ここ10年で4度の水揚げ日本一を記録するカツオ一本釣り漁船、『第83佐賀明神丸』を率いるリーダー、明神学武(40)。最高責任者「漁労長」として、漁の戦略立案を一手に引き受けている。
明神が漁に挑むとき、常に心にとどめているのは「開拓者であれ」という信念。カツオは、毎年のように泳ぐルートを変えるため、見つけるのは困難を極める。そのため、カツオ漁師は、その日どこでカツオが取れたか、互いに情報を教え合う習わしがある。しかし、明神は独自の方法論で潮の流れや海水温を徹底的に研究。その緻密な分析とハイテク機材を武器に、ほかとは全く異なる漁場を開拓し、一人勝ちを狙うスタイルを自分に課している。他船の漁労長や漁業研究者から「天才」と称される理由は、この型破りな心がけにある。
総額6,000万円のハイテク機器に囲まれた明神の操縦席
口癖は「分からんき、おもしろいがよ」日夜、漁の研究に没頭する
漁のすべての責任を背負う漁労長という仕事。船員の命や給料などが明神のひとつひとつの判断に大きく左右される。その重圧のなかで明神は、結果を出し続けるために常に自分に言い聞かせているのがこの言葉。自分が納得するまで、徹底的な準備をしたうえで明神は笑顔で言う。「ええときも悪いときもあるがやけど、ドキドキしながら行く方がええ群れが来そうな気がするやろ?ドキドキ、もっと楽しむじゃないけど」。記録的な不漁に見舞われたことしのカツオ漁。8月の高値がつく時期に一発逆転をねらう明神は、この言葉を胸に勝負の3週間に挑んだ。
「こんな穏やかな漁労長はいない」と船員から慕われる明神
400年の伝統を誇るカツオ一本釣り漁
明神の家は、一族そろってカツオ漁師。父の三郎さんは、水揚げ日本一6回、豪快な人柄で知られた名漁労長だった。だが、父とは対照的に、おとなしい性格の明神は、父から日本一の船を継いで漁労長になったものの、水揚げが低迷した。父の代からのベテラン船員が次々とほかの船に移り、船員から「おまんは、漁労長らしくない」と言われた日々。そんな時期、ふさぎこむ明神を支えたのは妻だった。「あんたは、あんたやけん 自分が思い通りやったらいい。」その妻の言葉をきっかけに、明神は自分独特の漁を突きつめていった。
伝説の名漁労長と言われた、父・三郎さん
どん底の日々を支えた妻・めぐみさん