街じゅうがワクワクブギウギ! 笠置シヅ子の出身地・東かがわ市

まんで香川きっきょん!?

放送日:2023/10/30

#映画・ドラマ#朝ドラ#ローカル#香川県

「まんで香川きっきょん!?」(「まんで」は讃岐弁で「まるごと、全部」、「きっきょん」は「聞いていますか」の意)は、毎月最終月曜に香川の情報をお届けしている番組です。連続テレビ小説「ブギウギ」の主人公のモデル・笠置シヅ子さんと東かがわ市のかかわりについて、2023年10月30日に放送した内容の一部を紹介します。(担当・谷口慎一郎アナウンサー)

連続テレビ小説「ブギウギ」
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時報も「♪ブギウギ」、街じゅうがズキズキワクワク

10月に連続テレビ小説「ブギウギ」が始まりました。主人公は、東かがわ市出身で戦後の大スター、笠置シヅ子がモデルです。今、東かがわ市では、笠置さんの代表曲「東京ブギウギ」を聞かない日がないくらい、盛り上がっています。例えば市役所に電話をかけると、保留音が「♪東京ブギウギ~」、街に流れる時報も「♪東京ブギウギ~」。市ではさらに曲に合わせたダンスを作って、秋には地区の祭りでコンテストも開かれました。市の担当者はこう語ります。「ドラマをきっかけにして、東かがわ市は“ブギウギの街”と誇らしく思ってもらえるように、ムーブメントを大きな輪にしていきたいです。ズキズキワクワクしています」。

東かがわ市に生まれた笠置シヅ子ですが、生後6か月ほどで養母に連れられて大阪に行くことになります。しかしのちに養父母や弟のお墓を東かがわ市に建てるなどして、たびたびこの地を訪れるようになりました。笠置さんと東かがわ市のかかわりについて、東かがわ市歴史民俗資料館の橋本康男さんにうかがいます。

橋本さん:
「歌手になって有名になってからも、お花を持って養父母や弟のお墓にお参りされていたようです。『私、見ました』という方が結構いらっしゃいます。お父さんとお母さんから受けた温かさ、これが実は、東かがわ市引田(ひけた)の人情というのでしょうか、そこから伝わってくるものだと感じ取ったんじゃないでしょうか。温かい人間性を育む原点と感じたのだと思います」

東かがわ市つながりで、笠置シヅ子を支えた意外な人物についてもうかがいました。

橋本さん:
「戦後初の東京大学総長だった南原繁さんと、実の父親が幼なじみだったようです。同じ郷土出身ということで、笠置シヅ子さんのことを陰ながら見ていたようです。出てきたときにはなんとか支えたい、応援したいという気持ちが強くあったようで、南原さんは後援会長をするんです」


*「ゆう6かがわ」(総合 毎週月曜~金曜 午後6時10分〔香川県域〕)の「東かがわWeek『東かがわと笠置シヅ子』」でも、橋本康男さんにお話をうかがいました(2023年10月23日放送)。17歳のころの笠置シヅ子さん、地元の小学生にあてた直筆の手紙など、貴重な写真をこちらからご覧いただけます。

ゆう6かがわ・東かがわWeek
『東かがわと笠置シヅ子』

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大スターの笠置シヅ子ですが、「東京ブギウギ」は知っていてもそれ以外はよく知らないという人が東かがわ市でも多かったようです。笠置さんについての著書もある砂古口早苗(さこぐち・さなえ)さんに、その人物像をうかがいました。

【出演者】
砂古口:砂古口早苗さん(高松市在住)

誰もが知る大スター、たぶん香川の人

――香川県内にはさまざまな偉人がいる中で、どうして笠置シヅ子さんの本を書こうと思ったんですか。

砂古口:
空海から菊池寛まで、香川にはすばらしい人がいっぱいいます。いろいろ考えているうちに、笠置シヅ子さんがぽっと浮かびました。

――砂古口さんも香川県のご出身ですね。書く前はどんな印象を持っていましたか。

砂古口:
ほとんどの人が名前は知っているんです。特に私より上、親の世代はほとんどの人が知っていました。ただ、「東京ブギウギ」を歌っていたとか戦後の大スターだったという過去形で、「香川の人だけどよく知らない」とか、「たぶん香川の人なんじゃないかな。引田ではそういうふうに伝わっている」とか、曖昧なんですよね。「大阪の人みたいよ」と言う人もいました。それでじゃあちゃんと調べようと思ったんですが、評伝がなかったんです。笠置さんが30代で書いた自伝、その1冊しかなかったんです。それからさらに30何年、生きるわけですからね。戦後の大スターというわりには、皆さん知らないし誰も評伝を書いていない。美空ひばりさんなんかはいっぱいありますよね。ならばじゃあ調べてみようと、好奇心が湧いてきました。

――評伝がないなかで、どうやって調べたんですか。

砂古口:
私は本が好きで、古本屋さんも大好きでいつもうろうろしているんです。それで「笠置シヅ子さんのことが書いてある本、私全部調べて買いたい」とか言ったら、「ないよ」みたいに言われて。「笠置さんがいた時代の大スターの人の周りの本を探せば、なんとかなるんじゃない?」と言われました。もう1つは、「新聞と週刊誌を調べてみたら?」と。

――資料はどれくらい集まったんですか。

砂古口:
みかん箱に10箱くらいになりました。おもしろいことに、探り始めたら芋づる式にどんどん出てきたんですよ。いろいろなところでしゃべった新聞や雑誌の記事を集めて、それをもとに晩年のようすは書きました。東京の古本屋さんを探し歩いたり、国会図書館や早稲田大学演劇博物館にも行きました。演劇博物館には芸能関係の本もいっぱいあるんです。まとめるのに何年もかかりましたけど楽しかったですね。いろいろなことを調べて、私はまずそれをパソコンに打ち込んで、笠置さんの年譜を作ったんです。ありませんでしたからね。資料というのは、1つずつの点です。点を打っていくといつか長い線になるでしょう? それで本ができるんです。

「ほんまは大阪人やなくて“讃岐女”でっせ」

――実際に見えてきたのは、どういう“線”だったんですか。

砂古口:
意外でした。まずは芸の魅力にぶっ飛びましたね。

――どういうところに?

砂古口:
私は戦後の生まれで、ベビーブームの団塊の世代の価値観で育ってきました。そうじゃない人の魅力って、あまりよくわからなかったんですよね。笠置さんは大正生まれの私の父や母の世代です。その辺りの厳しい時代の転換期のリアル、現実がわかると、笠置さんがわかってくるんです。笠置さん、戦後はもう31歳か32歳かな。20代は戦前だったんです。それで戦後にまた一から生きていくわけでしょう? めちゃくちゃすごいスターで、そして消えていくんです。昭和30年になると、忘れられていく。知らないことがいっぱいありました。山があって谷があって、笠置さんの人生はまさに波乱万丈。

――笠置さんは東かがわ市によく帰っていましたね。これほどゆかりがあるのはなぜなんでしょう。

砂古口:
雑誌などの対談でよくしゃべっているんですが、特に晩年はいろいろなところに出て、「私は香川の生まれです」と言っています。聞かれてもいないのに、「私は大阪人とみんなに思われてますけど、ほんまは“讃岐女”でっせ」とかね。自伝にも書いています。とにかくずっと言ってるの、この人。一種の「郷土愛」、という言葉はちょっと軽いかなと思うんですけど、自分のルーツにこだわるんです。10代で自分の出生の秘密を知って、それをずっと追い続けるんですね。

養父母にはもちろんものすごく感謝しているんです。そのお母さんは戦前に亡くなって、とっても悲しみました。お父さんは結構長生きしました。両親のお墓もしっかり建ててものすごく孝行しました。縁というもの、人との出会いを大事にしたんです。だからあそこまでスターになった。

笠置さんの魅力というのは、出会った人とすぐツーカーになるんです。スターというのは、ひとりではなれないですね。誰かが支援してくれたり応援してくれたりするからだということを、よく知っていた人です。東大総長だった南原繁さんも東かがわ市の人で、笠置さんを支援しました。すごいでしょう? 笠置さんは南原さんを心の父親のようにして、生涯ずっと慕うんです。

――ある意味、東かがわ市が結びつけた縁ですよね。

砂古口:
笠置さんがそういうのを若くして持っていたのは、やはり苦労していたからでしょう。実のお父さんとお母さんの顔を知らなかったところから、ずっと追い続けるわけですから。

義理と人情。追い求めた故郷・東かがわ市

――故郷を追い求めて、追い求めた先に、あったんでしょうか、彼女にとって。

砂古口:
鋭いことを聞きますね(笑)。私もね、それをすごく考えるんです。実は笠置さん、晩年に大事なことを言ってるんです。「普通に生きろ」って。「えーっ?」ですよね。スターだったじゃないですか。なのに晩年、「芸人のレジスタンス」、抵抗という言葉を残しているんです。憧れてスターになったけれども、華やかに生きるよりも普通に平凡に生きることがどれほど大事かが、スターになってわかったと。どんでん返しみたいなところがあるんですけど。だから40歳を過ぎたときに、さっさと歌手をやめるんです。しがみつかないんです。

――今、この時代に、笠置シヅ子さんの生き方にはどういう意味があると思いますか。

砂古口:
笠置さんはとても読書家で社会性があって、スターで成功したからといって自分だけがいいというのではなくて、不幸な生い立ちの人や恵まれない人とか、それ以外のところに目を配れる人なんです。ひとりで体を悪くした女の人がいると病院まで駆けつけたりして、それで手を握ったり、涙したり。女性どうし、あるいは戦後食べられなかった時代はみんながつらい思いをしたんだっていう、そういうようなところを対談で言ったりするんです。

ドラマの「ブギウギ」の最初のほうで、お母さんのツヤさんが「義理と人情なんや、世の中は」と言ってましたよね。めちゃくちゃ古い言葉なのに、あの時代の人が言うと結構新鮮味があります。私が若いころなら、「何それ? 古いわ」と思ったと思うんですけど、これは一度、変換するといいんですよね。今の時代に「義理と人情」なんて通用しないかもしれないけれども、これは言ってみれば、他者との共生なんですよ。ひと言でいうと、いわゆる思いやり。人とどうやってつながっていくかという、努力なんです。「義理と人情」というのはそのことを言ってるんだなと思えば、ちょっとわかるような気がするでしょう?

笠置シヅ子さんは、どこへでも出かけていっては、東かがわ市という故郷に誇りを持って、生涯ずっと大事にしました。最初から最後までルーツを求めて、普通に生きることが大事、そして人間の原点と姿勢を大事にしなさいと言い残して去った、大スターです。

まんで香川きっきょん!?

ラジオ第1
最終月曜午後5時5分(香川県域)

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【放送】
2023/10/30 「まんで香川きっきょん!?」

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