スマートフォン版へ

メニューを飛ばして本文へ移動する

これまでの放送

第286回 2016年2月8日放送

伝説の翼、まだ見ぬ空へ スキージャンプ日本代表・葛西紀明



“瞬間”に対応する力

世界中から“レジェンド”とたたえられる日本人、スキージャンプ日本代表・葛西紀明。5つのギネス記録をもつ、類まれなアスリートだ。「冬季五輪最多出場」、「冬季五輪最年長表彰台」、「スキージャンプW杯最年長優勝」、「スキージャンプW杯最多出場」、「スキージャンプ世界選手権最多出場」。世界に挑み続けて25年、43歳となった今も、なぜ、ジャンプ界のトップで争えるのか?秘密の一端が、夏の合宿に隠されていた。
葛西はトレーニングに、“球技”を多く取り入れている。その際、無駄を省いた正しいフォームにこだわり、体幹を軸に筋力がバランスよく付くことを意識している。だが、それだけではない。
時速およそ90キロで滑り降りるスキージャンプ競技。実は、目の前を横切る雪や虫、突然吹き付ける風など、自然の猛威に対して、“瞬時”に対応をしなければならない。実際、ジャンプは、命の危険を伴う、数少ないスポーツといえる。瞬時の対応を誤れば、引退に直結する。葛西が長く現役を続けられるのも、“瞬間の対応力”という鍛えにくい能力を、実直に磨きあげてきた成果ともいえるだろう。

写真

写真


変化を恐れないから、継続できる

スキージャンプは他のスポーツと比べて、ある特異性がある。その年トップに立ったアスリートが、数年後にはまったく勝てなくなる、という現象だ。肉体、精神的な疲れもあるだろうが、他のスポーツに比べて顕著に現れる。それは、毎年、実施される“ルール変更”の影響も大きい。選手の身長に応じたスキー板の長さや、ワンピースと呼ばれる、ジャンプスーツの厚みなど、ルールが頻繁に変わるのだ。新しい用具に慣れた頃に、ルール変更で変えざるを得ないこともある。だからこそ、その変化に対応することもジャンパーには大事な能力といえる。とくに葛西は、ルールに合わせてフォームの改良を毎年おこない、進化を果たしてきた。変化を恐れない心も、レジェンドを生んだ秘密といえよう。

写真

写真


その瞬間、無心になれるか

スキージャンプ・ラージヒルで飛び降りる高さは、高層ビル38階に相当するといわれる。どんなに練習を積んだ選手であっても、台の上に座ると、恐怖心がこみ上げてくるという。そんな状況下でコーチからアドバイスされた「手の位置」や「飛び立つタイミング」などに頭を巡らせると、パニックになりかねない。葛西も、ジャンプ台の上で考えることが、失敗のジャンプを生むと、捉えていた。

葛西は小学校、中学校までは負け無しで、“何も考えず”に、ジャンプを純粋に楽しんでいたという。だが、高校で日本代表に選ばれた頃、世界のトップジャンパーの圧倒的な飛距離に触発され、「自分も同じような技術を手に入れたい」と願い、「考えて飛ぶ」ことが始まった。一度、考えて飛び始めると、幼い頃のようなジャンプができなくなった。どんなに無心で飛ぼうとしても、ダメだった。それは2年前のソチ五輪まで続き、25年間苦しんだという。
なぜ、“無心のジャンプ”が出来なかったのだろうか。さまざまな要因が考えられる。ジャンプを完璧に合わせなければ、という「焦り」。度重なるケガで、何度も去来した、「恐怖心」。そしてもうひとつ。“家族への愛”が、心に小さな重圧を生んだのかもしれない。
葛西が家族への思いをもちながらも、何も考えずにジャンプできるようになるには、およそ10年の月日が必要だった。
そうして迎えたのが、ソチ五輪。
小学・中学生ぶりとなる、無心でのジャンプができたという。
“その瞬間、無心で飛べるか“。この言葉にレジェンドの強さが、凝縮されている。

写真


プロフェッショナルとは…画像をクリックすると動画を見ることができます。

自分の能力だったり、技術だったり、努力だったり、負けないという気持ち、勝ちたいという気持ち、そういったすべてのモノを持っている人が、プロフェッショナルだと思います。それが、僕です。

スキージャンプ日本代表 葛西紀明


プロフェッショナルのこだわり

葛西のオフの日の楽しみが、“ワイン”。スキージャンプは体重管理も厳しく、月に1回たしなむ程度だが、ソムリエ並みの知識を持つ。元来、好きになると徹底的に突き詰めるタイプ。ワインも、嫌いだったアルコールのなかでカロリーが低いことを知り、興味本位で調べたことがきっかけだった。銘柄ごとに蓄積されたヒストリーが、心を躍らせたのだ。貴重なオフの日には、一杯のワインを飲む。今では、気分転換の大事な友となった。

写真