国内外の焼きそばを探求されている“焼きそば研究家”の塩崎省吾(しおざき・しょうご)さんに、焼きそばの魅力を熱く語っていただきました。(聞き手:武内陶子パーソナリティー)
【出演者】
塩崎省吾さん(焼きそば研究家)
<プロフィール>
1970年、静岡県出身。ブログ『焼きそば名店探訪録』管理人。現在まで、国内外1,800軒以上の焼きそばを食べ歩く。テレビやラジオなど、メディアにも多数出演。本業はITエンジニア。
塩崎:
ソース焼きそばは、戦後の混乱期に生まれた屋台料理という説が10年くらい前まで有力でした。しかし、戦前(昭和11年)に出版された『素人でも必ず失敗しない露天商売開業案内』という本に、現在とほぼ変わらない焼きそばが登場しているんです。道具としては鉄板、火鉢などの熱源とコテ(ヘラ)。具材には、蒸し麺、キャベツ、天カス、ソースと書いてあるんです。
――肉はないけど、たしかに現在の焼きそばとほとんど変わらないですね。
塩崎:
提供する際には「子どもの場合は紙の上に載せて、大人だったら皿に乗せてフォークを添えると見栄えが良い」とも書かれているんです。
――戦前にソースは存在していたのですか?
塩崎:
明治時代にイギリスからウスターソースが伝わっています。明治20年代には国産のウスターソースも登場しているんです。
――蒸しそばから中華麺を炒めるようになったのは?
塩崎:
明治末期、中華麺の原料である小麦粉が一般に広まり、小麦粉の産地であった群馬県南部から東京にどんどん入ってくるようになったんです。そして、国産の大型自動製麺機も開発され、中華麺が普及していきました。
――焼きそばの研究を始めたきっかけは?
塩崎:
2006年に岐阜県高山市に住んでいる知人が、「地元に焼きそばで行列になる食堂がある」と教えてくれ、実際に行ってみたんです。比較的ふつうの焼きそばだったのですが、(なぜこんなに人が来るのだろう?)というのが興味の原点です。それ以降、いろいろな場所で焼きそばを食べ歩くようになりました。