精神的な問題を抱える人など、本当に心のケアや生活支援が必要な人は増える一方なんですね。高齢者の中には寝たきりになってしまう人もいて紙おむつが必要になっていますし、子どもたちの心の問題もあります。そうした目に見えない問題に今後どう向き合っていくのか。それは大きな課題になっていますし、国内と国外にいるウクライナ人の心に生じた意識の差が、戦後の復興でどのような障壁になってしまうのか。それを今からできるだけ解決していきたいというふうに思っています。

――坂本さん、ありがとうございました。

2023年11月末、坂本さんはポーランド大使館で在外公館長賞(大使表彰)を受賞した
表彰式には、避難民や支援者を含め、多くのウクライナ人も参加した


【放送】
2024/03/12 「マイあさ!」

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