自民党は『保守』を定義できるか?

23/11/06まで

けさの“聞きたい”

放送日:2023/10/30

#インタビュー#政治

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分かっているようで実はよく分からない「保守」と「革新」。今回は日本の政治史を俯瞰(ふかん)し、自民党の政治思想について、御厨貴さんに聞きました。(聞き手・野村正育キャスター)

【出演者】
御厨:御厨 貴さん(東京大学名誉教授)

「保守」とは何か?

――まず、今、このテーマを選ばれた思いやねらいをお聞かせください。

御厨:
いま国会ではいろんなことが議論されていますが、岸田さんが何をやりたいのか? 自民党は何をしたいのか? それがなかなか見えてこないんですよね。

そうなると、出たとこ勝負で政策論争が行われているんですけれども、昔、哲学者の鶴見俊輔さんから「こういう時には歴史を大きくつかむといい。そこから見えてくるものを考えてみよう」と言われたことがあったので、じゃあ私も、自民党はいったいどういうふうに考えているのか? ちょっと歴史的に見てみたいと考えたわけです。

――その自民党は平成22年の綱領で「我が党は常に進歩を目指す保守政党である」としています。ただ、その「保守」をめぐる考え方も自民党内で1つに定まっているわけではないようですが、御厨さんはその「保守」というのはどういう考え方であると見ていらっしゃいますか?

御厨:
そうなんですね。これはいろいろ難しいんですけど、まあ雑駁(ざっぱく)に言うと、とにかく家族であるとか歴史であるとか、あるいは伝統、コミュニティー、こんなものを大事にするのが基本的に保守的な態度であり、それに対して、社会のひずみとかあるいは弱者の存在とか、なかなか救えないものを社会批判を通じて変えていこうというのが大きく言うと革新的な態度だと思うんです。

ヨーロッパでは、保守党というのは常に自らを定義し直します。野党になると時間ができますから、価値観やプロセスを考え直して、そしてまた保守として戦って与党に返り咲くということがあるんですが、日本の場合はなかなかそうはいかないのかなという感じを持っていますね。

「保守」と名乗らない背景

――自民党は一般に「保守政党」と言われていますけれども、たとえば茂木幹事長はことし6月の講演の中で「自民党は保守政党であると同時に政策面でも運営面でも党運営でも一番の改革政党でなければならない」と述べていて、「保守」の見方は単純ではないですね?

御厨:
そうなんですね。自民党は「保守」といわれてきましたが、そう簡単ではありません。日本の戦後の出発点で解散させられていた政党がどんどんできるんですけど、そのときに実は「保守党」という名前を使ったところはどこもなくて、保守的な政党はみんな「自由党」「民主党」「改進党」を名乗り、「社会党」以外はそのような政党名で来ているわけです。

これはまあ、自由民権運動以来の党名なんですけれどもね。ちょっとだけ指摘しておきますと、戦前も実は日本の政党は「保守」とは言わずに、「政友会」と「民政党」と言っていたわけで、全然イデオロギーが入っていない。で、これが戦後になっても「自由党」と言い、そして「社会党」と分かれるんですけど、特に問題なのは、「自由党」以外はいわゆる「第2保守党」という言い方で呼ばれることがあって、その「第2保守党」にいた三木武夫さんや中曽根康弘さんは、さきほど紹介された茂木幹事長の発言にちょっと近いんですが、自らのことを「保守革新派」と言ったんです。これ矛盾していますよね。

「保守」なら分かるんですよ。だけど自分たちは「保守革新派」であると。だから「保守」を掲げることをあんまりいいと思っていなかったんですね。それは不思議なんですけど、やっぱり何かを守るんじゃなくて、何かを進めていく政党であるということなんですよ。だから「自由」という言葉が好きだし、「民主」という言葉が好きなんだけれども、「保守」とは言わない。
戦後になって1回だけ小さい政党が「保守」と名乗りましたけど、それ以外にはない。ところが「保守勢力」という言い方はずっと続いてきている。

これの特徴が最も出たのは、保守合同があった1955年の出来事ですね。
あの時は「社会党」の統一があって、もしかすると社会党が政権を取るかもしれないと言われた。「じゃあ、もう保守勢力もまとまらなくちゃいけない」と、当時の社会党に刺激されてようやく1つの政党になった。
その時に「自由民主党」結党の立役者だった三木武吉は「まあ戦前の政友会とも民政党が一緒になったようなものだから、この自由民主党はもって10年。10年経ったらおそらくまだ分裂するだろう」と言っていたんです。ところがそうはならずに来ちゃった。それはなぜかとなるわけですね。

この1つのポイントは、やっぱり池田勇人内閣なんです。つまり池田内閣で明らかに自民党は変わる。それまで政権を握っていた岸信介さんの価値観というのは、明らかに戦前的な価値観です。まさに戦前的保守を代表する党だったんですけれども、ずっとそれで行くとまずいというので、結局、池田さんがいわゆる経済成長路線に変えて、高度成長モデルを掲げることになった。ここで自民党の「保守」というのが大きく変わる。

では、もう一方はどうなったのかというと、「革新」のほうは戦後のアメリカによる民主化の果実を発展させようとする。むしろ果実を守ろうとして「憲法を守る」って言い出したのは実は革新のほうですから。「守る」という言い方で、つまり何となく保守的な態度みたいなのが「革新」側のほうに出てきちゃった。

だから「保守」と「革新」それぞれが目指すところが、お互いのポジションを変えてしまうということがここからスタートしたわけですね。

昭和の終わりまではずっと自民党政権が続きましたが、その間に何が起きていたかというと、自社の二大政党制で、社会党は政権が取れないっていうことがわかってきた。
そうすると自民党の中で政権を回していかなくちゃいけない。これを「擬似政権交代」というんですが、この疑似政権交代をやるんだったら、「保守」を定義なんかしてちゃ駄目なんですね。要するに「保守」と言った途端に党の思想が固まっちゃうわけですが、そうではなく党はもっと多様なものを持っていると。それで毎回自民党は新しい勢力を顔にして、カバーストーリー(表紙)をどんどん変えることによって政権交代をやっているような形でずっと来た。

ところが、それがやっぱり平成の政治改革のところで詰まっちゃう。そのあとには民主党政権ができたんですけれども、それで自民党が野党になった時に、当時総裁だった谷垣禎一さんの一派が「保守」を定義し直そうとしたんです。ところがこれ、失敗するんですよ。それでついに「保守」の再定義はできなかった。保守の再定義なんかをしているよりは、要するに与党・民主党の足を引っ張って早く政権に戻る方がいいと。そうして与党に戻ったわけですね。

イデオロギーよりリアリズム

――その後、2度目の安倍政権は長期にわたりました。この時代に「保守」の思想はどう定義されたんでしょうか?

御厨:
自民党が与党に戻って、安倍さんは要するに「戦後の価値観はアメリカによって与えられた」と言うんだけど、その価値観を否定することが「保守」だとしてやっていくわけです。
だから集団的自衛権を認めなくちゃいけない。靖国参拝はしなくちゃいけない。あるいは歴史修正主義を取り入れなくちゃいけないと。そういうふうに考えるところがあったわけですね。

それで、こういうそのイデオロギーをどういうふうに考えていくのか? 2015年の戦後70年談話がどうなるかみんな注目したんですけれども、実際には70年談話でいわゆる歴史修正主義を前面に押し出すことはしないで、安倍さんはやっぱりイデオロギーよりはリアリズムを重要視しました。結局、保守的なイデオロギーに立って発言するんですけれども、それを現実に実行するところまではいかないところで、リアリズムとの間の関係性を保ったというふうに言えるんじゃないでしょうかね。

――そうした流れのまま今に至って、なかなか「保守」の定義がはっきりしなかったと?

御厨:
そうですね。そうすると今度は「投票したい政党がないのは『保守』の定義がはっきりしないからではないか?」という議論が出てくるんですが、実はそんなことはない。そもそも厳密に「保守」を定義できるのかっていう議論はこれからもあるんでしょうけど、「保守」を厳密に定義しちゃうとおそらく少数政党になっちゃう可能性があるわけですね。

「保守」って言うとなんか止まっているイメージがあるので、それはできない。ただ、注目に値するのはこのとき自公連立の中で自由党の与党派が一時期「保守党」を名乗ったことがあります。これは今、二階派になっているんですね。だけど二階派を「保守」の源流だと思う人は誰もいませんよね。

そういう中で、最近、百田尚樹さんや河村たかしさんが「日本保守党」というのを掲げました。自民党に対してどういう距離感をとるのか。あるいは「日本維新の会」に対してどういう距離感をとるのかということを含めて、それじゃあ今度「日本保守党」って初めて名乗った政党がどうなるのか? これから注目されるところだと思います。

「自民党とは何か?」定義を

――長く政権与党の座にあり続ける自民党に求めたいことについてはどうお考えですか?

御厨:
アドホックに(暫定的に、場当たり的に)どんどん政策を出していますが、それはやっぱり違う。アドホックに政策を出すのは「何か課題があったらその課題を解決します。それが与党の役割です。」と言っているのであって、与党としてどういう社会を、どういう国を作ろうと思っているのか? その根本的なところが見えてこないわけですね。

戦前は富国強兵のモデルがあり、戦後は経済発展のモデルがあったわけですけれども、これからの日本社会に必要なのは何か? この2つのモデルではもう全然現代に合わない。そうすると、モデルがない時代に入って「じゃあ、どういうふうにこの国をもっていくのか?」ということをやっぱり与党として自民党は考えなくちゃいけないので、党名のことも含めてですけれども、「保守とは何か?」だけじゃなくて、「自民党とは何か?」ということをやっぱり定義していくことがこれから大事なことではないかと思うんですね。

自民党は安倍さん的な保守が残ったままぐずぐずしていて、岸田さんは安倍さん的な保守のイデオロギーをあんまり踏襲しないけど、安倍さんが残した政策をやろうとしていることはもう見ていればはっきりしている。憲法改正もやると言っていますが、じゃあそれをどういう理念、どういう態度に基づいてやるのかという根本のところ。歴史的にもそこが一番大事なところですけれど、やっぱりそれを追求していただきたいと思っています。


【放送】
2023/10/30 「マイあさ!」

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