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第227回 2014年4月7日放送

ゆっくりでも、止まらなければ、けっこう進む 宇宙工学者・國中均



“宇宙大航海時代”の扉をひらけ

國中が開発したマイクロ波型イオンエンジンは、従来のエンジンとは根本的に発想が異なる。それは、原子そのものの物理を利用した、近未来型のエンジンだ。地上では1円玉を動かす程度の推力だが、驚異的な持久力を誇る。はやぶさが、たった60キロあまりの燃料で7年間60億キロの航海ができたのも、國中のイオンエンジンがあったからだ。
國中は、実に20年以上の歳月をかけ、このイオンエンジンの開発に挑んできた。NASAなどが開発の難しさに撤退を決め、国内でも“穀つぶし”と言われるほど厳しい状況に追いやられても、この技術こそが、新たな世界の扉を開くと信じ、こつこつと研究を続けてきた。見据える先には、1つの夢がある。人類が火星や月に暮らし、自由に惑星間を行き来する時代、“宇宙大航海時代”だ。

写真マイクロ波型イオンエンジン
写真初代はやぶさ


こんなこともあろうと

「こんなこともあろうと」。宇宙戦艦ヤマトの技師長、真田志郎のせりふだ。國中が好きなこの言葉は、自身が宇宙工学者として大切にする姿勢が表現されている。それは、想定外を想定内にするために、徹底的に考え抜くという姿勢だ。
それを表すエピソードがある。それは、はやぶさ最大のピンチのときのこと。地球への帰還を目前に、想定より3年長い航海を支えてきたイオンエンジンが限界に達した。4台すべてのエンジンが停止、はやぶさは止まった。誰もがあきらめかけたとき、國中は、各エンジンの中でかろうじて生き残っていた部品どうしを組み合わせ、1つのエンジンとして動かす、“クロス運転”を提案する。実は國中は、もしものときを想定し、クロス運転に必要な回路を、ひそかに仕込んでいた。「使う可能性は1%にも満たないかもしれない。だけど、やれることは、人の思いつくことは、人の想像力で想定されることは、やり尽くす」。この國中の姿勢が、はやぶさの窮地を救った。

写真地球への帰還目前、エンジンが限界に達した
写真常に新たな一手を考え続ける


ゆっくりでも、止まらなければ、けっこう進む

國中は「半歩でも」という言葉をよく使う。それは、先の見えぬ研究を続ける中で、恩師に教えられた姿勢だ。國中が最も辛かったと語る、初代はやぶさのイオンエンジン開発。打ち上げまで5年というタイムリミットの中で、一向に成果が上がらない。最低1万時間の運転に耐えうる性能が求められるが、100時間の壁さえ越えることができず、2年がたった。同僚に進捗状況を聞かれるのが怖くなり、食堂に行けなくなった。夜眠ることができず、常に失敗のアラームが鳴っている感覚に襲われた。自分が進んでいる方向が正しいのか、その先に答えがあるのかすら分からない恐怖。國中は恩師の元を訪ね、研究を辞めたいと告げた。そのときの恩師の言葉、「歩いてもいい、でも止まってはいけない」。
先人たちが積み重ねた薄紙のような研さんの果てに、今がある。たとえ怖くても、その歩みをやめてはいけない。「あきらめずに少しずつ、半歩でもいいから前に進んで」。はってでも進もうとする粘りこそが、國中の研究を支えている。

写真國中の恩師、栗木恭一さん
写真子どものころから空を飛ぶものに憧れていた


プロフェッショナルとは…画像をクリックすると動画を見ることができます。

「生き馬の目を抜く」っていうことかなと僕はいつも思っていて。なるべく早くすみやかに、すごく工夫をして、したたかにする。それがプロフェッショナルじゃないかなと思います。

宇宙工学者 國中均


The Professional's Tools(プロフェッショナルの道具)

手帳に貼られた、不採用通知

國中はいつも1冊の手帳を持ち歩いている。その最終ページには、10年以上前に、ある企業から届いた文書が、縮小コピーで貼り付けられている。文書には、國中の、「ともに製作してもらえないか」という依頼に対し、開発の難しいその装置には関わりたくないという趣旨の内容が記載されている。
“負の応援”と國中は言う。ネガティブな内容でも、応援だと考えれば、それを前に進むエネルギーに変えられる。何度手帳が変わっても、同じコピーを貼り続けてきた。「格好悪いですけどね、執念深いんですよ」と笑う。

写真常に持ち歩く手帳