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第325回 2017年5月22日

この道は、我を生かす道 数寄屋大工・升田志郎



木の「顔」を生かす

茶室に代表されるシンプルでありながらも奥深い、“わびさび”の空間、数寄屋造り。
「日本の美」と称されるこの世界で、当代随一の名工と名高い職人、升田志郎(66)。
京都迎賓館主賓室座敷をはじめ、日本を代表する数寄屋建築を手がけてきた升田が木材と向き合う時に常に心に留めているのが、木の「顔」を生かすという信念。
升田は、木材の美しさを極限まで引き出すことに妥協を許さない。あらゆる角度から木材を観察し、正面に据える一番いい表情を徹底的に探り、さらにその「顔」をより美しく見せる精緻な加工を施す。
木材を収める場所によって変わる、外光や影の差し込み具合や人の目線。それらを計算し尽くし、一本一本、刻む幅や角度を数ミリ単位で変えているのだ。「向き合う時は最敬礼する思い」と木材に強い愛情を持つ升田ゆえのこだわりだ。

写真数寄屋造り 木材を巧みに組み合わせて作られる
写真2時間以上かけて一番良い「顔」を探ることも


五意達者(ごいたっしゃ)

五意達者(ごいたっしゃ)。江戸時代に書かれた日本最古の大工の技術書に、棟梁(とうりょう)の模範として書かれている言葉だ。設計図を読み解き、墨で的確に木材の使いどころを示す技術、「式尺、墨がね」。金勘定や緻密な計算能力「算合」。削りや加工のあらゆる「手仕事」。そしてデザイン性に優れた内装を自らのセンスで作り上げる力「絵用」、「彫物(ほりもの)」。一人前の棟梁は、これら全てに熟達する努力を怠ってはならないという古(いにしえ)の教え。升田は、分業が進む今の時代だからこそ強く胸に刻んでいる。
「大工と関係ないところも全て仕上がりに関連してくるからさ。全てが。だから責任者は全体的に見ないとあかん。でもそんな最高の大工なかなかなれるもんちゃう」。
升田は、理想の棟梁像を追い求めながら66歳の今もなお現場の先頭に立ち続けている。

写真五意達者の精神が書かれている巻物
写真採寸などの細かい作業も率先して自ら行う


面倒なことから、逃げるな

中学の時、親を亡くし、生活に困って16歳で現在の工務店に「丁稚奉公(でっちぼうこう)」に入った升田。
父であり師匠だったのが、ロックフェラーやジョンレノンの邸宅を手がけ“大工の神様”と称された中村外二だった。全てに厳しい師匠から、ことあるごとに言われていたのがこの言葉だった。
装飾を排したシンプルな空間に、精緻な計算と手仕事で美を生み出す数寄屋の世界。師匠に認められたいと、学校で学ぶ機会のなかった数学を必死に勉強したことが、のちに緻密さを突き詰める大工を目指す原点となった。
この春挑んだのは、これまで扱ったことのない規格外の梅の木から床柱を作るという難しい仕事。
升田は手間をかけてでも美しさを追求する姿勢を曲げることなく、見事に大仕事を成し遂げた。

写真大工の神様・中村外二
写真教えを胸に、梅の巨木に挑んだ


プロフェッショナルとは…画像をクリックすると動画を見ることができます。

自分の心に打ち勝ち、またためらうこともなく、自分の道、これを貫くことがプロやと思います

数寄屋大工・升田志郎


放送されなかった流儀

この道より我を生かす道なし
この道を行く

自分を育ててくれた師匠・中村外二とともに歩んだ30年。その日々を経て、升田が大切にしているのが武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)のこの言葉。幼い頃に両親を亡くし、生活のためにしかたなく踏み入れた大工の道。
しかしそこで出会ったのは、自分にまるで父親のように接してくれる中村外二だった。成長期には人一倍ご飯を食べさせてくれたこと。20歳過ぎ、遊びたい気持ちを抑えられず、毎晩飲み歩き、生活も仕事も乱れた自分を強くとがめてくれたこと。33歳の時に過労で倒れて家族の将来を案じた時も、大きな仕事を任せてくれて背中を押してくれこと・・・。つらい時、いつも自分を救ってくれたのは師匠であり、この仕事だった。「学校もろくにでてない自分を一人前にさせてもらってほんま、ほんま感謝しかないよ」今は亡き“大工の神様”の後を継ぎ、升田はこれからもこの道を行く。

写真この言葉を筆箱に入れ、持ち歩いている