全国のタナカヒロカズさんが所属する「田中宏和の会」があります。今回は「田中宏和の会」代表理事の田中宏和(たなか・ひろかず)さんに、タナカヒロカズの世界について教えていただきました。(聞き手:武内陶子パーソナリティー)
【出演者】
田中宏和さん
<プロフィール>
1969年、京都府出身。広告会社に勤務し、CM、キャンペーン、プロジェクトなどの企画を行うかたわら、一般社団法人「田中宏和の会」代表理事をつとめる。
――同姓同名のタナカヒロカズさんたちが集まる「田中宏和の会」を設立したきっかけは?
田中:
1994年のプロ野球のドラフト会議で、近鉄バファローズの1位指名選手が、奈良県・桜井商業高等学校の田中宏和投手だったんです。自分じゃないのに鳥肌が立つほど感動したんです。さらにその翌年、文芸誌で南方熊楠の研究書が紹介されていて、その著者が田中宏和さん。ドラフト1位だし本も書いてるし、これはすごい! と思っていたら、1年に1人は、タナカヒロカズの情報が入ってきたので「こういう田中宏和さんに会えました」と、年賀状のネタにしていたんです。
――そこから「田中宏和の会」に発展していくんですね。
田中:
その後、2002年の年末に、糸井重里さんのWebサイトでこれまでの年賀状を公開したところ、「主人が、同級生が田中宏和です」や「わたしが田中宏和です」と本人からメールが届いたんです。
――現在、何人くらい会員がいるのですか?
田中:
現在250人です。フェルミ推定という計算方法では、日本全国に「タナカヒロカズ」は800人くらいいるので、まだ3分の1ほどですね。東京の会員が多いのですが、「田中」という名字は関西に多いので、関西の方では潜在的にタナカヒロカズが眠っていると思います。
――「田中宏和の会」ではどんな活動をしているの?
田中:
これまでに、タナカヒロカズが集まる全国大会や、貸し切りバスツアーなどを行ないました。もちろんバスのフロントガラスには「田中宏和 御一行様」です(笑)。
――タナカヒロカズさんばかりで何て呼びあっているのですか?
田中:
「理事長の田中宏和」「カメラの田中宏和」「弁護士の田中宏和」「小顔の田中宏和」など、全員にあだ名がついています。会には「作曲の田中宏和」がいて、その方がみんなで歌える校歌のような『田中宏和のうた』を作ってくれました。ちなみに作詞は私です。
- ※ 『田中宏和のうた』は聴き逃しで1週間お聞きいただけます。
――会発足のきっかけになった元近鉄の田中宏和さんには会うことはできたのですか?
田中:
2010年に会うことができ、活動のことも知ってくださり、「ピッチャーの田中宏和」として会に参加されています。
――その他にはどんなタナカヒロカズさんがいるのかしら?
田中:
例えば、大阪府岸和田育ちの「だんじりの田中宏和」。秋田県北秋田市の「マタギの田中宏和」、徳島県阿波市の「たたら音頭の田中宏和」、「釧路の田中宏和」、「土佐の田中宏和」、「桜島の田中宏和」、「琵琶湖の田中宏和」などですね。
――地名やその土地のものがあだ名になっているのですね。
田中:
中でも印象に残っているは、宮城県仙台市の「消防の田中宏和」さんです。2011年の4月に2度目の全国大会を企画していたのですが、3月11日に東日本大震災が発生。参加予定だった消防の田中宏和さんから「災害対応中です。がんばります。負けません」というメールをいただいたんです。同姓同名の田中宏和さんが被災地でがんばっていることに感動しました。
――その後、消防の田中宏和さんには会えましたか?
田中:
2011年の7月にガレキ撤去のボランティアに行ったときに会うことができました。消防の田中宏和さんは音楽が好きだったので、復興ソングを作ることになりました。帰りの新幹線で歌詞を書いて、「作曲の田中宏和」さんがすぐに曲を作ってくれました。楽曲は配信で販売し、売り上げは「こどもの音楽再生基金」に募金しました。
――田中宏和さんとの出会いが復興支援にもつながったんですね。