スマートフォン版へ

メニューを飛ばして本文へ移動する

これまでの放送

第343回 2017年11月27日

夫婦の流儀スペシャル



青山学院大学陸上競技部 監督:原晋(50)/寮母:原美穂(50)

今年の箱根駅伝優勝で三連覇、同時に大学三大駅伝の三冠という偉業を成し遂げた青山学院大学。チームを率いるのは監督の原晋と、妻で寮母の美穂。夫婦は東京・町田の学生寮で学生たちと共同生活し、弱小集団から強豪チームへと成長させた。しかし、今年の駅伝シーズンは波乱の幕開けとなった。10月の出雲駅伝でまさかの2位。次なる大会に向け、夫婦は学生たちをどう導くのか。その2か月間に密着した。

写真原夫婦結婚写真


夫・晋の流儀「走り出したら、“自分”で輝け」

原はチームをいかにして強豪チームに育てあげたのか。原が重要視するのは、走るフォームだ。無駄な動きをなくし、効率よく走れるようにするため、身体の軸「体幹」を徹底的に鍛え上げる。
さらに原がこだわるのは、学生たちが「自分で考える」こと。練習も監督が手取り足取り指導するのではなく、学生たちに自分の目標や体調を考えさせて、走らせる。また練習以外でも、目標達成のためにどう練習を積み重ねていくか学生同士発表させている。そこには指導者として伝えたい、1つの思いがある。

「走り出したら誰も助けてくれません。自分が自分を動かしていかないといけない。舞台に上がったときは、もう自分で輝きなさい。将来的に彼らはサラリーマンになっていくわけですよ。みんな。何か身になるものを植え付けさせてあげなければいけないっていう思いがあるんです」

写真練習を見る、夫原晋
写真雨の練習


妻・美穂の流儀「大切な人だから、伝える」

寮母として朝晩の食事の準備をするなど、学生たちの生活を支える美穂。しかし美穂の仕事はそれだけでは終わらない。学生一人ひとりの体調の変化に目をこらしたり、ケガで気分が沈んでいる学生には元気づけたりと、まさに母親代わりとなっている。
さらに美穂が目をこらすのが、夫の晋。気が緩んでいる夫には、時に苦言を呈す。そこには妻としての思いがある。

「監督は自由にさせないと死んじゃうんですよ。こうしなさい、ああしなさいって言われるのが一番嫌いなので。世の中で。でも言わなくちゃいけない時は言うんですけど。嫌がってるなっていうのがすごく分かって、でもそれをあえて言ってあげるのが、近くにいる人間の責務だと思っているんですよ。大切な人だからこそ言ってあげれるし、怒ったりできることだと思うので。」

写真大会出発を見送る妻の美穂
写真学生に囲まれる妻の美穂


プロフェッショナルとは…画像をクリックすると動画を見ることができます。

原晋「無形なものを有形なものに変えていくエネルギー。それに向う諦めない気持ち。」美穂「私はちょっと逆で、平常心というか普通、どういう状況であっても同じように受け止めるというか、支え続けるっていう感じ」原晋「それが夫婦の絆でしょ。夫婦だからこそできる技じゃないですか?」

夫婦の流儀スペシャル


写真館 鈴木克明(73)寄里枝(71)夫婦

神奈川・川崎の街道沿いにある創業76年の写真館。“ここで証明写真を撮ると、合格する”という口コミから、就活生や受験生など毎年5千人ほどが訪れる。
どうやって、夫婦は写真を撮影しているのか?特別な機材を使っているわけではない。秘密は、夫婦のコンビネーション。助手を務める寄里枝は、客にたえず話しかけては気持ちをほぐしていく。そして、ここぞ!のタイミングでカメラマンの克明にバトンタッチ。えもいわれぬ魅力的な表情を切り取る。それは、証明写真に限らない。七五三やお宮参りの家族写真、入学・卒業写真、結婚写真、遺影・・・。たった1枚の写真だけれど、その人の人生が写っている。その1枚のために、夫婦は全力を尽くす。

写真カメラマンの夫 鈴木克明


気持ちの入った1枚

寄里枝「一枚の写真の力、ほんとにね、あると思うの。一枚の写真から例えば、亡くなった人の気持ちを思う気持ち、恋人の写真を思う気持ち、我が子が遠く離れている、それを思う気持ち。一枚の写真が、どんな物語を語ってるかということを、みんな知るべきだと思う。」

克明「その人の一番いいところが表情に出れば、いいかなと思います。そのために一枚一枚丁寧にやっていかないと、おろそかにできないと思いますね。」

写真カメラ助手の妻 鈴木寄里枝
写真結婚して43年間一緒に仕事をする鈴木夫婦


真綿職人 北川茂次郎(86)みゑ子(80)

滋賀県米原市。この地方におよそ300年前に伝わった技術を今に継承する夫婦がいる。
真綿職人の北川茂次郎(86)とみゑ子(80)。作るのは真綿布団。蚕の繭から作られる布団は、保温性に優れ、柔らかく、とにかく軽い。それは日本最高級クラスといわれ1枚100万円以上の値がつくこともある。
戦時中、真綿はその保温性の高さから、軍用服として重宝されていた。二人が住む地方でも養蚕業が盛んで、多くの真綿製品が作られていた。しかし戦後、化学繊維や安価な中国産の真綿に押され養蚕業は衰退。この地域に400軒あった真綿の製造所も、今では3軒のみとなってしまった。
真綿作りは繭を煮ることから始まる。茂次郎は、100年以上使われてきたという釜に重曹を入れ、繭の繊維を柔らかくしていく。夫が煮た繭をみゑ子は、ぬるま湯の中でほぐし、四角い木枠にかけながら引き延ばしていく。
3日ほどかけて乾燥させた真綿は30センチ四方ほど。それを夫婦二人で極限まで引き延ばし、重ねていく。1キロの布団を作るのにおよそ300回。二人は、目も合わさなければしゃべることもない。力加減や引っ張る方向など確認することなく、ただ黙々と真綿を引っ張り続ける。結婚して55年。北川夫婦だからこその技がある。

写真呼吸を合わせ真綿を引く夫婦
写真夫婦で真綿を整える


糸で伝える

「夫:お互いがだいたいこういう感覚で引っ張るなっていうのはあるんよ。
 妻:力の入れようも。
 夫:1本の糸から伝わってくる。あうんの呼吸で。
 夫:夫婦は二人三脚ってこれがほんまに昔からそうやと思うわ。どこが外れてもいかんの。
 妻:どっちがどうっていうのはないわな。」

写真繭剥きはみゑ子の仕事
写真真綿職人・茂次郎


素麺職人 鈴木正(70)年枝(69)

富山県砺波市で作られる「大門素麺」は、生産量の少なさと独特の風味から“幻のそうめん”と呼ばれる逸品だ。毎年、稲刈りが終わった11月頃からいてつく寒さが和らぐ3月いっぱいまで、そうめん作りが行われる。作り手は、わずか11家族。その中でも三代続く鈴木夫婦のそうめんは絶品だという。通常の規格は1.2ミリだが、二人が目指すのは0.85ミリ。その細さは、この夫婦にしかできない。

仕事は過酷だ。作業が始まるのは午前1時。前日に仕込んだ生地がこの時間に最も良い状態で延ばすことができるからだという。二人は生地を何度も機械にかけながら延ばし、コシを作る。生地の状態をチェックするのは、妻、年枝の役割。気温や湿度の影響を受け、刻々と変化するため、片時も目が離せない。

正「生きとるいうことや。生地は動いとんやけえね、一生懸命に。延びよう延びようとか、くっつこう、くっつこうとかしとるもんで。やっぱ大事なとこ、うまいことパッとやらんと」
年枝「時間勝負やから」

朝6時半、麺を太さ3ミリまで延ばし、作業は一段落。ようやく一息つけると思いきや、年枝はわずか一時間の休憩の間に家事を済まし、正は翌日の作業のために機械のメンテナンスと掃除。二人は朝ごはんもかき込んで食べる。

午前8時からは3時間以上かけて、手作業による麺延ばし。ここで0.85ミリの夫婦のそうめんは出来上がる。
午後はそうめんの袋詰めと明日の生地の仕込み。仕事が終わるのは、夕方5時。なんと一日16時間、夫婦は働く。そんな生活を続けて30年が過ぎた。夫婦は自らの人生をこう語る。

写真大門素麺
写真鈴木正 年枝 夫妻
写真生地を何度も機械に通しコシを作る


繰り返せば、やがて使命となる

正「ものづくりっていうのはどこ行っても同じ繰り返しじゃないですか。本当は嫌なるもんやけど、なんで嫌ならんかというと飽きん。やりかかった以上はやり切らなあかんからですね。それがだんだん何十年もやったらそれがあたり前であって」
年枝「疲れた、言うとれんからねえ。やっぱ使命やと思う」

写真手延べ作業、全身を使った肉体労働
写真くっついた麺を分ける箸分け
写真仕上がりを確認するのは手の感覚のみだ
写真丁寧に素麺を結い、袋詰めする