【飛ぶ教室】「特別編 対談 山田洋次×高橋源一郎 後編」

高橋源一郎の飛ぶ教室

放送日:2024/01/21

#文学#読書#舞台#映画・ドラマ

元日の「新春!初夢スペシャル」でお届けする予定だった、山田洋次さんと源一郎さんの対談は1月21日に放送になりました。その内容を、前編・後編2回にわたって、ご紹介するシリーズ!

前編はこちら

後編は、山田さんがどう映画を撮ってきたのか、というテーマを掘り下げていきます。山田さんの撮影所への深い愛を感じられる対談をどうぞ。

【出演者】
高橋:高橋源一郎さん(作家)
山田:山田洋次さん(映画監督)

対談は、東京・葛飾区柴又にある山田洋次ミュージアムで収録しました

山田監督流 “映画の撮り方” ~撮影所への思い~

高橋:
このペースでいくと時間かかり過ぎますね。

山田:
ふふふふふふぅ~(笑)。

高橋:
すいません、あの…、『キネマの神様』。

山田:
はい。

高橋:
これはまぁ、映画、もしくは、「日本映画そのもの」の物語。

山田:
う~ん。

高橋:
映画全盛期と言われる、小津監督らしい人、それから清水宏監督らしい人、大船撮影所らしい場所があって、

山田:
ええ。

高橋:
あの映画全体に、懐かしさみたいなものが、たくさん感じられるんですが、あと、ご覧になったと思うんですけど、フェリーニの『インテルビスタ』というね。

山田:
ええ、ええ、ええ。

高橋:
あれも「チネチッタ」という撮影所が舞台で…、

山田:
そうね~、そう言えばそうだったなぁ。

高橋:
アニタ・エクバーグとマルチェロ・マストロヤンニが過去を回想する話なんですけども、「映画そのもの」が主人公になってる。撮影所そのものが、ふるさとになっている感じがあるんですけど、山田監督がちょっと変わってるところの1つが、松竹に勤められて、いまだにずっと松竹…。

山田:
それね、ちょっと世界でもね、あまりいないと思う。そういうのは…。

高橋:
おかしいですよね(笑)。

山田:
ただね、フェリーニという人はね、チネチッタという撮影所をとても愛していて、スタッフにも非常に愛されていて、それ、とてもよく分かるんですね。僕も松竹という撮影所で育って、撮影所は無くなっちゃったけど、今でも松竹っていう会社に、いるわけですねぇ。

高橋:
うん。

山田:
だから、あの時代の、特に撮影所っていうのは今ほとんど、全く日本から消えて…。

高橋:
ない。

山田:
東宝や日活はありますけども、あれは建物だけですから、人間はいないんですよ。
かつてはそこに大勢の、黒澤明にしても、小津安二郎にしても、彼らをボスとして、大勢のスタッフがいて、そこでこう、1つの、なんかイマジネーションを作り上げていくという、

高橋:
場所があったんですね。

山田:
ええ。場所と、その人って、人間たちですよね。
しかも、いろんな職種の人間たちが、あるイメージに向かってワイワイ言いながら、突き進んで行くという、そういう非常に不思議な世界があったから、僕は、あの小津さんだって、ああいう作品ができたし、黒澤明だって、やっぱりそういう人たちが一緒に、たくさんいたから、ああいう傑作を作ったんじゃないかと…。フェリーニだってそうだと思うんですけどもね。
そういう非常に幸福な体験を僕は持ってるなって思いは、そしてもう、そういう思いを持ってる人は、あまり日本にいないなっていう、それはとても僕にありますね。ええ。

高橋:
あの~、実はいまお話をしているのは『山田洋次ミュージアム』という場所で、その隣、一緒の建物ですかね? 『葛飾柴又寅さん記念館』と『山田洋次ミュージアム』があるんですけども。このミュージアムは、まぁ監督の作品のいろんなものを展示してあるんですが、1つ特徴があってですね。大船撮影所のジオラマですかね?

山田:
そうね~。あれ。

高橋:
これはどうしても必要だったっていうことですか?

山田:
そうですね。「ここで映画作ってたんだよ~」っていうね。本当に、この匂いみたいなものまで、僕は感じてほしい、

高橋:
覚えてるんですね。

山田:
ええ、覚えてますね。

高橋:
今、かつての映画を作っていた、1950年代、60年代のような人々が集まって、熱気を持って…、今も熱気を持って作っていると思いますが、特殊な、あの時代にしかなかった空間、人々みたいなのがなくなってしまったことへの哀惜の念て、やっぱり強くあるんですかね? 監督…。

山田:
とってもあります。でね、なぜこの時代に、そういう、なんて言うかな、集団がありえたか…。

高橋:
うん。

山田:
日本でいうと、松竹、東宝、大映、日活、東映、みんな持ってたんですよね。
でね、働いてる全員が、全員が社員だったんですよ、終身雇用の。

高橋:
うん。

山田:
トラックやバスを運転する運転手さんたちとかね、それからまぁ衣装部、小道具、いろんなスタッフがいっぱいいますよね。大船なんか現像場もまだあったんですけども、そこのスタッフ全員がね、1人残らずね、社員だったんですね。

高橋:
う~ん。

山田:
終身雇用のね。だからみんな生涯この撮影所で働くんだっていう、そういう気持ちで、ここで働いてて、それはね、決定的に違うことです、今とは。今は全員がフリーですからね。

高橋:
そうですね~。

山田:
非常に不安定な。しかも低賃金で。
だからこの時代は生活もみんな豊かでしたね。映画自体が、お客さんがたくさん入って、景気がよかったんだけども、食べるものから着るものから、撮影所の人たちはちょっと豊かだったような気がしますよ、僕なんかは…。

高橋:
だから夢の作り手自身が、やっぱり夢がある生活を、

山田:
そうです、そうです。

高橋:
できたから、夢を作れるというところもあったっていうことですね。
で、えっと、少しさかのぼります。2002年に『たそがれ清兵衛』。

山田:
はい。

高橋:
2004年に『隠し剣 鬼の爪』。

山田:
う~ん、んふふ(笑)。

高橋:
2006年に『武士の一分』と、まぁ、いきなり時代劇を…、

山田:
う~ん。

高橋:
作られました。僕はちょっといちばん思うのは、時代劇の話をされたときに、おそらく、え~っと、『逝きし世の面影』の話を…、

山田:
あぁ、あぁ! ええ、ええ。

高橋:
これは名著と言われていまして、

山田:
ええ、ええ、ええ。

高橋:
江戸時代末期、明治の初めに来た欧米人が、日本人を見てですね、暮らしぶり、生き方について感銘を受ける、と。

山田:
う~ん。あれはホント名著ですね~。

高橋:
で、それはどういうことかって言うと…、
まぁこういう言葉はね、なかなか、どういう言葉がいいかなと思ったら、今、「生き様」っていう変な言葉がね、僕はあまり好きじゃないんで…、

山田:
う~ん。

高橋:
あの~、「生き方」。英語だと「way of life」っていうのがあって。

山田:
あぁ。

高橋:
どういう生き方をするか。要するに、モラリッシュで、清潔で、倫理的な…、

山田:
国民だった…、

高橋:
国民だった、っていうことですよね。
あの、映画、この時代劇3本を観てて思うのは、彼らの、なんていうか、背筋が伸びた「way of life」。

山田:
う~ん。

高橋:
生き方が、まさにあの『逝きし世の面影』に書いてある日本人の、武士なのに、絶対、これ例えば、戦場に行っても民間人は殺さないような、とか…、

山田:
うん、うん。

高橋:
つまり、そういう生き方ができていた。それを描かれているなというふうに、僕なんかは読んでですね。

山田:
あぁ~。
う~ん、でもね、あれはね、僕の親父ですね。

高橋:
あっ、そうなんですね。

山田:
僕の父親はもちろん、明治20…、20何年の生まれですけども、九州の柳川藩の藩士の倅(せがれ)で、やっぱりあの時代、まだ明治の20年、30年ごろに生まれた、日本の下級武士の息子たちっていうのが、色濃く侍の文化ってものを身につけていたような気がするんですよね。

高橋:
はい。

山田:
だから、僕の親父なんかも非常に堅苦しい、その堅苦しい親父とお袋が一緒になって、最後はうまくいかなくなっちゃったんだけども。
僕の親父のことでよく覚えてるのは、戦後に引き揚げてきて、田舎の市役所に就職するんですね、ちっちゃな市役所に…。そうすると、ナントカ課長っていうポジションだから、まだ物資のない時代では、あれ、暮れになるとお歳暮が、

高橋:
はい。はい、はい。

山田:
小包で来るんです。で、僕の父親はね、プライベートなアレは全部除いてね、それを送り返すの、全部。

高橋:
はぁ~…。

山田:
僕はね、物がない時代だから、あの中に美味しいお菓子でも入ってるんじゃないかと。「どうして開けて食べさせてくれないんだろう」と思う。でも、そういうことを口に…、言わせないだけの威厳があるんですよね、親父にはね。それもクソ真面目な顔して…。「嫌だな、こんなに堅苦しいの」と思いながらもね、それは絶対、口にしてはいけないみたいな威厳が親父にはあってね。ああいうのが侍だったんだな…。

高橋:
う~ん。
なんか『武士の一分』ですね、それは(笑)。

山田:
そう。そう、そう、そう。(笑)。

高橋:
まぁ、誇りですよね。

山田:
それは祖父から伝わってきてるもんなんですね~。

高橋:
そうか~。そういう意味では、時代劇として作らないと、逆に今は見えにくい、ということですよね。

山田:
そう、そう、そう! そうですね~。

高橋:
時代劇も一種の家族映画だとは思うんですが、あの~『東京家族』が2013年で、あれはまぁ『東京物語』のリメイクなんですけど、びっくりしたのはですね、そのあと『家族はつらいよ』三部作。

山田:
あっはは(笑)。

高橋:
違う話を、同じメンバーで作るっていうのは…、

山田:
あっははは(笑)。

高橋:
あれは、そもそもどういうことだったんですか(笑)。

山田:
俳優を含めてチームができるわけだ。

高橋:
なるほどね。

山田:
で、やっぱり楽しいんですね。
またこのチームで一緒に何か作りたいな~。そうすると、まぁ、同じようなシチュエーションで別の話ができるんじゃないかと。そんな、こう…、みんなと一緒に働きたかったから作った、っていうね。

高橋:
あぁ~。

山田:
っていうのが、とても強いですね。

高橋:
あ~! じゃあ、監督がやりたかった…!

山田:
あはは(笑)。

高橋:
集まってもらって…。

山田:
そうですね~。

高橋:
けっこう好きで。あれは、それぞれの作品にテーマがあってですね、例えば熟年離婚と…、

山田:
そうでしたね。

高橋:
孤独死と、それから~、主婦の家出ですよね(笑)。

山田:
ええ、ええ。家出ね。

高橋:
で、本当にそれぞれ1つ1つが、すごい面白いテーマなんですけど、毎回「家族会議をする」と!

山田:
そうか。うん、うん、うん。

高橋:
で、もう、『男はつらいよ』でも、家族会議やってるよ、と(笑)。
監督、家族会議、好きですよね!?

山田:
そう、そう(笑)。
そうですね~。

高橋:
3世代が集まって、いいのは対等なんですよね。

山田:
確かにね、なるほどね。

高橋:
要するに民主主義ですよね。

山田:
そう。民主主義ですね。だから、寅さんってのは、家族会議のネタをまく人なんですね。

高橋:
そうですね(笑)。

山田:
だから、家族会議で困った、どうしよう…っていう。問題が起きるから家族会議をするわけで…。

高橋:
うん、そうか。問題が起きなきゃね…(笑)。

山田:
しなくていいんですよ。
寅さんが問題を起こすから、しょうがなくみんなが集まって、知恵を出し合って「どうしたらいい、こうしたらいい、そうだ、ああだ、こうだ!」って言って1つの解決策を考える、みたいな。だから寅さんは一種のトラブルメーカーではあるけど、同時に民主主義のね、ネタをまく人でもあるだろう、と(笑)。まぁ、そんなふうに考えてたもんですからね~。

高橋:
1つお聞きしたかったのはですね、渥美(清)さんは、途中から他の作品にはほとんど出なくなって…、

山田:
ええ、そうですね~。

高橋:
いわば、車寅次郎と心中する…。

山田:
うん、うん。

高橋:
あの~、役者にとって、それは幸福なのか不幸なのか。僕は役者じゃないので分からないんですけども、そういう作品になってしまった…。

山田:
そうですね。僕も生涯、「寅さんだけ作った」っていう監督だったらどんなにカッコいいかと…、

高橋:
あっはっはっ(笑)。

山田:
思ったりするんですけどもね。
第1作を作りまして、まぁ、いろんないきさつがありましたけど、とにかく作り上げて、それで撮影所で試写をやるんですよ。

高橋:
はい。

山田:
スタッフ、関係者、会社のえらい人みたいなのが来て。なんにもおかしくないんですね~、観たら。

高橋:
あっ、監督が観たら、ですね。

山田:
ええ。スタッフもそういうときは、映画を観て笑ったりしないわけです。チェックしてるから…。

高橋:
うん。

山田:
で、えらい人たちは客が入るかどうか、そればかり考えてるわけだから、楽しもうなんて人はいないわけ。だから…、

高橋:
むふふ(笑)。

山田:
当然ね、笑い声なんか出ない。我々は、笑い声が出ない中で、「これ、おかしいとこなんて1つもねぇな~」と思ったんですね。

高橋:
うん。

山田:
で、非常にその日は憂鬱(ゆううつ)で、もうこの映画は大失敗だな、喜劇としてはね。でもね。俺はしかし、寅さんを笑おうと思って作ってたのだろうか? そうじゃないな~、と…。
僕の基本的な態度は、寅が自分のでき損ないの弟みたいな感じで、寅に対して、「お前、そうじゃだめなんだ」という、こう…、叱りつけるような、尻を叩いて、「だめだ、もっとちゃんと生きろ!」って。「妹をそんなに悲しませちゃだめじゃないか!」という、そういう寅を、こう、励ましたり叱ったりするという態度で僕はこの映画を作ってきたんだな、と…。
とすれば、観客にとって面白い、ゲタゲタ笑うような作品であるわけないな~、と。喜劇としては、成り立たないんだな…、なんてことをね、思って、これ、大失敗だと思ってた。

高橋:
う~ん。

山田:
ところが封を切ってみたら、「お客さんが笑う」っていうんで、びっくりしたんだけども、そのとき僕は、観客からむしろ、「おかしいんだよ」と。「それが、おかしいんだよ」「そのあなたの態度がおかしいんだよ」って言われたような気がして、じゃあそのまま一生懸命つくっていけばいいんだなと、思ったことがある。
だから僕にとってのあの映画は「駄目じゃないか、そんなことじゃ~」と(笑)、寅に対して言ったり、寅の仲間や、ときとしてタコ社長を叱ったり、そんな感じですね~。

高橋:
う~ん!

山田:
その、「もっとちゃんと、みんな生きなきゃだめだよ」って思いで作る。作るっていうかな~、ええ。

最後の質問 ~山田洋次監督のこれから~

高橋:
あの~、え~っと、もうそろそろ最後の質問に…。最後の質問はですね、「これから」です。

山田:
これから…、えへへ(笑)。

高橋:
はい(笑)。ちなみにですね、僕は今年73歳になるんですが…、

山田:
まだお若いんだな~。

高橋:
最近感じてるのは、「ようやく自由に書ける感じになってきたな」って気がするんですね。

山田:
へぇ~!

高橋:
年を取るほど、だんだん自由になってくる。まぁ、束縛とかが、だんだんなくなってきて、何やっても、別に文句も言われなくなってくるし(笑)。

山田:
う~ん、う~ん。

高橋:
僕、これからが楽しみなんですけど、山田監督はほぼ60年以上、休みなくですよね?

山田:
う~ん。

高橋:
しかも1つの会社に…、

山田:
なんとなく所属して、

高橋:
所属して、そうやって作り続けている秘密というか、その気持ちっていうのは?

山田:
でも『寅さん』シリーズを終えるころには、もう50歳を過ぎてましたし、ず~っとやっぱりスタッフが、大勢のスタッフが、現場のスタッフもいるし、それからいろんな宣伝とか企画関係、それを含めて松竹の人たちがみんな僕のスタッフみたいな形になってますから。この人たちと一緒に、いつもとても僕は仕事をしやすいし…、

高橋:
あ~、なるほど。

山田:
この人たちと離れて、1人になっても、もっといい仕事ができるとは、あまり僕は思えないんですよね~。

高橋:
ということはやっぱりここも、監督にとっては「1つの家族」という…、

山田:
ええ、ええ。そう思ってますよ。

高橋:
ねぇ。個人じゃないんですね、監督(笑)。

山田:
そうですね。
そう、そう。個人じゃないんだな~、僕の場合はな~。

高橋:
家族…。

山田:
う~ん。

高橋:
まだ「これからやりたいテーマ」みたいなものは、どっかにあるんですか?

山田:
うん、それはいっぱいありますけどね、ええ。
もうやっぱりこの年になりますとね、自分の肉体的な衰え方とか、いろいろそういうことが、いっぱい不安になって出てきますからね、そう簡単に「今度これやります」って、言えないですね、自信を持って。

高橋:
じゃあ、あるんですね!

山田:
う~ん、ないことはないですよ。もちろん(笑)。

高橋:
じゃあ、すいません。とりあえず『家族はつらいよ』の第4部を作って…、

山田:
第4部!?
あははははっ(笑)。

高橋:
いただくということで…。

山田:
でも、そう言っていただくと、うれしいな~。

高橋:
じゃあ、監督の新作を、心待ちにしておりますので…。きょうは本当に…、

山田:
あっ、どうも。

高橋:
ありがとうございました。

山田:
どうも!

高橋源一郎の飛ぶ教室

ラジオ第1
毎週金曜 午後9時05分

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