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これまでの放送

アンコール 2017年3月13日放送

それでも、海を信じている カキ養殖・畠山重篤



海を、信じる

東日本大震災の津波で、畠山の養殖場は壊滅的な被害を受けた。中でも、畠山の養殖にとって命ともいえる舞根(もうね)湾の海中には、瓦礫(がれき)や泥が降り積もった。そうした状況にもかかわらず、畠山は、養殖を再開させることを決めた。根底には、半世紀にわたり海と共に生きてきた男の「海を、信じる」という信念がある。
昭和35年に三陸を襲ったチリ地震津波。畠山は地震後、驚異的な早さで成長するカキを見た。昭和40年代以降、赤潮が頻発するようになった気仙沼の海が、長い時間をかけて元の姿を取り戻していくのを経験した。
「海を恨んではいない。海は必ず戻ってくるから。」
あらがいがたい自然と向き合う時、立ち向かうのではなく、受け入れ信じること。そして、自分が今できることを精一杯やることが大切だと畠山は考えている。

写真震災後、通常の倍以上の早さで育ち始めた子どものカキをうれしそうに見つめる


カキには人が映る

畠山のカキは、大粒で、うまみが濃厚だと評価されている。この極上のカキは、「カキには人が映る」という畠山の思いから生まれる。
カキは、海水に含まれる植物プランクトンを食べて育つため、そのプランクトンの量が、カキの出来を左右する。そして、プランクトンの量は、実は森の腐葉土から溶け出す“フルボ酸鉄”とよばれる鉄分の量に左右されると考えられている。「よいカキかどうかは、上流の森を見れば分かる」と言われるゆえんだ。
畠山は四半世紀に渡り、2万本以上の木を植えてきた。本業の時間を割いて植樹を続けるのは、手間がかかる。さらに、効果が現れるのは、50年後、100年後の可能性もある。そこまで考えた上で継続することのできる、“優しさ”。その人間性が、カキの味に凝縮され、映るのだという。

写真震災後初収穫のカキを食べる


自分のやり方を貫きなさい

畠山は津波で、母小雪さんを亡くした。養殖業を継いだ畠山を、陰に日向(ひなた)に支え続けてくれた小雪さん。その母の言葉が、壁に突き当たった畠山の背中を押し続けてきた。
植樹活動を始めた畠山だったが、その直後、気仙沼湾に注ぐ川をせき止める、ダム計画が持ち上がる。「海を守るために森を守る」と声を上げても、聞いてくれる人はわずかだった。活動を広げるための資金も無く、取り組みを裏付けるための科学的な根拠も無い。家族に心配をかけまいと、何も話していなかった畠山だったが、ある日小雪さんに呼ばれ、声をかけられた。
「自分のやり方を貫きなさい」
畠山は、見守っているという母の思いと同時に、自分でやり始めた事は、最後まで自分の責任でやり通しなさいという2つの思いを、その言葉から受け取った。
その後畠山は、気仙沼に研究者を招き、共に湾の調査に乗り出す。優しく、時に厳しく見守ってくれた母の言葉が、震災後、時に萎えそうになる畠山の気持ちを今も奮い立たせてくれる。

写真四半世紀に渡って育ててきた森、植えた木は2万本を超えた


プロフェッショナルとは…画像をクリックすると動画を見ることができます。

色んな場面場面がありますけど、何とかそういう中をくぐり抜けていける人間がやっぱりプロフェッショナルじゃないですかね。何とかそういう中を生き抜いていくっていうことですよね。

カキ養殖 畠山重篤


放送されなかった流儀

人の心に木を植える

畠山が植樹と同じぐらい大事にしているのが、「人の心に木を植える」ための活動だ。毎年、全国から小中学生を招き、養殖の作業を体験してもらう。これまで3,000人以上の子ども達が、畠山の養殖場を訪れた。
「自分一人ではよいカキは育たない。舞根(もうね)湾だけでなく、川の流れる流域、森の広がる山域、全ての人たちの気持ちが、カキには凝縮される。」と話す畠山。次の世代に、豊かな海を受け継ぐため、木訥(ぼくとつ)とした口調で、語り続ける。

写真中学生を招き、共に植樹をする畠山