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これまでの放送

第252回 2015年1月19日放送

紡ぐのは、洋服に込められた思い かけつぎ職人・松本孝夫



物には、“命”がある

個人客だけではなく、百貨店、高級ブランド店、さらには同業者からも腕を頼られる松本。松本が駆使する「かけつぎ」は、同じ服のポケットやすその折り返しなどから修繕用の糸を取り出し、手で縫い上げる技だ。同じ服から糸や生地を取り出すため、柄までぴたりと合わせられるのが特徴。当て布をするのとは違い、まったく分からないほどにキズを修繕することができる。
この道55年の松本。その技術は、的確かつ緻密だ。下手に糸を取り過ぎると、服を傷つけてしまう恐れがあるため、修繕用の糸を、どれくらい取るべきか苦慮する職人も少なくない。だが、松本は傷の具合から瞬時に糸の量を見極め、迷いなく適量の糸を取り出す。さらに、数センチの傷穴に通す糸はときに100本を超えるが、その1本1本を正確無比に平行に、なおかつ全く同じ張り具合で縫い上げていく。極度の集中を強いられるため、松本はかけつぎに費やす時間を1日8時間と決めていると言う。
常に胸に刻んでいるのが、「物には、命がある」という思いだ。松本が手がける服は、毎年2,000着以上。義理の父から結納返しで贈られたスーツや、母から譲り受けたドレスなど、どの服にも大切な思い出が詰まっている。「僕はいつも、洋服を病院でいう患者のように思っている。人によっては、涙まで流して喜んでいただけるんですね、直すことによって。だからできるだけ自分の気持ちを注いで生き返らせる」。持ち主にとって、かけがえのない価値を持つ服だからこそ、松本は1着1着と誠心誠意向き合い、修繕に臨んでいく。

写真わずかな傷も見逃さないよう、常に拡大鏡をかける。
写真1本でも糸が狂えば、生地に緩みや張りが生じる。かけつぎは緻密さが求められる仕事だ。
写真30年前に義理の父から贈られたスーツ。1着1着に大切な思いが詰まっている。


頼られたら、引き受ける

もともとかけつぎは、羊毛など、糸を取り出せる素材にしか使えない技術とされてきた。だが松本は、人工皮革やニット、フリースなどの化学繊維に至るまで修繕を手がける。貪欲に難しい素材に挑んできた姿勢の裏には、「挑まなければ、未来はない」という信念がある。
松本がかけつぎの仕事を始めたのは、昭和37年のこと。ところが時代が進むにつれ、従来のかけつぎでは手に負えない特殊な素材の服が普及。多くのかけつぎ屋が廃業し、松本の店も仕事が減った。松本も、時代おくれの仕事だと思わされたことが何度もあったという。
転機となったのは15年ほど前のこと。長年つきあいのあるクリーニング屋から頼み込まれ、人工皮革のジャケットの修繕を引き受けざるを得なかったのだ。そのジャケットと格闘し、なんとか修繕の手だてを考えたとき、松本は「自分はこれまで本当の限界に挑戦してこなかったのではないか」と痛感したと言う。以来、失敗を恐れず、難しい依頼に挑むうち、従来のかけつぎでは対応できない素材にまで、対応できるようになった。「信頼されてきて、誠心誠意それにぶつかっていって、元どおりに直す努力する。自信がなくなったって、プライドがなくなったっていい。悪いこともよいことも経験して一流になる」。松本は今73歳、それでもなお現役を退くつもりはない。生涯をかけて、かけつぎの技を磨き続ける覚悟でいる。

写真松本は修繕が難しい服でも貪欲に挑み続ける。
写真革製品の修繕では、1ミリの生地の断面に正確に針を通していく。


思いを、紡ぐ

1着1着の服と向き合うときに大切にしているのが、依頼されたとおりに直すのではなく、修理の中に自分の気持ちを込めることだ。客の顔は見えなくても、品物を通して、どこまで相手の思いをくみ取って修繕できるかが、職人の腕の見せどころだと言う。昨年11月、松本の元に穴だらけのカーディガンが届いた。送り主は、7年前に脳梗塞を患い、右半身にまひが残った66歳の女性。40年前に亡き母から結婚祝いに贈られたカーディガンをもう一度着たいと依頼してきた。女性に会ったこともない松本は、激しく破れている左袖を目にして、左手を多く使う特別な事情があると気づく。そして穴を塞ぐだけではなく、長く着てもらうためにすり減った部分の補強を施した。「きめ細かい配慮がどこまでやれたかということやね。修理は修理なんですよ。ところがその修理の中に自分の気持ちがどれだけ入っているかが仕上がりに違ってくると思うよね」。服を通して持ち主に寄り添い、思いまで紡いでいくのが、松本の仕事だ。

写真長く着てもらうため、穴の周りのすり減った部分を補強する。
写真カーディガンの仕上がりに笑顔がこぼれる。


プロフェッショナルとは…画像をクリックすると動画を見ることができます。

無限にあるものに向かって、そのチャレンジ精神、いつまでたってもチャレンジで、1段上っては完成させ、2段上っては完成させて、その積み重ねが僕の中のプロフェッショナルですね。

かけつぎ職人 松本孝夫


放送されなかった流儀

謙虚であれ、自信過剰であれ

73歳を過ぎてなお、現役を貫く松本。20~50代の弟子10人を従え、1日100着もの服を修繕する。親方として心がけているのは、「自信過剰」であることだ。例えば毎日の検品。弟子が修繕した服をチェックするとき、ほんのわずかな違和感があれば、自信を持ってやり直しを指示する。自信過剰でいることで自分自身にプレッシャーをかけ続けていると言う。「謙虚さは当然持って当たり前なんだけど、謙虚にやっていたら、みんなに追い越されちゃうし、置いてけぼりくっちゃう。職人は自信過剰がいいんですよ」。

写真どんなときも自信を持って指示する。