村井邦彦が語る ユーミンとYMO

23/08/07まで

ごごカフェ

放送日:2023/06/05

#インタビュー#音楽#ワールド

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アメリカにお住まいの村井邦彦さんが、一時帰国中に「ごごカフェ」にご来店! 「翼をください」など、これまでに手がけた楽曲とともに、当時の驚きのエピソードをうかがいました。(聞き手:武内陶子パーソナリティー)

【出演者】
村井邦彦さん(作曲家・プロデューサー)


<プロフィール>
1945年、東京都生まれ。1967年「待ちくたびれた日曜日」で作曲家デビュー。翌年、ザ・テンプターズに提供した「エメラルドの伝説」が大ヒット、その後も数々のヒット曲を発表。音楽プロデューサーとして、赤い鳥、荒井由実、イエロー・マジック・オーケストラ、シーナ&ロケッツなどを手がける。現在も作曲家、音楽プロデューサーとして活動中。


――大学ではジャズを演奏されていたんですね?

村井:
小さい頃からジャズが大好きで、大学時代はビッグバンドでピアノを弾いていました。

――作曲を始められたきっかけは?

村井:
サラリーマンにはなりたくなかったので、大学4年の時に赤坂でレコード屋を始めたんです。店を続けていたら、GS(グループサウンズ)がやたら売れていたんです。僕にも書けるかもしれないと興味を持って、レコード会社の友人に相談したんです。最初に書いたのがヴィッキー・レアンドロスというギリシャ人の歌手の「待ちくたびれた日曜日」です。それから当時人気だった、ザ・テンプターズに書いた「エメラルドの伝説」が大ヒットして、GSに曲を書くようになったんです。

――これなら自分でも書けるかもって思ったのはすごいですね。

村井:
当時、1曲売れるとひっきりなしに作曲依頼の電話がかかってくるんですよ。それからザ・タイガース所属のプロダクションからも電話があって書きました。

――50年以上前の曲ですが、今聴いてもキラキラしていますよね。

村井:
クラシックやジャズの影響を受けているからかもしれませんね。

――とにかく多くの人にいろいろなタイプの曲を書いていらっしゃいますよね。

村井:
赤い鳥は、関西のアマチュアのグループで評価が高かったんです。でも、本人たちはデビューする気がなかったんですよ。僕たちは説得し続け、コンテストに出てもらったんです。結果、彼らが優勝して、ごほうびにイギリスでレコーディングをしたんです。

――そのへんを説得して、プロにされるってさすが村井さんですね。「翼をください」は私も合唱で歌いましたよ。

村井:
いつの時代でも歌われるスタンダードを作りたかったので、今でも歌い継がれているというのは本当にうれしいことです。ロサンゼルスの学校でも「翼をください」は日本語教育の一環として歌われているんですよ。自由を求めているという歌詞もいいですよね。今の人たちもこの気持ちに共感できると思います。

ユーミンとYMO

村井:
ザ・タイガースの加橋かつみさんのアルバムに高校生のユーミンが書いた曲があったんです。これがすごくよくて、紹介してもらったのが彼女との出会いです。本当に才能がありました。彼女自身は作曲家志望だったので、僕は作家として育てようとしたんです。

――ユーミンは歌手志望じゃなかったのですか?

村井:
「ひこうき雲」は、雪村いづみさんが歌うためにユーミンが書いたんですよ。でも、彼女の曲は彼女が歌うのがいいと思い、歌ってみないかと説得したんです。

――イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)はどのように誕生したのですか?

村井:
ユーミンのアルバムでベースを弾いていたのが細野晴臣くんでした。その時に細野くんが連れてきたのが松任谷正隆なんです。それからハイ・ファイ・セット、山下達郎、吉田美奈子たちが僕の事務所に集まってきたんです。

――まだYMO前夜ですよね。

村井:
その後、細野くんから、高橋幸宏、坂本龍一と3人で、シンセを使った音楽の構想を聞かされたんです。YMOはアメリカでレコードを販売し、アメリカでツアーをやったことが大きかったですね。アメリカツアーが日本のメディアで紹介され、日本でも火がついたんです。逆輸入の形でヒットしたバンドです。日本の音楽を海外でも紹介、販売することが僕の使命と思っていたので、YMOで実現できました。その後のYMOの尊敬のされ方はすごいと思いますね。マイケル・ジャクソンもエリック・クラプトンもYMOをカバーしているんですよ。

村井邦彦をつくった人物

――4月に小説を発表されましたね。

村井:
僕がこれまでやってきた仕事のスタイルは、ある人に大いに影響を受けているんです。その人の青春時代のことを小説にしようと思ったんです。

――どんな方なのですか?

村井:
僕が中学生の頃からよく行っていたイタリアンレストランのオーナー川添浩史(かわぞえひろし)さんです。彼は、日本舞踊や文楽を海外に紹介するツアーなどもやっていたんです。川添さんは、中学生の僕にも夢を語ってくれたし、大人になってもいろいろなアドバイスをくれました。年齢に関係なく、分け隔てなく、そして夢を持っている若者を応援してくれる人でした。その話を聞いていたから、僕自身YMOの海外ツアーという発想も出てきたんだと思います。そういう人が日本にいたんだということを多くに人に知ってもらいたかったんです。川添さんと出会ってなかったら、今の僕にはなっていないし、YMOもいなかったと思います。

――その川添さんが、若い頃にパリで岡本太郎さんと出会うんですよね。

村井:
それに建築家の坂倉準三さんですね。のちに、この3人が日本で最初の万博博覧会で活躍するんです。

――アメリカで暮らしていらして、今の音楽シーンをどう感じていらっしゃいますか?

村井:
今起こっていることって意外と知らないんですよ。昔の音楽ばかり聴いているんです。この小説の巻頭に「我々は後ずさりしながら未来に入っていく」というポール・ヴァレリーの言葉を書きましたが、私は過去を見ながら後ろ向きに進んでいる感じです。まだまだ作曲も、日本のライセンスビジネスもやっています。音楽を伝える形も変化して、日本のものも海外に発信しやすくなっています。僕たちがやってきたことを、どんどん若い人にやってもらいたいと思っています。

――より多様性の時代になってきましたね。日本にいらしたときは、ごごカフェにお立ち寄りください。ありがとうございました。


【放送】
2023/06/05 「ごごカフェ」

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