「日本版DBS」 可能性と限界

けさの“聞きたい”

放送日:2023/11/01

#インタビュー#政治

学校や塾などであとを絶たない「子どもたちへの性被害」。それを防ごうという“ある制度”の行方に注目が集まっています。それが「日本版DBS」。これは、子どもに接する仕事に就く人に性犯罪歴がないことを確認する新たな仕組みです。政府の有識者会議で検討され法案まで作成されながら、自民党内での調整が難航、臨時国会への提出が見送られました。何が問題となったのか、今後どう考えていけばよいのか。慶應義塾大学教授で法哲学者の、大屋雄裕さんに伺います。(聞き手・野村正育キャスター)

【出演者】
大屋:大屋雄裕(おおや・たけひろ)さん(法哲学者・慶応義塾大学教授)

「日本版DBS」とは?

――まず、国が導入を目指す「日本版DBS」、どういうものなんですか。

大屋:
イギリスの「DBS」(Disclosure and Barring Service)=「開示および禁止制度」というものを参考にしています。10年ぐらい前に確立したのですが、たとえば、保護観察下に現にあるとか、4年以上の重罪の履歴があるとか、そういう事項がないことの証明書を本人が請求して取得する。それを雇用主に提示して、それがもし出せない場合には雇わないといったことを可能にする制度ですね。
日本でも、生徒に対する性的加害で処分された教員が別の自治体で教員に復職していたというような事例がありましたので、同じような問題を防ぐためにこれの日本版が構想された、そういうことになります。

――その日本版DBSですが、国の有識者会議ではどういう制度が提案されていたんでしょうか。

大屋:
保育所や学校といった子どもに関わる機関の責任者が、就業希望者についてこのDBSに照会し前歴がないことを確認するという制度です。データベースには性犯罪の前科情報が登録されていますので、前歴があることが分かれば採用しないとか、あるいは、子どもと接することのない仕事に限って従事させるといった管理措置を事業者がとることが想定されています。

なぜ法案提出は見送られた?

――そこまではよくわかるんですけれども、その提案に対して再検討を求める声が出たと。どういう内容ですか。

大屋:
大きく2つあります。
1つは、学習塾やスポーツクラブのような「民間事業者」について利用義務が課されなかったという点です。

――でも、ニュースなどでは大手学習塾の講師が女子児童を盗撮するという事件も伝えられていますし、どうして民間事業者が利用義務を課されなかった、対象から除かれたんでしょうか。

大屋:
学校や保育所は、ある日、勝手に作るということはできません。設備や組織に関する一定の基準を満たして許認可を受ける必要があり、法令違反があれば処分されて、最終的には閉鎖が命じられることもあります。
これに対し、学習塾などは勝手に作れちゃうんですね。そうすると処分を受けたとしても新しいものを作っちゃえるし、実体のない“塾と称するもの”を作るということも可能なわけです。そういう事業者に無制限に制度の利用を許すと、いわゆる“名簿屋”が学習塾の設立を偽装し「システムから引き出した前科者情報を売る」といった問題が起きかねないわけですね。

――本来の制度の趣旨とは違う、目的とは違う、制度を悪用される心配があるということですね。扱いに最も注意を要する個人情報が広がってしまうおそれが出てしまうと。

大屋:
はい。そこで、こういう民間事業者については、「ちゃんと個人情報を適切に扱えるんですか」「体制を作ったんですか」ということを確認して認定したうえで、その場合に限って制度が利用できる、こういう制度にしたわけです。

――確かに、子どもに接する仕事というのもさまざま。学校だけではなくて、学童クラブですとか民間NGOなどいろいろありますものね。その再検討を求める声、もうひとつあるということでしたが。

大屋:
対象が性犯罪の前科に限定されまして。したがって、条例違反であるとか、裁判まで行かずに不起訴で終わったという例については対象から除かれたんですね。

――これ、性被害の場合、条例違反で逮捕というニュースも聞きますし、あるいは、示談で不起訴になったというケースもありますよね。どうしてそれが対象から外れたんですか。

大屋:
条例というのは各自治体が個別に作るものです。日本だと47都道府県と市町村が1,700以上あります。それぞれの自治体が個別に条例を作っているので、統一的なデータベースも実は存在しません。「どの条例に違反した場合に性犯罪と認定するのか」というのも決まったルールがあるわけではありませんから、自治体によって規定ぶりも違うということを考えると、とても対象が特定できない。対象が特定できないのに、「とにかくデータベースに入れろ」って言われてもやりようがない、っていうのが本音ですね。
また、不起訴処分と一口で言うんですけれど、これもいろんな種類がありまして、いちばん軽いのは「嫌疑なし」。要するにいわゆる検察側での「無罪宣告」まで含まれるわけです。無罪だって言われたのに、その対象者に就業制限をかけるというのもやっぱりちょっと無理があるわけですね。

――「嫌疑なし」というのと「示談で不起訴」というのは違うということですよね。わかりました。

日本版DBS創設へ課題は?

――臨時国会で岸田総理大臣は、「日本版DBSの創設に向けた法案を、次の通常国会以降できるだけ早い時期に提出できるよう努めたい」と言明しました。ここまでのお話では、事業者による性犯罪歴のデータベースの照会には問題、課題があるということでした。
そうした中、有識者会議では「就業希望する人自身が、DBSから犯罪記録がないことの証明書を取得して、各機関に提出してはどうか」という声が上がったそうですね。

大屋:
いわば「無犯罪証明書方式」ということになります。これなら民間事業者も無理なく対象にできるという主張なんですが、非常に危険な発想だと思います。

――非常に危険な発想? でも、自分についての情報を自分で引き出す、それが危険な発想なんですか。

大屋:
はい。ちょっと細かいですが「個人情報保護法」というのがありまして、「各個人は自分に関する個人情報を開示するよう行政機関に請求」することができるんですね。ところが、その同じ法律の中で「刑事事件等に関する個人情報というのはその対象から除外」されています。したがって、私が自分の犯歴があるかどうか開示請求しても、あるともないとも回答されません。

――自分についてなのに。それはなぜなんですか。

大屋:
「本人だから渡していいだろう」というふうに考えるとですね、たとえば就職面接で持ってくるように圧力をかけるとか。

――あー!

大屋:
みんなそろって先を競って提出するので、「渡さないと疑われるから、出さざるをえない」というような事態が起きるわけですよね。さらに言うと、渡した先が実は「偽装設立された名簿屋」で、そこから情報を売られちゃうといったことがやはり予想されるわけです。

――そこまで想定した法律になっているわけなんですね。

大屋:
これを許すと、結果的に「犯罪に関する前歴」という“最もセンシティブな情報”の管理が崩壊してしまうんですね。無犯罪証明書方式は、これと全く同じ問題を起こすことになります。

――そうしますと、この最もセンシティブな情報、「利用する側の責任」というのも厳しく問われることになりそうですね。

大屋:
なので、やっぱり非常にセンシティブで管理しなければいけなくなるので、「現場の負担が重い」という声も教育関係者側から寄せられているわけですが、前に園児を送迎バスに取り残して死なせてしまったという幼稚園がありましたよね。

――ありました。

大屋:
それに対してですね、やっぱり「子どもの安全を管理できない事業者は失格であって、そういう事業者はもう運営をやめてくれ」という声が社会から出たと思います。こういう安全の確保に必要な手段を講じられない事業者というのはやっぱり失格なんですね。
本来は厳重に秘匿すべき情報を、子どもの安全という重大な行為のために例外的に利用を許すという制度ですから、現場がそれを適切に管理しなければいけないのは当然であって、自分たちが職業選択の自由であるとかプライバシーという重要な憲法的価値に手出ししているということへの自覚がちょっと薄いのではないかと、こう思われます。

子どもの安心安全へ向けて

――日本版のDBS、法案の提出に向けてはまだまだ課題がありそうです。一方で、やはり「早く制度を導入してほしい」という心配の声もありますよね。大屋さんご自身、今後どうあるべきだとお考えですか。

大屋:
子どもの安全はもちろん非常に重要なので、このような制度が作られることは望ましいと思います。しかし、個人情報というのは「漏れたら二度と戻せない」ものです。憲法的価値とのバランスを考えれば、小さく作って運用状況を検証しながら拡大していくといったステップを踏むべきですし、先ほど挙げたイギリスでも、実は通常の前科とか、あるいは警察の警告、前の雇用主からの情報などについては無犯罪証明書には掲載されません。これは教育に関わる事業者などに限って事業者側が照会し初めてオープンにされるものです。
これだけ整備すればすべて安心という万能の制度なんかありませんし、制度を作れば問題がなくなるというわけでもありませんから、「制度を維持して、それだけに頼らずに、子どもを見守っていく“周辺の努力”が必要なんだ」ということについては、やっぱり自覚を深めるべきだというふうに思っています。

――確かに、法律が万能というわけではありませんし、ある種、法律というのは最低限やってはいけないことを規定しているものですから、そこに至る以前にいろいろな仕組みや制度や動きなどを含めて子どもの安全を守るという体制を作っていく必要、これも考えなきゃいけないですね。

大屋:
そうですね。地域の声かけもそうですし、子ども自身が「何かおかしいな」と思ったときに口に出せる雰囲気ですね、こういうものがあって初めて制度は生きてくるんだというふうに考えていただきたいと思っています。

――やはり、改めて新しい法律を制定する際には、法律は万能ではない、その危険性も含めてしっかり制度を組み立てなきゃいけないということですね。

大屋:
はい、そう思っています。


【放送】
2023/11/01 「マイあさ!」

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