放送開始から10年。この間プロたちはどう過ごし、今何と向き合っているのか。
これまで番組に登場した7人のプロたちに再びカメラを向けた。
今、全国で大人気リゾート施設を運営する会社のトップ、星野佳路(55)。10年前、番組第1回に登場した当時から破綻寸前のホテル・旅館を次々と立て直す「再生請負人」として注目を集めていた。その経営哲学はトップダウンとは真逆の「社員を主役に据える」というもの。年齢や立場に関係なく、社員が自ら考え、行動をし、議論をするという「フラットな組織文化」を作り出すことで社員の意欲を高め、再建の原動力とする。星野はこの哲学を貫くことで、この10年間、社員数も手がける施設数も右肩上がりに伸ばしてきた。
しかし、会社が成長する一方で今、星野には一つの危機感がある。それは「フラットな組織文化」を守り続けていくことだ。「こうした組織文化を作るのはすごく時間がかかるが、壊れやすいものだ」と言う星野。10年たった今もなお、自らの信念を貫く闘いを続けている。
星野は経営者として掲げる理想を、10年前と変わらず追い続けている
4,000人の社員を率いる大手飲料メーカー社長、佐藤章(56)。10年前に番組初のサラリーマンとして登場した男だ。当時の肩書は「商品企画部長」。30人の部下を率い、しれつな競争が繰り広げられる清涼飲料水の分野でヒットを連発していた。その原動力となっていたのは、「自らの情熱を、開発チーム全体に伝染させる」リーダーとしての力。目指す理想に向かって、一切妥協しない。そのゆるぎない姿勢と、熱い言動によって、現場の人間を奮い立たせていた。
そうした活躍を経て、2年前に社長に就任した佐藤。向き合う部下は当時の30人から4,000人に増えた。そうした中で、佐藤は今、全国の支社を回り、自ら掲げた経営戦略について現場の社員と直接対話することに精を出している。社員一人一人に情熱を伝え続け、会社全体で一つの大きなうねりを作り出していく。その力でライバルメーカーとの厳しい戦いに挑もうとしている。
佐藤は社長になってなお、現場の社員との対話をとにかく大事にする
9年前、「日本半導体の救世主」と呼ばれ、番組に登場した経営者・坂本幸雄(68)。赤字続きだった日本の大手半導体メーカーを就任1年で黒字化。独自の社内改革と新技術のための大胆な投資によって、わずか2%だった世界シェアをおよそ10倍にまで引き上げ注目を集めていた。しかし、2011年、超円高に突入し、売り上げの9割が海外にあった坂本の会社は致命的なダメージを受け、翌年の2月、会社更生法の適用を申請。負債総額およそ4,500億円。日本の製造業では戦後最大の負債を抱えての倒産となった。
どん底の中で、坂本はある決断を下す。それは、裁判所から特別な許可を得て、自ら会社の再建を率いることだった。再建の途中では技術が転売されたり、社員がリストラされたりすることがある。社員と技術を守るためには、業界をよく知る自分が先頭に立って事業をそのまま引き継いでくれる企業を探すしかないと考えた。しかし、倒産の責任者が再建に関わることに非難が相次いだ。それでも坂本は信念を貫き、事業をそのまま引き継いでくれる会社を見つけ、社員の雇用を守った。
そして会社を去った坂本は今、さまざまな企業の経営相談にのる仕事をしている。再建の仕事を終えたら、もう仕事は一切しないつもりだったが、新しい仕事をするうちに、「やはり生涯現役でいたい。ある日、急に布団で死んでいたと。そのときまではずっと元気で仕事をしていたというほうがいいのかな」と思うようになったと言う。坂本は、社会から要請がある限り、それに応え続けたいと考えている。
坂本は今も半導体業界の動きを注視し、依頼を受けた企業に対して精力的なアドバイスを送っている
番組にはこれまで、未来のために力を注ぐ「育てのプロ」たちが数多く登場してきた。その一人、香川県の定時制高校の教師・岡田倫代(56)。生徒たちの心のケアで全国的な注目を集めている岡田は20年近くにわたって、不登校になったり、非行に走ったりした過去を持つ数多くの若者たちと向き合い、立ち直らせてきた。
その岡田は今、高校教師の枠を飛び出し、県内の幼稚園や小中学校にも活動の幅を広げている。子どもたちのふだんの様子から、かすかなサインを見逃さず心の状態を見極め、現場の教員とともに適切なサポートにつなげていく。定時制高校の教壇に立つうちに、幼い頃に心に傷を負った生徒が多いことに気づき、できるだけ早い段階からケアする必要があると考え、始めた取り組みだ。
「とにかく自分の目の前にいる生徒や子どものために。それしかないですね」と語る岡田。現状にとどまらず、さらにできることはないか探し求めるその姿勢で、子どもたちの未来のために信じた道を突き進む日々が続いている。
岡田は今、幼稚園や小中学校の教員だけでなく、子どもの心に不安を抱える保護者の相談にも乗っている
2011年3月に起きた東日本大震災は、多くのプロフェッショナルたちの生き方をも変えた。その一人が7年前に登場した作業療法士・藤原茂(67)だ。山口の施設を拠点に、手足のまひなどを改善するための画期的なリハビリ方法を考案、リハビリの世界に革命を起こしたとまで言われている。そんな藤原は、震災後すぐに被災地である岩手県大槌町で現地の子どもたちをケアするための施設を立ち上げ、運営を始めた。利用料は無料で、運営費は寄付金と持ち出しのみ。それでも、かつて児童養護施設で働いた経験を生かし、子どもたちに全力で向き合い励ましている。施設の立ち上げから3年、今では20人以上の子どもたちが集う場所になり、地域の住民や行政からも認められるようになった。
自らの仕事の枠を超え、新たな挑戦を始めた藤原。しかし、そこに使命感はないと言う。「僕は、人のためにやっているという自覚はない。私が楽しみたいと思ってやっている」――打算をせず、自らの心に素直に従う。それが藤原の挑戦の原動力になっている。
藤原は子どもたちから親しみを込めて、クッソー(くそおやじの意味)と呼ばれている
東日本大震災をきっかけに、自身の仕事を見つめ直したプロフェッショナルもいる。世界を舞台に活躍を続ける建築家・伊東豊雄(74)だ。総工費が数百億円にも上る巨大建築を次々と手がけてきた伊東は、常識を打ち破る斬新な建築で、国際的に高い評価を得ている。
しかし伊東は、東日本大震災後の復興計画に関わる中で、人々に本当に必要とされる建築とは何か、考えるようになる。そして、伊東は被災地に何度も足を運び、被災した住民たちと話し合いを重ねる中で、「こんな新しい建築が出来た」と建築家同士で自慢し合うようなものを作るのではなく、現地の人々と話し合いながら一緒に作るということがいかに大切かということに気づいた。
その伊東が今取り組むのは、瀬戸内海に浮かぶ愛媛県大三島でのプロジェクト。古くからある空き家をリフォームして、島の住民と島を訪れた人が交流できる拠点を作り出すなど、建築の力で過疎に悩むこの島を活性化するのが目的だ。そして伊東は、こうした取り組みで得た経験を、今度は都会の大規模な建築にも生かしたいと考えている。74歳にしてなお伊東は進化を続けている。
「被災地、大三島で考えてきたことを大規模な建築にも生かしたい」と語る伊東
名門・英国ロイヤルバレエ団で長年トップを務めた吉田都(50)。6年前にバレエ団を引退した吉田は、日本に拠点を移した今も、毎日厳しい稽古やトレーニングを積み重ねている。しかし、今に至るまでに、吉田は大きな苦境を経験した。実はバレエ団を引退後、長年酷使してきた腰やひざが限界を迎え、ジャンプをすることすらままならない状況に陥ったのだ。しかし、「踊り続けたい」という自らの気持ちに従い、吉田はある賭けに出ることにした。それは体の動かし方を根本から見直す、新しいトレーニングへの挑戦。長年培ってきた繊細な感覚を崩してしまうリスクもあったが、吉田は踏み切った。ハードなトレーニングも行いながら模索を続けるうちに、吉田にはこれまでにない、体が進化していく感覚が生まれてきたという。「何か変化を感じ始めたらすごく頑張れるようになってきて。今の年になっても、体って強くなるんだ、鍛えたり調整したりすると応えてくれるんだ、ということがすごく実感できた」と吉田は言う。完全復活を果たした吉田は今、これまでいちずに積み重ねてきたクラシックバレエの公演だけでなく、新たなジャンルの公演にも挑むようになった。「今の自分だからできることを、今しかないと思ってやる」――50歳にしてなお、高みを目指す挑戦が続いている。
「チャレンジするとこれまでとは違う、新しい景色が見えてくる」と吉田は言う