狂言は、日本が世界に誇る“笑いの芸術”。
その舞台に立つ狂言師・野村萬斎の根底にある流儀だ。狂言は、庶民の目線から権力者をチクリと風刺したり、人間だれもが持っている欲望や虚栄心などをおもしろおかしく描いた演目が多い。番組で紹介した「棒縛」のように、縄で縛り上げられても酒が飲みたいという人間の強欲さ、無理な体勢で必死に酒を飲む姿は、観客の笑いを誘う。人間が必死に生きる姿は、たくましくもあり、滑稽だ。必死になればなるほどおかしさは増す。だからこそ、舞台に立つ萬斎も懸命に芸を磨き、演じる。笑いは無理に取りにいくものではなく、“本気”の先に自然に生まれるものだという。目指すのは、一過性の表面的な笑いではない。登場人物の姿や心境に「ある、ある!わかる!」と観客が共鳴したときに沸きあがる、あたたかい笑いだ。
“酒が飲みたい”“甘い物が食べたい”“仕事中なのに眠い”というささいな欲求から、社会の不条理や世の無常観まで。「生きていればさまざまなことがあるけど、それを笑い飛ばして明日も生きていこう。それが狂言のよさ」と萬斎は言う。
「棒縛(ぼうしばり)」を演じる萬斎と父・万作
狂言は「素手の芸」とも呼ばれる
最小限の小道具しか使わずに観客の想像力に訴えなければならない
女性役でも化粧はしない
所作で女性らしさを醸し出す
3歳で初舞台。小学生のころは、舞台のため運動会は早退。学校から帰ると厳しい稽古が待ち受けていた。高校時代、周囲の友達が進路を自由に語り合うなか、狂言師になることを受け入れた。萬斎の人生には “宿命”が付きものだ。一人前になった今でも、目の前には果てしない芸の道が続いている。狂言の名門・野村家に生まれた以上、“宿命”を背負い続けなければならない。
人間は、みずからが歩んできた過去を否定して生きていくことはできない。だから、幼い頃から稽古でたたき込まれた狂言の型を使い続けるのだと萬斎は言う。「闘い続けない限り、生きていけない」と断言する。狂言師として生き続ける、そこには萬斎の強い覚悟と誇りがある。
楽屋で装束をつけると緊張感が漂い始める
舞台には毎回、命を燃やす覚悟で臨む
番組で紹介した狂言最高峰「狸腹鼓(たぬきのはらつづみ)」の稽古新境地をひらく闘いが繰り広げられた
600年の歴史を誇る狂言。だが、萬斎は伝統にあぐらをかいていたのでは、狂言は先細りしてしまうと危惧している。そのため、「難解」「古くさい」というマイナスイメージを払拭(ふっしょく)するための試みを続けている。伝統的な舞台では使わないような舞台照明や音響効果も積極的に活用した新作狂言にも取り組んでいる。
舞台は好評を博し、狂言初心者や20代の若者たちも気軽に会場に足を運ぶ。狂言ファンは大幅に増加し、萬斎は「狂言普及の立役者」と称されている。
狂言を現代に発信し、次世代に受け継ぐ役割を担う萬斎。狂言の新たな可能性を模索する挑戦は、今後も続く。
現代劇場で新作狂言を演じる