シェフ三國清三 ゼロからのスタート

23/03/15まで

ごごカフェ

放送日:2023/03/08

#インタビュー#ライフスタイル#たべもの

午後2時台を聴く
23/03/15まで

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“世界のミクニ”といわれた三國清三さんが新たな夢に挑戦します。夢の実現のために選んだのは原点回帰ともいえるゼロからのスタートです。三國シェフの生き方から、セカンドライフを豊かにするヒントをうかがいました。(聞き手:武内陶子パーソナリティー)

【出演者】
三國清三さん(フレンチシェフ)


<プロフィール>
1954年、北海道出身。中学卒業後、札幌グランドホテル、帝国ホテルで修行し、駐スイス日本大使館の料理長に就任。その後、スイス、フランスで修行を重ね帰国。1985年、東京・四谷に『オテル・ドゥ・ミクニ』を開店。世界各地でミクニ・フェスティバルを開催するなど国際的に活躍。子どもの食育活動やスローフード推進などにも尽力。


――昨年12月にお店をたたまれたんですね。最終日はどのように迎えられたのですか?

三國: お世話になっている生産者さんや中間業者さんをランチに招いて、感謝を伝える会を開催しました。スタッフには私のサインが入ったサティフィカを渡しました。

――サティフィカとは?

三國: サティフィカとは、従業員が店を辞める時にシェフが書く証明書です。雇用主による人物証明、推薦状のようなものです。料理人の世界では、この証明書が次の店探しの際、重要な役割を果たすんです。私の場合、ヨーロッパでの修行中に、三つ星店のシェフからいただいたサティフィカが5通ありますよ。

三國少年、料理人を目指す

三國: 父が漁師だったので、小学生の頃から一緒に漁に出て、市場に売りに出ていました。家は貧しく、七人兄妹の三男坊だったので、父の手伝いが家族の命に直結していたんです。

――料理人を目指されたきっかけは?

三國: 多くの子が中学卒業後は高校へ行く時代でしたが、兄も姉も中学を卒業後は家を出て町で働いていました。私は、札幌のお米屋さんに住み込みで働き、夜間に調理の学校に通うことになったんです。このお米屋さんで出されたまかないのハンバーグに衝撃を受けたんです。「グランドホテルのハンバーグはこんなものじゃない、これより100倍おいしいのよ」と聞かされ、はじめてグランドホテルの存在を知り、グランドホテルのコックになって日本一のハンバーグをつくろう!と決めたんです。

――その後、札幌グランドホテルと帝国ホテルで修行されて、スイス日本大使館の料理長に就任されましたが、修行時代のターニングポイントは?

三國: 当時の帝国ホテルには、パートでも履歴書を出しておくと、空きがでれば社員に登用されるルートがあったので、鍋を洗いながら社員になれる道を狙っていたんです。しかし、洗い場に入って2年が経った頃、その制度が終了。北海道に帰って漁師になろうと思いましたが、どうせ帰るのなら、爪痕を残したいと思い、帝国ホテルにある全てのレストランの鍋を洗うことにしたんです。一店一店の鍋をピカピカに洗いました。すると、3か月が経った頃、村上信夫総料理長に呼ばれ「ジュネーブに行きなさい。君を大使の料理人に推薦しました」と伝えられたんです。

ゼロからのスタート

――さまざまな試練を乗り越え、1985年に、ご自身のお店を開店されます。オープン当初はどんな料理を提供されていたのですか?

三國: 目指したのはスイスのフランス料理人、フレディ・ジラルデのような即興(スポンタネ)料理です。彼は、届いたばかりの新鮮な食材を、お客さまの注文を受けてから即興でつくります。複雑ではなく、食材をシンプルに、しかも斬新な組み合わせで、新しい料理をつくるんですよ。私も自分の味覚に正直に、フランス料理の枠にとらわれず、心から自分の好きな料理を作ろうと思いました。なので、日本の食材も積極的に使いました。こうした料理が評判になり、店は40席から80席に増築するほど大きくなりました。

――今回は、それほどの人気店を閉めて、ゼロからスタートするということなんですね。

三國: もう一度、自分の身ひとつで料理と向き合いたいんです。恩師である村上信夫総料理長は、亡くなるまで料理学校で現役を貫きました。自分も恩返しと思い、1年でも長く現役を続けようと思っています。そのために、70歳になった自分が料理と向き合う場所が必要なんです。そこで店があった場所を更地にして、カウンター8席の店をつくり、お客さんと直接向き合って、その日に仕入れた新鮮な食材をつかって即興で料理をつくろうと考えています。

――これからの課題は?

三國: まずは体を鍛えて体重を70Kgに戻します。ヒザを療養しながら、プールにも通って体をムキムキにします。フランス語も習いに行きますよ。まだまだ頑張れることを若い人に伝えたいですね。それから食材確保のためにも、持続可能な漁場をつくろうと考えています。

――漁場ですか?

三國: 日本近海の漁場は海枯れして魚が寄らなくなっています。要因のひとつは磯焼けで、昆布やワカメなどの海藻類が鉄分不足から育ちにくくなっているんです。そのために企業と一緒に、磯焼けの原因である鉄分不足を解消し、海に昆布を増やす活動をしています。昆布が増えれば卵を産みに魚が戻ってくるでしょう。すでに北海道・増毛から活動をはじめていて成功しているんです。

――これからセカンドライフを迎える後輩たちにアドバイスをお願いします。

三國: まずは心を健康にすることです。心を健康にするためには、人のために尽くすこと。当然、体は老います。しかし、そこは知識と経験で補って、セカンドライフでの夢をかなえましょう。“まずは一歩”からでなく、“半歩”前に進んでほしいですね。

【放送】
2023/03/08 「ごごカフェ」

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