午後2時台を聴く
23/05/05まで

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落語界の天然キャラとして国民的に親しまれる林家木久扇師匠。そんな木久扇師匠から愛される生き方のヒントを見つけましょう!(聞き手:吾妻謙パーソナリティー)

【出演者】
林家木久扇さん(落語家)


<プロフィール>
1937年、東京都出身。高校卒業後、漫画家・清水崑に弟子入り。その後、三代目桂三木助に入門。翌年、三木助死去後、八代目林家正蔵門下へ移り、林家木久蔵に。1969年、『笑点』のレギュラーメンバーに。2007年に林家木久扇を襲名。漫画、ラーメン販売など幅広く活躍。


木久扇: こんにちはスーパースターの林家木久扇でございます。

――師匠、きょうは黄色くないんですね。黄色くない師匠はとても新鮮です。

木久扇: 『笑点』は世界27か国で放送されているそうなんですよ。ニューヨークのブロードウェイを歩いていたら「ヘイ、イエローマン!」って言われたんですよ。

――ニューヨークで! 師匠の黄色はワールドワイドなんですね。

木久扇: 世界的なんですよ。

――芸能生活63年の師匠ですが、好きな言葉は「入金」なんですって。

木久扇: 通帳を見るのが好きなんですよ。

――お体の調子はいかがですか?

木久扇: とても元気ですよ。弟子が真打になると口上をしなくちゃいけないので元気でなきゃいけないんですよ。

――元気でいるために工夫されていることは?

木久扇: 思いつきで生きている感じですね。私、時代劇のチャンバラ映画が大好きなんで、それを見ていると元気になりますね。

――見ていると体も動いちゃいますか?

木久扇: ついウロウロしちゃうんです。食事のときもすぐ立ち上がってウロウロしちゃうの。カミさんには「私の視野の中にいて!」と言われます。

――落ち着きがない、せっかちなんですね。

木久扇: 昨年、左大腿骨を骨折してリハビリ中です。歩くのは大丈夫だけど、正座ができないので職業上不便なんです。スターは正座(星座)を目指す!

木久扇: 意表をつくことが大好きなんです。オリンピックが見たくて、突然スペインのバルセロナにラーメン屋を出したんです。オリンピックを見に日本人も来るからもうかると思ったんですよ。でも、スペインの人たちは熱い麺が苦手で、相席という概念もなく、シエスタもあって・・・結局、大赤字で閉店しました。

――タイでゾウを買った話もおもしろいですよね。

木久扇: このゾウがよく風邪をひくんですよ。で、ゾウの注射が1回17万円なんです。ぞ~っとしました!

――そんな失敗エピソードを話せるのも落語家さんの強みですよね。

木久扇: 人は成功話より失敗話のほうが好きなんですよ。

――最初は漫画家志望だったんですよね?

木久扇: 食べ物がない少年時代を過ごし、高校を卒業して乳業会社に入ったんですが、牛乳をつくるのって寒いんですよ。こりゃダメだ! 勤め人にはむいていない! と思ったんです。その後、友達が出版社で原稿運びをしてたんです。「お前は絵を描くのうまいだろ、漫画家の原稿料知ってるか? あの漫画家は4コマで3万円だ」と言われたんです。当時の私の月給が5500円だったんです。その友人に清水崑先生を紹介してもらったんです。

――清水崑さんが落語の道へ導いてくれたんですよね?

木久扇: 漫画を描きながら時代劇のものまねをしてたんです。「お前はおもしろい。これからテレビの時代になるから、絵が描けてしぇべれたら売れるぞ、ちょっと落語をやってみたら?」と。「ちょっと」と言われたので軽いノリで落語家になっちゃったんです。

――そんなことってあるんですね。思いがけず弟子入りなんですね。

木久扇: 入門したらすぐに師匠が亡くなってしまったんです。このとき辞めればよかったんですけど、ひとりで語る楽しさに気づいちゃったんです。それから林家正蔵師匠のところに行ったんです。

――落語家人生はいかがですか?

木久扇: あっという間ですね。私が入ったときは、小三治さんはいたし、談志さんはいたし、志ん朝さんいたし、うまい人がずらっといたんです。私が古典落語をやってもかなわないんです。

――それで、今のようなキャラを?

木久扇: これには緻密な計算があるんですよ。緻密のアッコちゃんですね(笑)。

――「いやんばか~ん」の曲は、師匠のキャラクターを定着させましたね。

木久扇: この曲は10万枚売れたんですよ。

――これも緻密な計算なんですね。

木久扇: ラーメンも「まずい」を売りにしてました。人は判官びいきで食べに来てくれるんですね。それが売り上げにつながりました。これで入金! 入金! また入金!(笑)。

――『笑点』までは、そのようなキャラじゃなかったんですよね。

木久扇: 笑点の大喜利は横並びで長屋のスタイルなんです。その役柄で「与太郎」が私だったんです。

――与太郎をやれ! と言われてどう思いました?

木久扇: 談志さんの考えだからもうチャンスだと思いましたよ。

――息子の木久蔵さんについてはどうですか?

木久扇: 小朝師匠がとてもよく面倒をみてくれて、W襲名も立案してくれました。「真打になるまでに100席おぼえなくちゃいけないよ」と言ってくださり、せがれは素直だから全部おぼえましたね。私は3つくらいです(笑)。

――師匠のこれからは?

木久扇: 漫画家協会に入っていて、タウン誌の表紙なんかも描いているんです。そんな作品をもっと世に出して個展もやりたいですね。それから『笑点』のオープニングタイトルも僕の似顔絵のアニメでやりたいんですよ。

――夢はまだまだ続きますね。

木久扇: 落語のために役に立ちたい。恩返しをしたいんです。

――これからも私たちに笑いを届けてください。

木久扇: 全国のみなさん、お元気でお過ごしください。ありがとうございました。

【放送】
2023/04/28 「ごごカフェ」

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