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第285回 2016年1月25日放送

京都の冬、もてなしを究める 日本料理人・石原仁司(ひとし)



一座建立

“究極のもてなし”で、ミシュランの三つ星を、この7年で6回獲得する料理人がいる。京都の日本料理人、石原仁司(62)だ。客を迎えるのは一日一回、カウンター席の14名のみ。客一人一人にこまやかな心配りをしたいと、あえて限定している。料理には、厳選した旬の食材が毎日300種類以上使われる。豪勢かつ優美なごちそうに、開店から10余年の歴史ながら、「一生に一度は食べたい」と予約は殺到。半年先まで埋め尽くされる。
石原が目指すのは「一座建立(いちざこんりゅう)」。千利休が大成した茶の湯の世界で大切にされてきた言葉で、亭主のもてなしに客が感動したときに起こる、特別な一体感のことをいう。15歳で日本料理の世界に入った頃から茶の湯を学び続ける石原は、調理や盛り付けだけでなく、花や掛け軸など、店のしつらえにも徹底的にこだわり、自分なりの一座建立を追求する。
「料理人として“もてなす”ということは、ただ料理を作るだけじゃなくて、すべて味わって頂く。それが日本料理。“おいしい”とは何かということ。それを追求している。」

写真店の床の間には、毎日季節の草花を飾りつける。
写真石原の料理は 茶懐石をベースに独自にアレンジしたコース料理15品


ただひたすらに、突き詰める

石原の仕事は、食材の仕入れから始まる。毎朝市場に出かけては、旬の中の旬を狙い、食材が最もおいしい瞬間のものを探し出す。熟練した経験が必要ため、弟子にはまだ任せられないという。鮮魚店では一般には立ち入れない、店奥の下ろし場までおしかける。魚がさばかれる所を実際に見て、身の色や脂の乗りを確かめてから買いつけを行う徹底ぶりだ。値段やサイズなど、表面的なことには惑わされない。
さらに買い出しは一般のスーパーにまで及ぶ。「スーパーにも独自の仕入れがあり、よそにないものを置いていたりする」からだという。石原は自分が納得できるものを手に入れるためなら、京都中をまわる。
食材に対する徹底ぶりは仕込みにも現れる。特に石原が気を使うのは、刺身の仕込み。剣先イカの皮の表面に、わずか1ミリ以下の切れ目を何度も入れていく。剣先イカは、皮の表面が固い繊維で覆われている。皮特有の硬さを口の中で感じずにおいしく食べてもらえるよう、包丁で目を入れて、絶妙な食感を生み出すのだ。さらに身の奥にある甘みも最大限引き出す。これが石原の技だ。マグロの刺身では、味には支障のない、身の中にわずかに見える血管の筋を一つ一つ丁寧に抜いていく。客が食べる時、見た目の美しさでも“おいしさ”を感じて欲しいという石原のこだわりだ。
「手抜きをしないということ。見えないところで手を抜いてもお客さんには“分からない”のだけど、それをしたんでは何もならない。“分かる”とか“分からない”じゃなくて、自分の生き方なんです。生き方が料理に出てくるわけです。」

写真納得できる食材を探し求め スーパーにも足を運ぶ
写真巧みな包丁さばきで 刺身に絶妙な食感を生み出す


道の到達点、未(いま)だここに在らず

日本料理の道は、日々勉強だと石原は言う。店のしつらえには欠かせない、四季の草花や掛け軸などについて知識を蓄えてきた。今も時間さえ見つけては、山に草花を摘みに出かけ、書道の個展などに足しげく通う。料理を盛る器の勉強も欠かさない。日本料理は、器と料理の組み合わせによって、その季節を表現できる世界でもまれな文化を持つと石原はいう。日本の美しい四季をどう表現していくか、どの器が適しているのか、いつも石原は考える。骨とう品展や美術展に出かけては、古今東西の陶磁器や漆器についての知識を高める。
石原には、料理人として貫く一つの姿勢がある。それは『未在(みざい)』。未在とは禅の言葉で、『修行に終わりはなく、常に向上心を持って上を目指す』という意味だ。「もっと違うものとか、さらなるものを求めていく。鍛錬して出てくるものが、人に何か感じさすものが出てくる」と石原はいう。この道47年のキャリアを持つ石原にとっても、道の到達点は、未(いま)だここに在らず。

写真店のしつらえは 毎月かならず変え 季節の移ろいを表現する
写真「疲れんような仕事はあかん」が石原の口癖


プロフェッショナルとは…画像をクリックすると動画を見ることができます。

いつも思っているレベル以上の仕事ができないとダメ。そして、やっぱり完璧というものはないかも分からない。完璧はないかも分からないけど、その完璧を近づけようと、努力するのがプロフェッショナルかなと。

日本料理人 石原仁司(ひとし)