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これまでの放送

第288回 2016年2月22日放送

“最後の職人”ニッポンを支える男たち 漆カンナ職人・中畑文利/やすり職人・深澤敏夫



最後まで、“歯車”に徹する

国宝や重要文化財の修復や保護に欠かせない、漆黒の漆。その採取に欠かせない道具が「漆カンナ」だ。漆は、木を削った時に出る樹液が元となるが、木は繊細で、深く傷つけすぎれば木そのものが死んでしまい、樹液を出さなくなる。そのためナイフなどでは採取が難しく、独特の形をしたカンナが必要不可欠になる。その漆カンナを日本で唯一作れるのが、青森県田子町の鍛冶屋、中畑文利(72)と妻の和子(62)だ。お見合い結婚をして40年、夫婦二人三脚で鍛冶屋を営んできた。中畑夫婦がオーダーメードで作る漆カンナは、使う職人のくせや、木の特性にまで合わせて作られ、木へのダメージを最小限に抑えることができると言われる。一人一人の職人の手に合うように作るには、機械では難しいという。中畑は、その漆カンナを作る技術を15年かけて身につけてきた。
しかし、日本の漆産業は、化学塗料や中国産の安価な漆に押され、次第に衰退してきた。漆を木から採取する職人達も少なくなり、それに伴い、漆カンナを作る職人も減少。中畑が最後の一人となった。
その中畑もまた、8年前から慢性の骨髄性白血病を患い、目には緑内障がある。視野が狭くなり、細かな作業も難しくなった。体調がすぐれない日もある。いつまでこの仕事を続けられるか、中畑自身にも分からないという。でも、だからこそ、自分に課し続ける信念がある。
「漆の業界の中で今、自分が一番下の道具作りですよね。小さかろうがどうだろうが、その一個の歯車であると思うし。それを自分がどこまで自分なりに全うするかですよね。その縁の下の力持ちみたいに、陰にいてもせっせと自分の置かれたその仕事に精を出すのもまた、ひとつなのかなと思いますよね」。

写真夫婦になって40年、二人三脚で鍛冶屋を営む
写真独特の形をした漆カンナ。全てオーダーメード
写真“最後の職人”となった中畑。日本の漆産業を支え続ける


最後まで、己に挑む

カン、カン、カン、カン、カン、カン。東京上野にあるやすり店からは、いつもリズミカルな音が響いてくる。ハンマーと鋼鉄製のノミだけを使って、同じリズムで、同じ深さの“やすりの目”を立てていく。ミリ単位の繊細な作業を続けるのは、この道60年のやすり職人、深澤敏夫(74)。深澤は難しい作業になればなるほど、意識をハンマーではなく、ノミの方に集中させる。
「タガネ(ノミ)で目が入っていくことが大事なこと。ハンマーはその手助けだから。重さの力じゃなくて“心の力”ですよね。ハンマーじゃなくて、“心”の方に注意力を持っている」。
深澤のやすりは、すべてオーダーメード。その数は500種類を越える。バイオリンや尺八、ハイヒールからダメージジーンズの加工用まで日本の工業製品を支えてきた。中には、人間国宝の金属工芸の創作や脳神経外科の手術道具の製作など、「深澤のやすりでなければ出来ない」という熱烈な愛用者もいるほどだ。
しかし深澤は、3代続いた店を自分の代でたたむ決意をしている。今年75歳、体力や気力の衰えを日に日に感じるようになった。一時は弟子も取ろうとしたが、育てても食べてはいけないからと取るのを辞めてしまった。事実、機械立ての大量生産のやすりに押され、深澤自身、家族を養うのがやっと。さらに昨年、材料を作ってくれる前工程の職人が廃業し、思うように材料が手に入らなくなった。そんな中でも深澤は、自分の腕を頼ってくる依頼は、今も極力引き受けている。職人として、最後までこだわる生き方がある。
「自分の仕事として「やれない」っていうのが、なんか心残りで。職人根性っていうのかなんだろうね。その時その時いっぱい考えて、一番いい方法を見い出していく。そうやっておもしろがってなんかするってことが職人だと思いますけどね」。

写真店をたたむと決めた今も、自分自身と闘い続ける
写真0.6ミリ間隔で目を立てていく超絶技巧
写真やすり一筋60年。作ったやすりは500種類以上


プロフェッショナルとは…画像をクリックすると動画を見ることができます。

自分らにすればこれで行き着いたというのは、ないと思うのね。常に鍛練、鍛練で。自分は完璧にこなしているわけじゃないし、常に勉強させてもらっている状態なので、まだ自分としてはそういう段階まではいってない感じ俺自体はヘボフェッショナルって自分では思っていますよね。だけど、お客さんには結構喜んでもらえたし、そういう点では自分でもプロかなって半分は思っています

漆カンナ職人 中畑文利/やすり職人・深澤敏夫


放送されなかった流儀

最後まで、手習い

最後の漆カンナ職人となった中畑には、今も度々見返すものがある。父・長次郎さんが半世紀前に作った漆カンナだ。長次郎さんは戦後すぐ、村の人々や漆かき職人たちのために、カンナの試作を始め、15年の歳月をかけて完成させた。でも、中畑は一度もその技術を教わったことはないという。父で師匠でもある長次郎さんの口癖は、「見て覚えなさい」。中畑が漆カンナを試作して何度見せても、良いも悪いも言わず、ただポンと捨てるだけ。何年もの間、父に捨てられ続けたという。中畑はその後、日本の漆産業が衰退する中でも、父のカンナに追いつきたいと一人黙々と取り組み続けた。15年後、漆を取る職人達の要求に合わせてカンナを作れるようになったと思えた頃。長次郎さんは他界した。
「褒められたことないです。何が足りないのか、まだ自分でも分かりません。自分らの商売ってね、最後まで手習い。師匠(父)から一番習ったものは、まだ挑戦してみるということ。物を作るのに挑戦してみるという、そういう気持ちを長年かかって教え込まれたのかなとは思いますよね。仕事は辞めようと思わない。仮に逝くのであればここ(工場)で、そのまま。仕事したまま逝ければ本望」。

写真「絶対に超えられない」という、父が作った漆カンナ