突然ですが、あなたはいつもどんな服を着ていますか? 会社に行く日はビシッとスーツ。運動するならスポーツウエア。デートに行くならワンピース? ライフスタイルや年齢、職業によっても選ぶ服は変わってきますよね。
では、国語辞典はどうでしょう? 同じ辞書をずっと使っていませんか? 国語辞典なんてどれも同じ! と思ってはいないでしょうか? 実は国語辞典には、それぞれ編者のこだわり、編集方針があって、一つ一つ違うんです。また、言葉の意味以外にもたくさんの情報が詰め込まれていて、さまざまな楽しみ方があるのです。
さあ、国語辞典を開いて、広くて深い言葉の海、言葉の波を乗りこなしましょう!
【出演者】
タツオ:サンキュータツオさん
柘植:柘植恵水アナウンサー
タツオ:
改めましてごきげんよう、4月から聴く人もはじめまして。わたくし、東北芸術工科大学講師、そして、漫才師・米粒写経の芸人、サンキュータツオと申します。
柘植:
アナウンサーの柘植恵水です。この番組、2年目に突入しました!
タツオ:
当初は3か月もてばいいかな? と思っていたのですが1年続きました。2年目に入って1か月で終わるかもしれませんが、みなさんよろしくお願いします(笑)。
きょうも国語辞典を開いて言葉の波を楽しみましょう。15分間マニアックな国語辞典トークにおつきあいください。まずはリスナーのメッセージです。
毎週楽しく拝聴しています。最近「なんなら」という言葉をよく耳にするのですが、わたしが知っている使い方となんか違うような気がしてモヤモヤしています。どういう意味で使われているのでしょうか? (広島県・ももさん)
タツオ:
きょうは「なんなら」の使い方について考えます。恒例の街頭インタビューですが、今回はだいぶ苦戦したらしく、回答率が悪かったようですよ。みなさんだったら「なんなら」をどう使いますか? 街の声をお聴きください。
- なんなら私がやりましょうか?
- なんならこっちにしよう。
- なんならきょう休んでもいい。
- なんなら私がやったほうが早くない?
- なんなら飲んでくれる?
- なんならもうご飯食べちゃえば?
- なんなら負けてもいい。
タツオ:
柘植さんは「なんなら」をどう使いますか?
柘植:
私は使っている自覚がないんですよ。なんならきょうから使おうかしら(笑)。
タツオ:
こういう“名詞じゃない実態のないもの”の説明って難しいですよね。国語辞典も苦労していますよ。
岩波国語辞典 第八版では、相手の都合によっては。お望みなら。「なんなら私が幹事を引き受けてもいい」「なんなら見せましょうか」と用例が出ています。
新選国語辞典 第十版には、つごうによっては。よかったら。そして、〔「なになら」の変化〕と書いてあるんです。用例では「なんなら案内しようか」が入っています。
集英社国語辞典 第三版は、最初に話し言葉⦅口頭⦆と書いてあります。「なんなら」は、書き言葉というより話し言葉なんですね。相手の気持ちを推し量って、自分もそれに合わせてよいという気持ち。都合によっては。もしよかったら。もしよくなかったら。用例に「なんなら手伝ってあげよう」があり、もしよくなかったらの場合には、「なんなら他のに替えましょう」と書いてあります。そして、②の意味で、相手の気が向かない場合を仮定する。「明日がなんなら、明後日でも結構です」。これはけっこう緻密に調べ上げましたね。
柘植:
そうですね。
タツオ:
三省堂国語辞典 第八版、①相手が望むなら。必要なら。やむをえないなら。「なんなら教えてあげようか・大臣をやめる。なんなら政治家もやめる」と用例がありますが、最近は大臣も政治家もやめない人もいますね。②は俗語として、説明を加えることをあらわす。もっと言うなら。と説明があって、「あの番組好きだった。なんなら毎週見てた」という用例が載っています。
柘植:
「なんなら毎週見てた」と聞いて、えっ? と思っていましたが、もっと言うならということなんですね。
タツオ:
〔二十一世紀になって広まった用法〕と書いてあるので、ここ20年くらいですね。そして、相手が望むならの意味をもとに「もし必要なら、次のように言い足してもいい」という気持ちから生まれた用法。と書いてあります。
柘植:
すごく丁寧に書いてあるんですね。
タツオ:
「若い人が使っています。なんなら僕も使っています」という使い方もできるわけです。これは“つけ足し”ですね。この言葉にまだ対応しきれていない人がモヤモヤとなるんですね。動詞の前に入る言葉を「副詞」といいますが、日本語は副詞や形容詞にたくさんの意味を背負わせることによって、カバーしてきた歴史があるんです。なので、この手の新しい意味とか使われ方に関しては、許容して、寛容であってもらいたいですね。これって日本語的な進化、変化なんです。ひとつの言葉が担う役割が増えるということは昔からあることなので、これは「なんなら」が成長していることなんです。ちょうど21世紀になって見届けられていることに僕は幸せを感じています。