歴史に見る年末年始の巻

23/01/06まで

誰かに話したくなる日本史

放送日:2022/12/30

#歴史#学び#勉強#戦国#大河ドラマ

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23/01/06まで

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「歴史」…人や社会が築いてきた物事の移り変わり、発展の経過、その記録。
時の権力者によって曲げられたもの。読み物として作り上げられたもの。先祖の功績のために盛られたものなど、さまざまな歴史が存在します。しかし、多くの人が知る歴史は時代のメインストリームのお話。歴史はさまざまな場所、さまざまな人によって紡がれてきました。誰かに話したくなる日本史。そんな知られざる歴史のお話です。


【出演者】
れきしクン(歴史ナビゲーター)


<プロフィール>
1986年、埼玉県出身。大学卒業後、漫才師としてデビュー。芸人を引退後、歴史ナビゲーターとして、歴史バラエティー番組の放送作家や監修、歴史作家などとして活躍。著書多数。

戦国時代の年末年始は要注意

戦国時代の暦は旧暦ですので、今の暦とはちょっと違いますが、戦国時代だってお休みモードになることも。忘年会でもして今年の労をねぎらおう! 新年会をして新年のスタートを切ろう! という考え方は今と同じようです。日本人のDNAがそうさせるのでしょうか? しかし、そこを狙う人間はいつの時代にも存在します。だから・・・いろいろと起きるのです。

まずご紹介したいのは、一部の戦国時代マニアの間で絶大な人気を誇る、常陸の国、茨城県の武将、小田氏治(おだうじはる)。私も大好きな武将です。なぜ人気があるかというと、とにかく弱かった。合戦では何度も負け、居城の小田城を落とされること9回。そのうちの1回というのが、毎年恒例の小田家の年越し忘年会。例年どおり、皆でドンチャン騒いでベロベロになった元日にお城を落とされたという逸話が残されております。

同じような武将は全国各地にいるようで、室町時代、出雲の国、島根県の武将、塩冶掃部介(えんやかもんのすけ)もその一人です。『陰徳太平記』という軍記物などに登場しますが、実在は確認されていません。塩冶掃部介は、新年のお祝いパーティーをしている最中に奇襲をかけられて、居城の月山富田城(がっさんとだじょう)を落とされたと言われています。このお城を落としたのが、尼子経久(あまごつねひさ)という人物です。「鬼神」または「謀聖(ぼうせい)」などと称されている山陰の名将です。城内に芸能集団を送り込み、油断させて奇襲で落としたというふうに伝えられています。

年末を狙って戦を仕掛けたのは武田信玄。16歳、初陣(ういじん)の時でした。年末ということで油断している平賀源心(ひらがげんしん)という武将を狙って、1回撤退したと見せかけて一気に反転。奇襲でお城を落としたと言われています。この戦いは『甲陽軍鑑』に記されていますが、こちらの平賀源心も実在するかは不明なんですね。

そして幕末の戊辰戦争。旧幕府軍と新政府軍の戦いです。江戸無血開城や会津戦争、最後は函館の五稜郭で終結した日本史上最大の内戦です。この戦いの始まりである鳥羽・伏見の戦いは、明治元年、1868年の1月3日から始まっているんです。

鎌倉殿の13人のその後

歴史好きが注目する大河ドラマ。12月に終わり、1月に新たにスタートする感覚は、年末に大掃除をして新年に初詣に行くようなもの。まさに風物詩。『鎌倉殿の13人』は、平安時代の終わりから鎌倉時代のはじめが描かれました。主人公は、小栗旬さん演じる鎌倉幕府2代執権、北条義時。スタート当初は、源頼朝のわがままに困った顔が似合う好青年。それが後半になればなるほど悪い感じになっていく。次々に登場人物が粛正、追放されていくなど、とにもかくにも毎回見応えがありました。さて、その続きはどのようになったのでしょうか?

相変わらず血みどろの内輪もめが続いていくんですね。まず、義時の死後、すぐに伊賀氏の変が起きます。義時の奥さん、ドラマだと菊地凛子さんが演じたのえさんが起こそうとした反乱で、北条家の後継者に自分が産んだ子どもである政村(まさむら)をつけようとしたんですね。しかし、北条政子によってすぐさま鎮圧されています。その後も執権の座を巡る争いが起き、さらには宝治合戦というのがありまして、三浦義村のお子さん、三浦泰村が滅ぼされています。三浦一族はドラマのキーマンでしたね。山本耕史さんが演じる三浦義村の時代は、幕府の有力な御家人でしたが、息子の代に滅ぼされてしまうんです。その後もずっと内輪もめは続き、最終的に鎌倉幕府は1333年に滅亡してしまいます。この鎌倉幕府滅亡のきっかけを作ったのが、のちに室町幕府の初代将軍になる足利尊氏なわけですが、この足利尊氏は北条一族なんです。最後の最後まで内輪もめが続いたんですね。

鎌倉殿の13人

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どうする家康はどうなる?

2023年の大河ドラマは『どうする家康』。鎌倉殿から家康への大河リレーとなります。歴史ファンにとってはかなり意味のある熱いリレーなんです。『鎌倉殿の13人』の元の資料となっているのが『吾妻鏡』という歴史書です。この『吾妻鏡』は、室町時代になると散逸して完全な形ではなくなってしまったんです。これをコレクションして、現在に伝わる内容にしたのが徳川家康なんです。

この家康も、皆さんが思っているのとは違うということがいろいろとあります。まず代表的な天ぷらを食べ過ぎて死んだ説。確かに家康は天ぷらのような揚げ物を食べたんです。当時、天ぷらという名前はありませんが、確かに食べて、夜に体調を崩し、おなかを痛くしているんです。でも亡くなったのはそれを食べてからおよそ3か月後なんです。実際には胃がんで亡くなったといわれています。

家康というと、秀吉の死後にずる賢く台頭し、石田三成を陥れて関ヶ原で倒し、豊臣家を策略で滅亡に追い込んだことから “タヌキおやじ” とよく言われますが、実際、関ケ原の戦いの時などは、自分に味方してもらうため、武将たちの動向を調べるために、現存するだけでも数十通の書状を書いているほど焦りまくっているんです。また、豊臣家についても「何としても滅ぼそう!」とした動きはなく、むしろ豊臣家側の方が家康との対立をあおる動きをしてるんです。だから“豊臣家の自滅”ともとれるんです。さて、今度の家康はどのように描かれるのでしょうか?

どうする家康

日曜日 総合 午後8時/BSP BS4K 午後6時

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大奥の新年は?

こちらも2023年、ドラマの放送が決定しております。大奥とは、江戸城の本丸御殿の奥にあった将軍の妻子が住むところ。徳川三代将軍、家光の時代「世継ぎが生まれない」と心配した乳母の春日局が、家光の気に入りそうな女性を集めたのが始まりといわれています。この大奥に奉公していた女性全員が側室を目指していたわけではなく、将軍と妻と子どもの暮らしを支えるという実務を担っておりました。そして、将軍以外は基本的に「男子禁制」。大奥で働く女性の親族であっても、面会ができる男子は9歳までと規律の厳しい世界だったと記されています。

秘密保持が絶対の奥女中は一生奉公が原則です。休みを取って家に帰ることも自由にはできませんでした。手紙のやり取りさえ、祖父母や親兄弟など近しい親族に限られたくらいです。大奥での暮らしは口外されなかったため、謎がめちゃくちゃ多いのです。しかし、明治時代初期に、大奥に勤めていた関係者を取材した資料が残ってます。『千代田城大奥』という史料ですが、その中に、毎年正月に行われていたイベントのことが書かれています。その名も「新参舞(しんざんまい)」。これは大奥に仕えることになった新人の女性たちが“裸踊り”をするイベントだったそうなんです。お正月の夜に、新人の皆さんが服を脱いで裸になります。そしてウコン色や桃色、白い木綿の湯巻き(腰に巻く布)をまとって、頭に手拭いをカボチャの形にして載せたり、ザルをかぶったり、さらに先輩たちが、すりこぎ棒や杓子などを手にして、ヤカンやオケを持ってきてたたくんです「新参舞を見しゃいな! 新参舞を見しゃいな!」とはやし立てて、新人の女性たちは踊ったそうなんです。厳格なルールが多い大奥の中で、羽目を外すことのできる珍しいイベントで、大いに楽しんだそうです。ただ、新人の中には、憂うつに沈んでしまう人もいたそうです。今ではいろいろな意味で絶対できませんね。

ただ、これはふざけているだけのイベントではないのです。初めは“裸踊り”ではなかったそうなんですが、かつて大奥に奉公しに来た女性の中に入れ墨をした人がいて、多くの風紀を乱してしまったことがあったそうなんです。それ以降「新参舞」に事寄せて、裸にさせてチェックする風習になったといわれています。


歴史の中にもさまざまな年末年始がありました。

年末年始も歴史は動き続けています。

また、あなたの歴史のどこかでお会いしましょう。


【放送】
2022/12/30 「誰かに話したくなる日本史」

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