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これまでの放送

第315回 2017年2月6日放送

いつだって、人間は面白い 脚本家・倉本聰



“根っこ”をどれだけ深く掘り下げたか

日本を代表する脚本家・倉本聰(82)。「北の国から」、「前略おふくろ様」など、これまで数々の大ヒットドラマを世に送り出してきた。倉本のドラマに登場する人物たちはいつも強烈な個性を放ち、その人物たちが織り成すドラマは、多くの人の心を打ってきた。
そんな倉本のドラマの基盤にあるのが、脚本を書く前に半年以上かけて作るという「登場人物たちの緻密な履歴書」。ドラマを1本の木に例えると、登場人物という“根っこ”があり、そこから人物同士が織りなす物語という枝葉が生まれる。倉本がとことんこだわるのは、その根っこだ。父母の出身地から、恋愛遍歴、さらには実家周辺の地図に至るまで、ドラマには描かれない部分も含めて、その人生を詳細に掘り下げる。
「近頃のドラマは『実をどう美しくつけようか』、『花をどう咲かせようか』ということばかりに気を取られていて木が寄って立っている“根っこ”を忘れている」、そう苦言する。
膨大な時間をかけて練り上げられた登場人物たちが交わったとき、そこにドラマが生まれ、ようやく人間が生きてくると、倉本はいう。

写真書斎に置いてある「登場人物の履歴書」
写真役者にセリフの意図を丁寧に伝える


技を磨き、ピュアになったとき“おりてくる”

倉本には、忘れられない体験がある。北海道・富良野で、ドラマ「北の国から」を執筆中、何度も襲われた不思議な吐き気。そんな時に限って、「自分の力を超えたモノが書けた・・・」と感じたという。あれは何だったのか?
東京生まれの倉本が北海道に渡ったのは、1つの事件がきっかけだった。39歳の時、大河ドラマの脚本に抜てきされたものの、制作スタッフと衝突、ある日突然、北海道へ飛び立ったのだ。結局、ドラマは途中降板となった。
以後、北海道で暮らし続けた倉本は、巡り会う人々から多くを教わったと言う。やがて北海道での永住を決意した時、選んだ場所は、極寒の地・富良野だった。自然の猛威の中、“知識”や“金”があっても生きていけない生活の中で書き始めたのが、「北の国から」だ。あの「不思議な吐き気」を初めて体験したのはその頃のことだ。40代後半だった。集中すると吐き、何かに“乗られて”書く感覚。「自分の力で書いているうちはプロではないと思う。」と今、82歳になった倉本は言う。
では、何かが降りてくる条件とは何か? その問いには、「技を磨くのは大前提、人としてピュアであることだろうか」と語った。

写真富良野の森を散歩しながら木に人生を思う


完成していないからこそ、創り続ける

「これが最後」。82歳を迎えた倉本は、ライフワークでもあった舞台に1つの区切りをつけようとしていた。選んだ舞台は『走る』。役者40名がひたすら走りながらセリフをいう、過酷な作品だ。
倉本は、体力の衰えを感じながらも、連日5時間超の稽古をこなし、何度も何度も台本を書き変える。いったい何が、倉本を駆り立てているのか?
「完成なんてことはこの世界にはないですよね。新しい感動が生み出せたか、今までにない感動が生み出せたか、ということを毎回考えるっていう、それが長く生きる原動力になっている気がする」。
倉本のストイックなまでの「創造する精神」は、まだその身を突き動かす。

写真稽古中、何度も檄(げき)が飛ぶ
写真台本は幾度となく変更されていく


プロフェッショナルとは…画像をクリックすると動画を見ることができます。

やっぱり1本道。自分にとっての道が1本であるっていうことがプロフェッショナルなんじゃないかなという感じはしますよね。横道にそれないっていう。じゃないかなぁっていう気はするんだけど、あんまり自信ないです(笑

脚本家 倉本聰


放送されなかった流儀

倉本は日常から、人がどういう状態でどういう生き方をしているか、つぶさに観察する。「嫌いな人ほどよく観察してみろ、次第に好きになるから」とよく口にする。発信以上に、受信を重視するのだ。
それは、想像力をどう発展させるかの訓練でもある。空想力を最大限に働かせれば、4人の人物が、16人の人物像に見えてくるという。そこから多種多様の人物が形成され、強い個性の人物が生み出されていく。倉本の手にかかると、欠点さえも愛すべきチャームポイントになる。
倉本の目はいつもギラギラとしていて、おもしろいと思うことをキャッチすると、絶対に手放さない。

写真どんな時も、おもしろいと思うことは見逃さない