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第324回 2017年5月15日

道をひらく、小さな命のために 小児集中治療医・植田育也



“命の地図”を、たどる

諸外国から遅れをとり、いまだ不足が叫ばれる日本の小児集中治療室「PICU」。その中にあって植田は米国で小児集中治療と出会い、先駆けてその技術を身に着けた先駆者の一人だ。
植田は命の危機にひんする子どもを中心に1万人もの治療を行い、実に生存率98%という実績を持つ。その頭の中にはこれまでに行った治療、投与した薬剤、それに対する患者の反応など、あらゆる経験が“地図”として整理され、しまい込まれている。新たな患者と向き合い、治療を行うときは必要な地図を取り出しながら回復へ向かう道を進み、患者の反応をじっくりと観察、次々に打つ手を繰り出していく。そうする中で患者を救命へ導いていくことこそ、集中治療のパイオニア・植田の神髄だ。

写真自らの豊富な経験を若い医師に伝える植田
写真治療後は患者のそばに腰を据え、様子を見守る


約束のヒゲ

それは20代の頃に出会った、高校生の患者がきっかけだった。「退院するまで、一緒に伸ばそう」、そんな約束から伸ばし始めたものの、そのまま少年は帰らぬ人となり、そり落とせなくなってしまった“約束のヒゲ”。
これまでに数多くの命を救ってきた植田だが、その一方で亡くなった命はおよそ200人。その事実を常に心に留め、現場に立ち続けている。
「良くなった子どもたちは、それぞれの良い居場所がありますから。ここから出ていって遠ざかっていくのが一番幸せですよね。逆にここで亡くなったお子さんはどこにもいかない。ここに留まっちゃうので、どこにも行かなくて自分の心の中にずっと澱(おり)のようにたまってきていますよね。」

写真少年との約束が込められたヒゲ
写真治療を模索しながら、思わずヒゲに触れる植田


兄弟の命を救え

ある夜、植田のもとに運びこまれてきたのはアパート火災の現場から救出された3人の兄弟。全員が顔や手足の熱傷に加え、のどを熱気で焼かれ、人工呼吸器をつけなければならないほどの重症を負った。植田の処置により命を取り留めた兄弟だが、生後8か月の弟の体に異変が起き始める。痰(たん)が大量に肺に流れ込んだことで、呼吸を大きく乱し始めたのだ。「必ず、助ける」そう誓い、幼い命と向き合い続けた植田。知られざる小児集中治療室の現場に密着した。

写真8か月の弟の治療後、そばに寄り添う植田
写真一命を取り留め、リハビリに励む弟


過酷さの奥に、たどり着くもの

ある日、植田が案内してくれたのは“埼玉一の激辛”とうわさされる手打ちうどん。大好きな激辛料理を食べながら、植田はこう語った。「辛さの奥にうまみが見えてきました。ある意味、これ以上辛くなることはないなっていう安心感というか。」
子どもたちの命の危機を一手に引き受けるという、集中治療の過酷な仕事にも、その先に見える“やりがい”があるという。「それは単純に死にそうな子どもを助けたいということ、正にそれだけですね。こういうふうにしっかりPICU作って、ここで子どもを助けるような医療をして欲しいっていうことを言われた場合に、やるしかないですよね。」

写真ジョロキアたっぷり手打ちうどん
写真強烈な辛さに挑む植田


プロフェッショナルとは…画像をクリックすると動画を見ることができます。

進むべき道を、見つけ出す力ですね。最も患者さんにとって良い結果になるように、それを導き出せる力を持っている。

小児集中治療医・植田育也