漆を操る職人、塗師(ぬし)。日光東照宮では、常時専門の塗師6名が腕を振るっている。その最年長として後輩たちをけん引するのが、この道45年の佐藤則武(68)だ。高い技術力とともに、長年に渡る漆塗りの調査研究の実績により、文化財建築の修復を行う全国の塗師の中でもその名を知らぬ者はいないといわれる。
日本文化の象徴ともいえる漆だが、その役割は「塗料」としてだけではない。風雨や外気にさらされる木材の劣化防止にも力を発揮する。日光東照宮では、漆は彫刻を彩る極彩色の下にも何層にも塗られ、400年前の建物そのものの強固なたたずまいを守り続けている。漆、そしてそれを操る塗師は、日本の美を守る縁の下の力持ちなのだ。
塗師が塗る漆が建物を守る
漆黒だけでなく彫刻の極彩色の下にも塗られている
漆には、変わった特性がある。それは、湿度が高ければ高いほど速く固まるという性質。他の一般的な塗料と反対だ。しかも、天然素材である漆は、採れる時期などによってその性質が大きく異なる。そこで塗る前の「試し塗り」が重要となる。何種類かの漆を板に塗り、固まったときの状態をみて、その時期に合うベストの漆を選ぶのだ。見誤ると、見た目にも強度もいい塗りにはならない。
佐藤は慎重に漆を選び、時には “今日は塗らない”という判断を下し、漆にとって最高の条件になるまで待つ。佐藤はこの“自然に合わせる”ことこそ、塗師のだいご味だと言う。「漆は生きているから、自然に合わせないと100%の力を出してもらえない。漆は、難しいから、おもしろい。」
いくつもあるたるの中から時期に合うベストの漆を選ぶ
湿度が高く、固まるのが速すぎるとシワが寄ってしまう
塗る前に湿気の状態を確認。判断は常に慎重かつ的確に。
日光東照宮では、過去400年の間、修理の度に塗り重ねられてきた漆が層になって残っている。佐藤はこの過去の塗膜を、修理に入る前に必ず分析する。長年の経験や勘だけに頼らず、過去を“親方”としてそこから学びを得たうえで、次の修理に臨むのだ。
今回佐藤が挑んだのは、東照宮の中でも最も重要な建物 “本殿(国宝)”。ここで、特に劣化が著しい一角が見つかった。佐藤は過去の塗膜層から剥離の原因を分析。結果、江戸時代の職人たちが何度も辛酸をなめた形跡を発見した。それは、漆を塗るのに最悪の環境であることを意味していた。佐藤は塗膜を通して先人が教えてくれた悪条件に、先手を打って対処。見事、不具合を出すことなく400年前の輝きをよみがえらせた。
400年の間に塗り重ねられた漆の層を分析
今回の剥離は湿気がこもる悪条件が主な原因だと判明
悪条件をクリアし、漆黒の輝きをよみがえらせた